2017年07月25日
第145回 「前川井戸記念碑」

大きな山と川のない島ゆえに水に困窮していた時代がありました。ドリーネの奥に湧く水を汲み、生活に利用する「うりがー(降り井戸)」に始まり、釣瓶をつけて汲みだす掘り抜きの井戸となり、ポンプを設置して地域給水の簡易水道が発展し、全島規模に拡散して上水道は公営化され、大規模水源を地下水に求め、地下ダムなどの技術革新へと進みます(厳密には地下ダムは農業用水で飲料用ではない)。
そんな島の暮らしとは切っても切れない井戸の石碑を追いかけてみました。以前、「水」シリーズとして灌漑用水(の完成を記念した石碑)を中心にまとめていくつか紹介してみましたが、今回は生活に密着していた井戸にまつわる石碑をを中心にお届けしてみようと思います(若干不定期なシリーズとなる予定です)。
場所は城辺線(県道78号平良城辺線)と 県道246号城辺下地線が交差する根間地の崖の上。字でいうと城辺字下里添西更竹でになります。
アコウとガジュマルが合体した巨大な御神木の下、夏ゆえに鬱蒼とした下生えの中に隠れるようにして古井戸があり、その井戸の脇にこの石碑は建立されています。「前川」と書いて「マイガー」と読みます。
また、井戸の隣には「水の御神 前ガー ウムメガ」と書かれたイビが、香炉(水神なので焚かない)と清ら(ちゅら)台(供物を置く台)が一体化している拝所があります。
こちらはマイガー(前井)御嶽と呼ばれており、井戸の御嶽なので祭神は水の神となるのですが、先週のマムヤに続いて美女にまつわる伝承があります。
伝承によると、絶世の美女といわれたウムイミガ(ウムメガ)は、多くの男性につきまとわられて、ストーカーに悩みに明け暮れていたそうなのです。ウムイミガは美女なるが故に、苦しみ不幸になることをたいそう嘆き、今後は自分のような美女が生まれないように、けれど、あまり醜女も生まれてこないように願い、自分はこの井戸の守り神になろうと、自ら命を絶ってウムイミガ(ウムメガ)は祭神になったといわれています。
なんかもう美女であるが故の顛末は、呪詛のような展開にしかならないようです(まるで魔法少女が魔女であるかのような構図)。
それにしてもウムイミガは「あまり醜女も生れないように」と、謎の配慮をしているあたりが人間臭いというか、なんか面白いです。BPOにでも怒られたのでしょうか。そもそも、男性陣によるしつこいストーキングに問題があるわけで、自殺にまで追い込んでしまうなんて、現代の社会構造とあまり変わらないんじゃないかと、人類の進歩のなさを改めて痛感させられます。
ちょっと話の流れが変な方向に流れてしまいましたが(水モノということでご容赦)、この前井は下里添の西部(更竹やウヅラ嶺あたり)と長間南部(根間地あたり)の住人が飲料水として利用していた井戸で、かつては洞泉(うりがー)だったそうですが、1919(大正8)年に現在の縦穴の掘り抜きタイプに改築されました。その工事の完成を記念して建てられたのが今回紹介している石碑になります。
石碑には頂頭部に左から右に「川前」とあり、その下に縦書きで「井戸記念」と「大正八年」と書かれているように読めます(大正八年の下にもう一字ありそうではありますが、読み切れません)。
改築以前は南側に位置するこの前井の他に、北側にウツバラ井という井戸もあったそうですが、現在は前井のみが残っています。また、この井戸は湧水量が少なく、水汲みに時間がかかったことから、井戸の前でブー(苧麻糸)を績みをして順番を待っていたそうで、「ブーンムガー」とも呼ばれているそうです。現在、井戸の周辺に人家はありませんが、南西に向かって畑地が開けており、野原岳を望む里山の風景が広がっています(取り立ててなにがあるわけではありませんが、なんとなくここから眺める景色はお気に入りのひとつです)。
最後になりましたが、実はこの井戸と御神木は「前井と御神木その周辺の植物群落」として、宮古島市の天然記念物(植物)として指定されてるのですが、市の紹介ぺージのすっきりした井戸周辺のと現状の差が大き過ぎて同じものとはき思えません。
※本文内には「前川」と「前井」の言葉の揺らぎがありますが、元にした文献や資料の記述を活かし、改訂せずに記事としました。
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Posted by atalas at 12:00│Comments(0)
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