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2019年06月11日

第236回 「改築記念碑(佐良浜)」

第236回 「改築記念碑(佐良浜)」

改築を記念した石碑はこれまでもたくさん紹介してきました。道路に井戸に御嶽に建物。ありとあらゆる構造物は朽ちたり傷んだりするし、利便性を求めて改変されたりします。今回紹介する石碑は御嶽の改築を記念したものです。御嶽を改築することはわりと神社化を示す率がとても高いのですが、この御獄はそうした見た目の変化だけでなく、強い人々の想いも交差した改築とちょっとばかり云えるかもしれません。
第236回 「改築記念碑(佐良浜)」
このかなり大きめの改築記念碑石碑は伊良部島は佐良浜(字では池間添・前里添)にある、大主神社の境内に建立されているものです。大主神社と書いて近年は「おおぬし」と読まれているようです(50代以下)。島の人に聞いてみると、神社の前にバス停が設置されたことなどもあり、平易な読みからこのようになったものと推察されました。元々は「うはるず」(50代以上)は、「おおぬし」の島読みの転訛だったと記憶しているので、まあ同じといえば同じかと。
もっとも、ご存知通り、佐良浜は池間島からの分村であり、池間島においては「ナナムイ(七杜~ナナモリ)」と呼ばれています(現在も呼ばれていますが、個人的にはどことなくウハルズ御嶽がある森一帯のことを示しているように感じています)。それゆえに佐良浜でも古い呼びかたとして「ナナムイ」が使われていたようなのです(70代以上)。
第236回 「改築記念碑(佐良浜)」第236回 「改築記念碑(佐良浜)」第236回 「改築記念碑(佐良浜)」
【左 鳥居越しの大主神社、正面】 【中 灯篭の並ぶ境内】 【右 拝殿。賽銭箱の奥は祭祀の儀礼に使われる場所】

史料によると、まだ佐良浜に大主神社がなかった頃は、池間島の祭事にあわせて海を渡ってまで参加をしていたといいます。
1840年頃、池間と前里両集落の代表が協議をして、佐良浜(池間添・佐良浜添)に分神をしたそうです。やはり海を渡るリスクを軽減することが目的だったのでしょうか。添村あつかいであった佐良浜が、正式に村建てされるのは、1908(明治41)年の特別町村制まで待たなくてはならないのですが、完全に私見にすぎませんが、この分神によって佐良浜の池間島からの独立を意味しているように、なんとなく感じました。
“公式”な村建てという意味では、池間民族三姉妹の末娘であるはずの西原は、明治になってからの琉球王府最後の村建てでありながら、1874(明治7)年に作られているので、ある意味では次女・佐良浜(池間添・前里添だから双子?)は嫁に行くのが遅れた?。
第236回 「改築記念碑(佐良浜)」第236回 「改築記念碑(佐良浜)」第236回 「改築記念碑(佐良浜)」
【左 広い拝殿の中。その奥にちょっと傷み始めている社殿がある】 【中 賽銭箱にも大主のロゴがあります】 【右 瓦にもちゃんと大主の印】

当初の分神した御嶽、現在の佐良浜児童館近く佐久田家の東にある洞穴付近に、カヤ葺きの小屋を建てて祀っていたようですが、1961(昭和36)年に、現在の地には大主御嶽として建立されました。その後、今回紹介している石碑とともに、1986(昭和61)年に再度改築がなされました。
簡潔にいえば分神から神社化への変遷ということになると思いますが、ここで石碑をよく見て下さい。
新しい方から遡ってみると、1985(昭和60)年8月17日の改築記念碑の建立。1961(昭和36)年10月12日の改築。この2点は前述した資料(「新版 宮古の歴史を訪ねて」宮古郷土史研究会 刊行)にも記されていますが、石碑にはそのさらにもうひとつ前にあたる、1936(昭和11)年7月21日改築というものが書かれています。しかし、この年月日についてはなにひとつ触れられていません。他の史料をひっくり返しても違う資料を読み漁ってみても、なぜだかひとつも出て来ません。なので想像にすぎませんが、時代的にちょうど戦前なので、国家神道化が推し進められている時期に合致のことから、もしかすると御獄から神社化されたタイミングがここになるのかもしれません。
第236回 「改築記念碑(佐良浜)」第236回 「改築記念碑(佐良浜)」第236回 「改築記念碑(佐良浜)」
【左 神社の東側、階段の上にあるウジャキニー】 【中 神社脇の小路の奥。ナッヴァニー(と見られる場所)】 【右 神社から少し北にある、県道90号の大カーブそばの平地に池間島を向いて置かれているブロック。この断崖からは池間がよく見える】

大主神社は大きな鳥居、手水舎、灯篭が立ち並び、立派な社殿、拝殿があります。記念碑は神社の正面に向かって右手にありますが、この記念碑の裏手に、小さな福木の並木と岩に囲まれた、謎の空間があります。これが何を意味するのかはまったく判りませんが、なにか儀礼的ななにかをする場所のようにも見えて来るのでとても気になります。
謎ではなく、ちゃんと拝所として定められた場所もちゃんと大主神社の周辺にはあります。
ウジャキニー(神社東側の階段の上)、ナッヴァニー(神社脇の小路、奥まった岩あたり)、ウイラニー(少し北の県道90号の大カーブ近くにある池間島を向くブロック)などは、平良市史御嶽編にも記載されています。
第236回 「改築記念碑(佐良浜)」第236回 「改築記念碑(佐良浜)」第236回 「改築記念碑(佐良浜)」
【ツヅスキ御嶽 大岩に妖艶に絡むガジュマルが圧倒的です。小石で参道を表現されていたり、日常的に拝まれているので、むやみに聖域には入らず、路地から眺めるのがオススメ】

また、神社前の県道を隔ててあるアダン木に覆われた場所(ちょうど大主神社のバス停がある)は、その脇の細道から接近すると、大岩とガジュマルを中心として綺麗に掃き清められた聖地になっています。ここはツヅスキ御嶽といい、祭神は夫婦神(詳細は未明)といわれており、男子禁足地なのだとか(以前、眺めていたら注意されたことがある)。いわれとして直接、大主神社とはつながりはなさそうですが、道路沿いに隣接して造られた防火水槽のせいで、道路を隔てた大主神社の方向に空間が開いており、御嶽から御獄を見る形になり、大主の“強さ”とか“大きさ”とか“格”が顕れている気がました。
第236回 「改築記念碑(佐良浜)」第236回 「改築記念碑(佐良浜)」第236回 「改築記念碑(佐良浜)」
【左 神社裏の海蝕洞】 【中 鳥居の奥へ(途中、ウジャキニーがある)】 【右 断崖からの眺め。崖の影が切れていることが海蝕洞のあるあたり・・・】

第236回 「改築記念碑(佐良浜)」そうした拝所や御嶽につながるもののとみられる場所が、この大主神社の裏手(海側)にあります。大主神社は琉球石灰岩の崖の上に建てられて降りれ、その海側には大きな海蝕洞があるのです。空中写真や地形図でも、ぱっくり天に向いて口が開いているのが判るほど大きく、この穴へ神社側から降りるのは、アルティメット級のかなりの上級者向け(てか入るのはNGっぽい)になりますが、干潮時に海側からアプロ―チすることができると、海から通じている横穴を見ることが出来ます。
そこまでがんばらずとも、大主神社の鳥居の先の丘を登って、崖上の海際へと出てみてください。あまり知られていませんが、ここからは青い海と珊瑚のリーフが眼下に広がり、宮古島の北部から池間島にかけての一大パノラマを楽しむことが出来ます。
そうそう。このさいだから忘備録的に加筆しておくと、2019年1月に催された写真展「よみがえる宮古島の祭祀写真展(上井幸子写真集 太古の系譜)」のポスターに使われた大主神社の境内(下段)の様子は、圧巻のひと言なのですが、この写真には鳥居脇に建立されている今回紹介している石碑(1985年建立)がまだありません。代わりに現在の手水舎があるあたりに、見たこともない石碑が建立されています。ちなみに、背後の伊良部離島振興センター(2013年解体)は、1978(昭和53)年の完成です。話がそれましたが、この写真は1979年に撮影されているので、この謎の石碑は1961(昭和36)年の時の改築を記念した碑なのかもしれません(写真集にはもうひとつ池間添の漁港付近で行われている祭祀の背後に映り込んでいる石碑があり、こちらは島の人からの聞き取りから消失したことを確認しました~碑の内容は不明)。
第236回 「改築記念碑(佐良浜)」第236回 「改築記念碑(佐良浜)」
取材を終えた帰り道、境内の木陰から一匹の猫がこちらを眺めていました。もしかしたらこれが噂の猫神様かもしれません。だって、賽銭箱の前のコンクリートに、かつてこの大主神社に降臨したと伝えられる、伝説の猫神様のありがたい聖なる肉球痕があるのですもの!。




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