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2019年04月26日

金曜特集 「サトジュンの灯台お遍路旅3」



昨年、11月ぶりに帰ってきました、灯台マニア・サトジュンさん@お遍路派。満を持しての3回目の登板です。今回、サトジュンが語る灯台ネタは、本州の西のはずれ、山口県にある角島灯台です。海士ヶ瀬戸で隔てられた角島は、2000年に架橋され、CMなどにもとりあげられたことから、今では大人気のドライブコース。そんな角島にある素敵な灯台が今回の主役です。それではどーぞー!。

※     ※     ※     ※     ※

『サトジュンの灯台お遍路旅』 (角島灯台@山口県下関市)

こんにちは。
三度の飯より灯台大好きの“サトジュン”です。

灯台ファンで、自称・お遍路派(数多ある灯台をひたすらに巡礼し続ける趣味)として、西へ東へ南へ北へと、国内の灯台を訪ね歩いているだけの私が、灯台好きの勝手な観点から、今回は山口県の灯台・角島灯台をご紹介したいと思います。

本州の西端にあり、山口県のガイドブックでは必ずといっていいほど目にする、青い海に伸びる角島大橋でとっても有名な角島。
そしてそこにある第一等灯台が角島灯台です。

3度目になる今回の訪問は、大阪港からフェリーで瀬戸内を通り、福岡県北九州市の新門司港に午前6時頃に到着しました。
新門司港に上陸後、すぐにお隣の山口県へは向かわず、肩慣らしとばかりに、まずは150キロ南東にある大分県の関埼灯台へ立ち寄ってきました。
そこから230キロ、一気に北上して、山口県の角島へ向かうという超~強引な旅程だったりします(いつものこと)。

2018年7月に中国・四国地方を襲った集中豪雨は、九州北部にも影響を及ぼし、九州自動車道の一部区間が不通となっていたりと、少々時間がかかりながらも、15時頃には関門海峡を渡って山口県へ入ることが出来ました。 

【左 毘沙の鼻にいる、妖しい犬のオブシェ】 【右 たどり着けなかった特牛灯台の入口】

さらに角島へ向かって北上中。前々から行きたかった、本州最西端の「毘沙の鼻(びしゃのはな)」と、明治45年初点灯の「特牛(こっとい)灯台」の2か所にも寄り道します。

本州最西端は、人間のような歯をむき出しにした犬のオブジェに若干恐怖を感じたけれど、この場所を独り占め出来たことに大満足。
次に、特牛(こっとい)灯台。
予想通り、入り口がジャングルと化し、全力で私を拒否しているようだったので、ここはアッサリ諦めました。
今度来る時は冬にしよう。ヤブと化してる可能性のある灯台を訪れるには冬が一番良い。虫もいないし(笑)。

【角島大橋 2000年11月3日開通、全長 1,780メートル 山口県道276号角島神田線】

17時過ぎ、角島灯台へと到着。
既に参観は終了していたので、夕陽に照らされる灯台を眺めながら点灯を待つことにする。

角島灯台は、日本では珍しい男木島灯台(香川県)とここだけの、白く塗られていない無塗装の灯台なのです。
また、第一等レンズと呼ばれる大きなレンズを有した、日本に5基しかない第一等灯台の1基なのです。
灯台の外壁は、山口市秋穂産(と言われる)花崗岩(御影石)、内壁はレンガ造りの二重構造で、このレンガは三重県の菅島灯台のレンガと同じ瓦職人(竹内仙太郎)によって焼き上げられている。
嗚呼、なんて贅沢なんだろう。。。

【左 角島灯台 第一等レンズ】 【右 角島灯台と照射灯】

1876年3月1日初点灯。
R.H.ブラントン設計の日本での最後の仕事となった灯台。

R.H.ブラントンはスコットランド人で、1868年に来日。日本の「灯台の父」と呼ばれ、国内の26基の灯台の建設に関わりました。
建て替えられてしまったものもありますが、前述の菅島灯台も然り、当時のままの姿で19基程が現在も稼働中です(数、合ってるかな・・・)。
その中でも角島灯台はロケーションはもちろん、玻璃板(はりはん)というガラスサッシ部分と中のレンズとのバランス、立ち姿も上品で華やか、
全てが美しいのです。

【角島灯台の光芒 下の光は照射灯】

そして見どころはやはり陽が落ちてからの夜間の点灯。
今回初めて、この灯台の点灯を見ることが叶ったのだけれど、8面の第一等レンズから発する灯光は、想像していた以上に凄かった。 
頭上を次から次へと通り過ぎていく強い光芒に、ひたすら心奪われ圧倒される。
周りにいる鬱陶しいカップルどもなど気にならないくらい、ブラントンの末娘の美しい夜の立ち姿、彼女の放つ光芒にウットリなのです。

灯台の足元にある小屋は、クヅ瀬照射灯といい、沖の岩場を力強く真っ直ぐに照らしている。
この照射灯が照らしている岩場は、開国前、北前船が活躍していたころに海難事故が相次いだ場所だ、と近所のお年寄りが言っていた。 
岩場に近い浜には、ハマユウに囲まれた鳥居が岩場の方に向いて建てられていた。

【左 照射灯が照らす、沖合いにある岩礁、国石(くんぜ)】 【右 龍神社の鳥居。沖の岩礁を向かって建つ】

翌朝、参観開始の時刻に再び来灯。
灯台内部、螺旋階段の壁は板張りになってはいるが、窓部分を見ると壁がとても厚く、二重構造を納得させる。
螺旋の石階段のステップは、年月を感じさせるくらいの擦り減りが見えて、その天井は滑らかな石地の具合が美しい。
石の階段を昇り切ると、レンズのある灯室へ続く鉄製の階段が出てくる。
残念ながらレンズはさらに上にあり、アクリル板で遮られてハッキリと見ることは出来ない。(どこもそうだけど、このアクリル板どうにかならないかなぁ)
身長165cmの私で、灯室外のバルコニーからカメラの手を伸ばせばギリギリ何とか写真には納まる感じ。
灯台ファン視点なので、灯台からの眺めについては割愛。 参観灯台はどこも絶景が拝めること間違いないのだから(笑)。

【左 灯台の階段。すり減り具合が歴史を感じさせる】 【右 階段の天井。螺旋の造形美がたまりません】

そうそう、灯台下の資料館も忘れないで欲しいです。
灯台の退息所(官舎)を資料館として内部を展示。この灯台の出来るまでや、当時の外国人灯台長の生活の様子を紹介しています。
航海の安全だけを願い、トラックやクレーンなどの重機の無い時代に、この場所まで石を運び、灯台を建てた先人達の知恵と情熱と苦労。
灯台にはこうした人々の心と温もりを感じるから夢中になれるのだと思う。

次回は灯台近くのキャンプ場で、焚火をしながらビールを片手に、星空と灯台のコラボレーションを楽しんでみたいなぁ。

【左 灯室へと上がる階段】 【右 バルコニーから撮影した第一等レンズ】

ここから少々、脱線。角島から日本海側に沿って北東へ行くと、青い海をバックに赤い鳥居が並んだ、近年人気のスポット、「元乃隅稲成神社」もあり、北長門はドライブコースとしてはなかなに最高です。ちなみにこの神社がある半島の名前は、「向津具(むかつく)半島」といったりします。。。
ともあれ、灯台も、神社も、心を落ち着かせて訪れましょう。

【元乃隅稲成神社(もとのすみじんじゃ)】

それではまた、何処かの灯台でお逢いしましょう!

『参観灯台への心がまえ』
一、灯台内にトイレやエレベーターはなし。
  事前にきっちり用は済ませ、階段を登る体力を温存しておきましょう。
一、小銭で200円を用意しておくべし。
  参観灯台は200円の寄付で成り立っています。釣銭のいらぬよう努めましょう。
一、記念スタンプも楽しむべし。
  スタンプ蒐集家でなくとも、訪問の記念になるのでスタンプは押しましょう。
  最近は参観灯台用のスタンプ帳(150円)も置いてあります。


【サトジュンの灯台お遍路旅】
観音埼灯台@神奈川県横須賀市 
平安名埼灯台@沖縄県宮古島市  続きを読む


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2019年01月11日

[新春特番] ATALASネットワークpresents  新春放談2019


            謹んで新年のごあいさつを申し上げます
            本年もかわらぬご愛顧のほど     
                     お願い申し上げます


ATALASネットワーク
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改めて、新年のごあいさつを済ませたところで、今年もやります。
ATALASネットワーク新春恒例の「新春放談2019」。今年は無謀にも「歴史と文化と民生ITの融合」を目指す初夢チャレンジでのトークライブ(の収録)を実施しました。インフルエンザに罹って参加できなかった江戸之切子(「島の本棚」主幹)も、もしかしたら参加できたかも知れない画期的なシステムを考案したつもりでした。
東京と宮古島をSkypeで結び、Googleドキュメントの音声入力をドッキングさせ、パソコンにすべてを自動筆記させる。という発想までは非常に素晴らしいシステム化だったのですが、年明け前に、若干挫折。いや、完全に挫折・・・・2020年に乞うご期待!
ということで、こんなこともあろうかと準備しておいた、文明の利器たる「ボイスレコーダー」からの音声書き起こしで、今年のテキストライブはお届けします。過年の“万字堅め”には及ばないと思いますが、新年の初笑い(?)としてヲタのしみ下さい。
出演者
 【優】 宮国優子:ATALASネットワーク フロントマン&「Ecce HECO.(エッケヘコ)」裏座担当
 【片】 片岡慎泰:「Ecce HECO.(エッケヘコ)」一番座担当
 【ツ】 ツジトモキ:「続ロベルトソン号の秘密」ライター
 【モ】 モリヤダイスケ:「んなま to んきゃーん」ライター&ATALAS Blog編集室
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2018年12月09日

日曜特集 「リトケイ シマナイト2018」レポート



ATALAS Blog 日曜版です。
今週は12月第2週ですので、いつもなら扇授沙綾(せんじゅさあや)さんのゆるやか島ライフコラム「島旅日記~八丈島と、フラクタルの魔法」の掲載日(通常は第2・第4日曜に更新)ですが、先月末の宮古島で開催れた「方言サミット」に八丈島から出席されるなど、精力的な大移動をされており、楽しみにしている「方言サミット」のレポートは諸般の事情から、来週(第3日曜)に繰り越しさせていただくことになりました。
変わって、別のイベントレポートが東京サイドから飛び込んできました。こちらもなかなか興味深いイベントです(行けるものなら行ってみたかった)。
と、いうことでATALAS Blog 日曜版 「日曜特集」の登場となりました(トップバナーは、金曜特集の看板を借りて手を入れました)。では、どーぞー!


※     ※     ※

日曜特集 「リトケイ シマナイト2018」レポート

こんにちは。宮国優子です。

先日、離島専門メディア『離島経済新聞(リトケイ)』、『季刊 ritokei』を発行する離島経済新聞社の8周年を記念イベントでプレゼンをしました。
リトケイ読者・サポーター・島ファン・島々の方が一堂に会して・・・ってことは、思い切り人がいっぱいいる!!と恐怖しましたが、自分たちの活動の根幹の部分を話す機会も少ないので、喋ってまいりました。

会場は、千代田区紀尾井町にあるヤフー株式会社 オープンコラボレーションスペース「LODGE」などという、超おしゃれなスポット(言い方がすでに古い、笑)で行われました。

で。
いろいろ考えた結果、何故か映像を作ってしまいました。
 ※動画はおよそ1分ほど。【音量注意】

そして、プレゼンですが、こんな感じでした。実は頭が真っ白になって覚えていません。石碑やロベルトソン号の話もした気がします。

一枚目、これは、あくまで今までの私を中心にした流れを説明しました。みなさん、見入ってくれたようで、眼差しが熱かったです。何を自分がしてきたか、まとめるいい機会になりました。そして、どのような人が関わっているかなどなど、説明をしました・・・いや、した気がする、笑。

そして観光客数のお話をしました。すごくない、宮古!こんな伸び率ってあるかいな。「島を旅立つ君たちへ」の活動を始めた時、私は非常に危機感を感じていました。それは「読めば宮古」の時もそうでした。
なんだろう。なんかしなきゃ!なのです。動けば、人とつながり、相談しながらここまで進んできたかんじです。勿論、私は旗振りなだけで、いろんな人の助力を借りながら、ひとつずつ、進んできた感じです。

ここも書いてあるとおりです。私は、自分が「つなぐひと」でありたいと願っています。ですが、どぅすでもあり、うむくとぅむぬのときもあります。実は、誰もがそうなのではないかと思います。時と場合によって、人は役割を変えるのです。

これって、めちゃくちゃ島的だと思うんですよ。

岡本太郎も著書「沖縄文化論」でいっていたさいが。

「民衆はどんなに苦しくとも、その本質において明朗であり、透明なのだ」

最近、マイブームです、笑。透明って言葉が、私はなんだかぴったりくるなぁと思っているのです。透明なことは、何色にもそまらない。ただの透明。それこそが、島の本質で、生活感情とも結びつくような気がしています。

長々となりましたが、そんなこんなでベラベラ喋ってきました・・・。つい最近のことなのに思い出せない自分が怖い。いや、だいずどうぐりー(恥ずかしい)かったのですよ、そうなんです!ってわけで、透明になりたい島人、宮国優子でした!

そして、宮古の後輩の平良英之くん(合同会社東京都沖縄区)が、意志をひきついで、次のステップに踏み出しました!
東京都沖縄区~島を旅立つ君たちへ~


「リトケイファン感謝祭 シマナイト2018 ~」
リトケイファン感謝祭 シマナイト2018 「島の未来づくりパーティー」
http://ritokei.com/ritokeiinfo/12972
(2018年11月15日に開催)

『離島経済新聞社』 / 有人離島専門フリーペーパー『季刊 ritokei』
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2018年11月30日

金曜特集 「サトジュンの灯台お遍路旅2」



今日は11月第5金曜日。ゲストライターさんに登場いただく、スペシャルウィークです。今回は先日、「サトジュンのお遍路灯台お遍路旅」として華々しくATALASにデビューした、灯台マニア・サトジュンさん@お遍路派のまさかの2回目!。
今回、サトジュンが語る灯台ネタは、待ちに待ってた出番が来たぜ~吾らが平安名埼灯台です。それではどーぞー!。

※     ※     ※     ※     ※

『サトジュンの灯台旅』 (平安名埼灯台@沖縄県宮古島市)

灯台ファンで、自称・お遍路派(巡礼だけでウンチク知らず)の私が、灯台マニアの視点から憧れの平安名埼灯台のご紹介を。

沖縄に縁の無かった私が、宮古島に行くきっかけとなったのは宮古島に住む友人が放った、
「池間大橋を渡ったら、美しさに感動して軽く死ねるよ」のひと言。

伊良部大橋の開通イベントに合わせての来島だったので、翌日は伊良部島へ渡る最終日のフェリーにもちゃっかり乗船出来たし、衝撃の飲み物ピンクい「げんまい」なるものをいただき、佐良浜漁港も堪能。
灯台とはあまり関係無いけれど、初めての沖縄・宮古島にかなり興奮。

初めての宮古島は時期的にも生憎の雨模様だったけど、多分灯台に着いた時には雨が上がっていたと思う。
灯台を目指し、その灯台が見えてきた瞬間が何よりも興奮を覚えるのだけれど、平安名埼灯台も見えた瞬間に心が躍り始めた。
岬に入る前手前の道から見えてくる、小さく見える白い灯台。 ドラマチックだ。

【左 1967(昭和42)年の初点のプレート】 【右 入口に掲げられている、1983(昭和53)年の改修時のプレート】

灯塔は観音埼灯台と同じく八角柱。
六角柱や八角柱は大正に建てられた灯台に多いらしいが、この灯台は昭和に建てられた。
1976(昭和42)年の初点当初は、琉球政府の管理する「東平安名埼灯台」だったが、本土復帰時に海上保安庁に引き継がれ、「平安名埼灯台」へと改名された、沖縄ならではの歴史ある灯台。
(詳しくは、「んなま to んきゃーん」第33回「灯台の碑」を参照されたい)
琉球政府の名残は、灯台に入って直ぐ右側の壁にある記念銘板(初点プレート)から察することが出来る。「東」の黒い色が消されているのだ。

平安名埼灯台の魅力は、青い海とのコントラストと、南の果てを彷彿させるダイナミックな景色。上がれば下の岩礁がよく見え、岬の入口の高台から見ても美しい岬の先に佇む灯台が最高に絵になる。よく晴れた日の限定だが、マニア的には灯台のシルエットも要チェックだろう。

【左 白レンズ(燈室中から)】【中 赤レンズ(バルコニーより)】 【右 レンズの真下】

灯台内部は他の灯台と同じく螺旋階段になっている。 古い灯台の場合はその灯台の中心に「分銅筒」と呼ばれる空洞の柱がある。
これには、かつてはレンズを回すための巻き上げ装置に繋がる重り(分銅)が入っていた。
昭和42年から点灯開始となると初めから電化されていたのか、分銅筒はなく、レンズ下の空間が広くなっている。
巻き上げ装置については、千葉の犬吠埼灯台の資料館に展示されているものがあるので機会があれば見ていただきたい。

レンズは下から覗くことになるが、見やすい位置にある。設置されているレンズは、フレネルレンズではなくサーチライト的なLU-M型。 
残波岬灯台や和歌山の友ヶ島灯台と同じ灯器で、これはこれで迫力がある。

現在の灯台はどこも光を感知するセンサーが設置されていて、陽が落ちると点灯を開始、陽が昇ると眠りにつくのだけど、宮古島は日の出が本州より遅いため、ちょっと早く起きれば20秒ごとに赤と白が交互に光る灯台と一緒に、ご来光を拝むことも出来る。
霧や湿度がある夜は、真っ直ぐに光芒が伸びているのが見えて益々カッコ良い。
もちろん夕陽で白い灯塔が染まる姿もロマンチックであることは言うまでも無い。

【左 城辺郵便局の風景印】 【中 灯台脇の三角点】 【右 城辺地区の農漁業集落排水マンホール】

また灯台から降りた後も、灯台ファンとしては色々と忙しい。 
灯台周辺の地区においては、城辺郵便局の平安名埼灯台の風景印や、灯台がデザインされたマンホール蓋などもある(Google Street View)。

この灯台で、わたし的に気になるのは、バルコニーを支えている補強なのか、バルコニーすぐ下のあたり、灯台内側の縦に長い白い物体が幾つかある。これが一体何なのか?(単なる補強か?)
それと入口の上、現初点プレート上の塗りつぶした跡。
昔の、入り口の内側にあるプレートが元々あった場所なのか?。
お遍路派なので、敢えて謎は解明しないけど。

ちなみに訪問直後、今年の初めに改修工事を行っているため、灯台からの眺望が変わっている模様。灯台内部も改装が入ると聞いたので、もしかしたらプレートの位置が変わっているかもしれない。

それでは何処かの灯台でお会いしましょう。
『参観灯台への心がまえ』
一、灯台内にトイレやエレベーターはなし。
  事前にきっちり用は済ませ、階段を登る体力を温存しておきましょう。
一、小銭で200円を用意しておくべし。
  参観灯台は寄付金で成り立っています。釣銭のいらぬよう努めましょう。
一、記念スタンプも楽しむべし。
  スタンプ蒐集家でなくとも、訪問の記念になるのでスタンプは押しましょう。
「サトジュンの灯台お遍路旅」
観音埼灯台@神奈川県横須賀市(2018年10月30日)  続きを読む


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2018年10月30日

火曜特集 「サトジュンの灯台お遍路旅」



本日のATALAS Blogは、いつものあの“石碑”の奴ではなく「火曜特集」です。ATALASの特集は通常では金曜掲載ですが、色々あっての火曜特集となりました(10月5週目火曜でもある)。掲載を決めたものの看板を作ってなかったので、金曜特集を借りた仮設タイトルです。ごめんなさい、次回までには・・・。
でもでも、本日お届けするのは、ATALASの旅モノの新機軸、灯台にフォーカスを当てたなかなか濃いめの旅モノです。ライターは全国津々浦々の灯台を目指す、「自称、灯台ファン・お遍路派」のサトジュンさん(from 横浜)です。
宮古島は大海原のただなかにある島なので、流通の大半を海運に依存しています。海をゆく船の道しるべである灯台の恩恵を受けていることは、誰もが馴染み知るところです。
それなのになぜ今、灯台なのか。実は今、灯台がとても熱いのです。今年2018年は日本に灯台が築かれて150年目。さらに来月、11月1日は「灯台記念日」という、そんな絶妙な推しのタイミングに彗星のごとく現れたサトジュンさん。これはもう、まずがーと、名刺がわりの1本をお届けするしかありません。ということで、タイトルど~ん!。


『サトジュンの灯台お遍路旅』(観音埼灯台@神奈川県横須賀市)

こんにちは。
三度の飯より灯台大好きの“サトジュン”です。

灯台ファンで、自称・お遍路派(数多ある灯台をひたすらに巡礼し続ける趣味)として、西へ東へ南へ北へと、国内の灯台を訪ね歩いているだけの私が、おこがましくもこの場を借りて灯台について語らせて頂くことになりました。

まず、一番最初に知って頂きたいのは、日本の洋式灯台が、今年の灯台記念日2018年11月1日で150年周年を迎えることです。9月には「灯台150周年」の記念切手も発売されました。
なにをもって150年かというと、神奈川県横須賀市にある観音埼灯台の工事起工日、明治元年11月1日が150周年のはじまりなのです(点灯開始は翌年の1869年だけど)。

【観音崎灯台 全景】
このように多くの灯台は記念銘板(初点プレート)を持っていて、そこには初めて灯台に灯りが点された年月日が刻まれています。
ちなみに観音埼灯台の初代の銘板は、灯台横にある横長の1メートルくらいの石で、おしゃれにもフランス語併記で刻まれています。

ということで、灯台好きの自分勝手な観点から、地元神奈川県の観音埼灯台をご紹介します(実は観音崎灯台というのは、能登半島と石垣島にもあるんです^^;)。

現在の観音埼灯台は、1925(大正14)年に再建された3代目のコンクリート造りとなっています。
初代の灯台はレンガ造りで、フランソワ・ヴェルニーというフランス人技術者により建てられましたが、1922(大正11)年に地震で被災したため取り壊しとなります。
翌年、2代目のコンクリート造りの灯台が完成しますが、1923(大正12)年の関東大震災で倒壊しています。
そうえいば横須賀にヴェルニーの名前の付いた公園がありますね (いつかは行きたい)。



【上から、フランス語併記の初代、2代目、3代目の初点プレート】

倒壊と改築の歴史については、灯台入口の初点プレートからも読み取ることが出来まして、灯台の入口上部に一番新しい3代目のプレートが、内側の螺旋階段の入口上部に2代目のプレートがあります。特に3代目には「震災改築」の記載もあって、2度の地震で倒壊し再建されたことが判ります。

灯台の入口の前に広がるスペースは、灯台職員の官舎が建っていた場所であり、その一角に大正天皇の皇后・貞明皇后の行啓訪問を記念した碑も建てられています。
皇后は灯台職員を労うために、国内のいくつかの灯台を訪れていたようで、三浦半島の剱埼(つるぎさき)灯台にも同様の碑があります。

灯台ファンたち(ほぼ中高年)は、映画「喜びも悲しみも…」でお馴染みの海岸の遊歩道から、灯台へ続く階段を息を切らせながら上がり、絶景には目もくれず敷地内へ行き、かつての官舎跡を妄想し、灯台に昇り、灯室内やバルコニーからレンズを眺めます。
どこの灯台に行っても、まず景色よりレンズに目を向けているのは、コアな灯台ファンと思って間違いないでしょう。
知識不足で上手くは語れないけど、確かにフレネルレンズは美しいと思うし、見てほしい推したいポイントでもあります。

【2代目バルコニーの残骸と、横須賀製鐵所の刻印がある煉瓦(発掘)】

そして彼らは灯台と灯台資料館を堪能した後、潮の引いた磯へ降りて行き、砂に埋まった初代の観音埼灯台のレンガを探し、2代目のバルコニーの残骸に触れてノスタルジーに浸るのです。

この灯台の魅力は、浦賀水道を一望出来る眺望はもちろん、小ぶりながらも貴重なフレネルレンズを超間近で見学できる参観灯台(いわゆる施設に入れる灯台のこと)であることや、初代と2代目の面影を現灯台下の磯に見ることが出来ることなど、歴史を肌で感じられるところにあります。

また対岸には房総半島の眺め、さらに東京湾に入るすべての船舶を見おろすロケーションにあるので、第一・第二海堡(明治大正期に東京湾防衛のため構築された人工島)、横須賀に入る潜水艦や空母の類はもちろん、横浜や東京に入るクルーズ船やタンカー、時には南極観測船「しらせ」なども見ることが出来る(偶然だったけど)ため、船舶ファンにも人気のスポットとなっています。

【左:たたら浜から遊歩道に向かうトンネル 右:灯台近くの砲台跡】

灯台の周辺は県立公園となっているため、たたら浜のゴジラの足跡を見たり、古の砲台跡を散策したり、地層を見学したり、磯遊びやBBQを楽しむなど、思いのままに一日過ごせたりします。

ちなみに灯台の本領発揮は陽が落ちてからの点灯となるわけですが、観音埼灯台の点灯を眺めるには、若者がたむろする公園入口のロータリーを通過し、街灯はあるものの、ほぼ真っ暗な道を進んでいく必要があるため、一人で行くのはかなり勇気が必要です。

私のイチオシの見方としては、夕暮れ時の東京湾フェリー(金谷-久里浜)からの眺め。
夕陽をバックにした富士山のシルエットに加えて、観音埼だけでなく剱埼、城ケ島、洲ノ埼(千葉)の各灯台も点灯を開始するため、とてもテンションが揚がります。
たとえば、千葉をツーリング(ドライブでも可)した後に、フェリーで久里浜に帰ると神奈川の灯台が一斉に「お帰り~!」と迎えてくれる…そんな感じ。
これはもう乗船中ずっと甲板にいるしかないのです。

【左:沖縄からはるぱる東京湾までやって来たA_LINE(白い貨物船) 右:偶然現れた、南極観測船しらせを見送る】

観音埼灯台のような参観灯台と呼ばれる、「のぼれる灯台」は日本に16基あり、2018年6月から、青森の尻屋埼灯台も仲間入りしました。
沖縄では平安名埼灯台と残波岬灯台の2基、参観灯台があります(入道埼と尻屋埼は冬期間はお休みになります)。

是非、海に近くにお出かけの時は灯台を探してみては如何でしょうか?
灯台は船舶の航行はもちろん、陸から目指す者達も暖かく迎えてくれます。

それではまた、何処かの灯台でお逢いしましょう!

『参観灯台への心がまえ』
一、灯台内にトイレやエレベーターはなし。
  事前にきっちり用は済ませ、階段を登る体力を温存しておきましょう。
一、小銭で200円を用意しておくべし。
  参観灯台は寄付金で成り立っています。釣銭のいらぬよう努めましょう。
一、記念スタンプも楽しむべし。
  スタンプ蒐集家でなくとも、訪問の記念になるのでスタンプは押しましょう。


【灯台のいろは】(clickで拡大します)


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2018年08月31日

<グルメレポ> 宮古島名(迷)物サルテンポッカ



宮古の名物料理といえば? いろいろな答えが出そうな質問だが、私は断然サルテンポッカを挙げたい。
沖縄本島で暮らしていた頃、あちこちの食堂に入ったが、メニューとして掲げられているのを見たことがないし、八重山で食べたという話も聞いたことがない。ネットで「サルテンポッカ」で検索すると、ほぼ宮古に関連するものしか出てこない。宮古名物とは思われていない密かな宮古名物の料理、それがサルテンポッカではないだろうか。

【れりあんのサルテンポッカ】

冬のとある雨の夜、宮古空港に着いた私は、迎えに来てくれたM氏の「夕飯のご希望は?」という問いかけに「何はともあれサルテンポッカ」と答えた。ちなみに当方の希望は「たいよう」、しかしM氏は即座に「時間的に厳しい」と答え、至極冷静に「れりあん」を候補として挙げた。我々は話し合った結果、今晩の夕飯は「れりあん」、明日の昼食は「たいよう」と決めた。こうして24時間に満たない短い宮古滞在の3食中2食が、サルテンポッカとなったのである。

『れりあん』
西里通り、琉銀の向かいの「れりあん」は、不思議なお店だ。看板には「カラオケ」「喫茶」とあり、2階へ上がるといかにもカラオケボックス然とした受付がある。喫茶は、といえば、奥に入ると通りに面して大きな窓という、今どきありそうでないしっかりした喫茶店の佇まいで、カラオケと同居というのが不思議な気がしてくる。喫茶と言いつつフードメニューも充実していて、メニューの最下段には燦然と輝くサルテンポッカの文字があった。ちなみに一番高いメニューでもある(1000円)。ガタイの良いお兄さん注文すると、しばらくして厨房から何やら調理する音とともに「ジュワッ」と揚げる音が聞こえてきた。もうお腹が空いて我慢できない。

程なくして、まずソースが配膳された。しばらく待ってサルテンポッカ登場。早速ソースを掛けて一口いただく。チーズをベーコンで巻いて、さらに薄切り肉を巻き、衣をつカラッとやや硬めの挙げ具合。酸味のあるソースの味と相まってしっかりした食感の、あのお兄さんのガタイそのままの、硬派な味わいだった。もっとも厨房を担当するは別のおかあさんなのだけれど。さて、この店の特徴は、ソース。ウスターソースともいえない、もっと酸味があるサラッとしたソースをサルテンポッカにかけて食べる。後述する「たいよう」との最大の違いはこのソースで、和食化したフライではなく、硬さと酸味がより本来のカツレツ的な味わいにしている気がする。


『たいよう』
サンエーオリタ店の裏手にあるうなぎ屋さん「たいよう」。初めてこの店を見つけたのは、宮古を初めて訪問した時なのだが、普段うなぎを食べないのなぜ入ったのか分からない。しかもサルテンポッカを食べているのでうなぎ目当てでもなかったはずだ。しかし、この店との出会いがなければ、私はサルテンポッカとも出会わなかった。メニューを見て「サルテンポッカとは?」と聞いたはずだが、なんと教えてもらったのかは覚えていない。たしか「イタリアの料理で、薄切りの肉とチーズを揚げたもので…」という回答で、サルテンポッカを知っていれば納得の答えだが、当時何も知らなかった私は更に疑問が深まったので「ではサルテンポッカを…」と注文した記憶がある。

さて、「たいよう」のサルテンポッカは、ミルフィーユのように重ねられた薄切り牛肉と濃厚なチーズとベーコンがやわらかくフワっと揚げられており、そこにデミグラスソースがかけられている。ああ、確かにこの濃厚さはイタリアだ、と妙に納得するものである。だが、これがまたクセになるのだ。ちなみに、盛り付けもやや高級感があり、その分お値段は張る(1350円)。味わっていただこう…と思うのだが、濃厚なのに箸が進む。油っぽさが鼻につくなら、もずくと味噌汁で口直しをすればいい。また再び美味しくいただける。こちらはよりトンカツに近い味わいと言えるだろう。(なお、今回「たいよう」で、なぜサルテンポッカをメニューに? と聞いたところ、娘さんらしき方から「これにはとっても長い話があるんです」と。いつか、この長い話もお聞きしたいもの)

【たいようのサルテンポッカ】

総評
「れりあん」があっさり味なら、「たいよう」はこってり味という趣き(そもそもサルテンポッカ自体がこってりだが)。同じメニューでありながら、両者は揚げ方からソース、そのかけ方まで逆なのが興味深かった。もちろん、私にとっては初めて食べた「たいよう」こそがサルテンポッカの標準なのだが、「れりあん」独特のソースと硬めの揚げ方も捨てがたい。どちらが美味しいのかは難しいところだが、M氏と私で逆の評価となったことだけは記しておこう。

後日、M氏に宮古にあるイタリアンレストラン「ドンコリism」のブログに、サルテンポッカに関する記述がある、と教えてもらった(「どんこりブログ」 2012年11月12日)。当該部分を引用すると、
「Saltinbocca alla Romana ローマ風サルティンボッカ ん!?と思った人、ハイ正解! 宮古で見かけるサルテンポッカの原型だと思われますよ、てかそうです。イタリア語の意味はsalto=飛び込む、in=中に、 bocca=口【口の中に飛び込んでくるほど美味しい】なんとも食べたくなるネーミング」
とのこと。さすがのお答えで、これでサルテンポッカの”身元”が判明した。ぜひ次に宮古を訪ねる機会には両者を食べ比べたい。なお実際にイタリアで食べた人の話では、「手軽に出来て簡単に食せる一口おつまみ」らしい。

フライやカツという食べ物は不思議な食べ物で、本来西洋料理なはずなのに、トンカツ店も得てして和風の店構えで、いかにも和食という扱われ方をしている。イタリアのサルティンボッカが、なぜ宮古でサルテンポッカに変わったのか、今の時点では分からない。だがトンカツがまるで和食の顔をしているように、宮古のサルテンポッカはこれからも宮古の食べ物であり続けて欲しいと思う。


【店舗情報】
「カラオケ・喫茶  レリアン」
営業時間 喫茶 10:00~23:00
     カラオケ 月~木・日/10:00~25:00 金・土/10:00~27:00
電話番号 0980-72-6768
所在地  沖縄県宮古島市平良字西里233-2F
定休日  無休


「うなぎ たいよう」
営業時間 11:00~13:30 18:00~21:00
電話番号 0980-72-9445
所在地  沖縄県宮古島市平良字下里637-1
定休日  不定休  続きを読む


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2018年03月30日

金曜特集 「綾道-平良北/松原・久貝-」発刊!


宮古島市教育委員会で発刊する、島の歴史を散策を楽しみながら知ることが出来る無料のガイド冊子、「宮古島市Neo歴史文化ロード」シリーズの7冊目となる「綾道(あやんつ) 平良南/松原・久貝」コースが、完成したとの情報を得てましたので、スクープ並みの猛速でご紹介させていただきます。そして「綾道」プロジェクト(?)の更なる発展を勝手に応援したいと思います。

「綾道」はこれまで、「砂川・友利」「平良北」「下地・来間」「宮国・新里」「伊良部」と、「戦争遺跡編」の6冊が発行されています。A5サイズで持ち運びにも便利で、見ても楽しい散策マップも充実しています。小難しい歴史の紹介なども、イラストと写真をふんだんに使ったフルカラーで、かなり判り易く紹介されています。

そんな「綾道」シリーズの最新巻「平良南/松原・久貝」コースは、1冊で2度おいしい平良南コースと久松コースがセットになっています(62P)。
平良南コースは先行して作られていた東・西仲宗根を中心とした平良北コースと対をなす、平良市街地の南(西)側の史跡を中心に、名所旧跡をモデルコースで紹介しています。
北コース同様に市役所を起点とし、ニーマトゥクルザー御嶽(与那覇勢頭の屋敷跡に由来する御嶽)から、本村家「報本」碑、アツママー御嶽、東原御嶽、平良第一小学校の旧正門と石垣(あわせて宮古高校旧正門と宮高女の跡地の碑も)、ツヅピスキアプ(南小そばの洞穴)、カママ嶺公園の石碑群、ピキャズ、大立大殿みゃーか、西ツガ墓などを巡ります。
また、これに加えて平良の“字”の話、市場と通りの話、馬場団地の謎、宮古島のサトウキビ栽培の発祥の地など、面白いコラムも充実していて読み物としても楽しむことが出来ます。

久松コースは、久松漁港をスタート地点として、集落の最大の祭祀である海神祭の紹介(ハーリー・獅子舞・角力)を紹介し、ウプドゥマーラ御嶽と五勇士の碑をから旧海岸線をだどりながら、久松みゃーか、ウプザー御嶽(ンムヌ主)、クジナ御嶽、ミヌズマ(古井戸と大規模な集落遺跡)、スキラマダニアーズ御嶽などを取り上げています。また、松原・久貝と久松と野崎の関係が判る話、伊良部や下地・来間とつながりが見えてくる話、島の英雄の陰に野崎嫁ありというような話など、思わず「へーっ」と云いたくなる話題が色々と詰まっています。

こうした地元の歴史や文化を深く掘り下げて、地域に寄り添った素晴らしい取り組みは、単なるガイドブックにとどまらず、理解の難しい歴史や文化に対する入門書的な役割りもになっており、他の市町村ではなかなか見受けられないモデルなので、ぜひ、これを宮古島モデルとして“売り”にすれば、リゾートだけじゃない島の楽しみ方を大きく広げることになる力を秘めた、素晴らしいコンテンツなのではないかと注目しています。

尚、今後の事業計画としては、2019年度は「城辺」(既存の砂川友利を除く)が予定され、その後は「上野」「池間・狩俣・大神」が計画されているそうですが、勝手な感想ですが、さすがに残りの城辺地区をまるっと1冊にしてしまうには、ボリュームがありすぎるような気がします。「綾道」は地域を深く知る機会が得られるだけでなく、“島”の小さな文化を知る手立てにもなっており、とても魅力的で素敵な事業だと思います。現に一部では高く評価されていますので、地域編の区割りをもっと細かくしてもいいのではないでしょうか。
また、戦争遺跡編のようにテーマを絞ったりしても面白いのではないかと、勝手に妄想します(たとえば人頭税を巡るコースとか、ロベルトソン号と博愛とか…色々ネタはあると思う)。また、インパウンド景気にも湧いている今なら、気軽に回れるショートコースを多言語化するというのもありかもしれません。

さらにこの事業がなにげに凄いのは、紙モノだけでなく、スマートフォンアプリにもリーチしていることです。残念ながらまだ、すべてのコースがそろっているわけではありませんが、市教育委員会でそこまで多角的に編成しているような自治体は、あまり例がないのではないでしょうか。早くこちらもすべてのコースがラインナップされて欲しいものです。
欲をいうなら、電子書籍向けにPDFの配信などもしてくれたら、印刷代もゼロですから増刷の手間もなくていいのではないでしょうか?(残念ながら、既存コースの一部が欠品しているようです)。
最後に野望を込めて・・・。ただ読んで楽しむだけでなく、使い手側も市と一緒に宮古島モデルの「綾道」を盛り上げて、世界標準通級の歴史文化の入門ガイドブックとして、島を広くアピールするフラッグシップコンテンツに、これを推してしまうというのはどうでしょうか!。

※「平良南/松原・久貝」コースは、4月頃から市内の各所にて配布される事になると思われます。

【トピックス】
宮古かいまいくいまい シーズン2
その10「島の地図、塗り替えてます!? 光さんの綾道(あやんつ)」(2017年05月26日)
現地まで足を運んで、「綾道」のイラストを手掛けている山田光さんのお話。

【宮古島市neo歴史文化ロード宮古島市教育委員会公認アプリ】
https://miyakojimabunkazai.jp/
(モリヤダイスケ)
  


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2018年03月23日

金曜特集 「ホントはこわ~い宮古島!?」



第4金曜の金曜特集は、いつもなら松谷初美さんの「宮古島四季折々」ですが、諸般の事情から今月はおやすみです。
今週の金曜特集は久しぷりの登場となる、“きくちえつこ”さんのスベシャルコラム、「ホントはこわ~い宮古島!?」です。なんかちょっと妖しいタイトルで、とっても気になりますねぇ~。それではお楽しみ下さい!。

※     ※     ※     ※     ※

宮古島は神の島とよく言われます。島内には1000を超える御嶽(うたき)があり、神が宿る神聖な場所として、地域の人々が大切に守っていますし、昔ながらの祭祀を変わることなく続けている集落も少なくありません。だからでしょうか、島には「カンダカイ」人、いわゆる霊感の強い人も多いのです。
神や霊の世界と人々が近いというその証拠に、宮古島にはたくさんの「マズムヌ」にまつわる話があります。沖縄本島では、ガジュマルの木に住むいたずら好きの妖精、キジムナーが有名ですが、マズムヌとは幽霊、悪霊、お化けのイメージに近く、キジムナーより、だいぶ禍々しい存在のようです。
宮古島でもひときわ霊力の強いといわれるユタのひとりは、「宮古島ふしぎ発見 続・ぴるます話(かたりべ出版)」という本の中で、霊の中にも弱いものと強いものがいて、弱いものはユタに姿を見られるだけで、ガタガタ震え、病気になってしまうと言っています。霊も病気になるというのがすでに驚きですが、なによりやはり世の中は、目に見える世界と見えない世界が、複雑にからみあっているようです。

では、人はマズムヌにどんな目に合わされてしまうのでしょう。伊良部島の I 氏は、普通の人よりちょっとカンダカイ体質。「幽霊やお化けの存在なんて信じない。そんなものはみんな錯覚、幻覚、幻聴だよ!」と、超リアリストを自負し、理屈にあわないことは否定しようとするのですが、体質柄か、いやでも不思議な体験をしてしまいます。
「前浜漁港に夜釣りにいったんだけど、ぜんぜん釣れる気配がないからもう帰ろうとした。夜中の12時くらいだったかな。車に乗り込み、エンジンかけると、助手席に誰かがいる。あれ?っと思ってそーっと横目で見ると、髪が肩くらいまである女性。しかも、全身びしょ濡れというド定番のあれ」
そんなはずがない!と思いながらも、 I 氏、大パニック。咄嗟について出た言葉は「すみません、降りてもらえませんか!」。 I 氏のお願いが通じたのか、女性の姿は、その瞬間にすーっと消えました。助手席のシートに手を伸ばし、恐る恐る触ってみると・・・濡れてない!たった今までびしょびしょの女性が座っていたのに、しずく一滴落ちてない。巷でよく聞くタクシーの運転手さんが遭遇する幽霊だったら、座席シートはびっしょり濡れてるはずなのに。「だからまあ、気のせい気のせいと思ったんだけどね。この後、家に着くまでがめっちゃ怖くて、バックミラーを何回見たか」
幽霊なんて存在は絶対認めるものかと思いつつ、かといって自分が見たものの正体の説明もつかず、かわいそうな I 氏は恐怖に震えるばかりなのでした。しかも、その話には続きがあって、それから間もなく、彼は追突事故を起こしてしまいます。すると知り合いのユタさん曰く、「助手席に女の人が座っているさ」。 I 氏、思わず叫びました。「え?ずっといたんですか!?」。すぐにお祓いをし、お清めの塩を車につるし、以来、何事もなく過ごしているそうですが、リアリストとしては、どこか敗北感がぬぐえないようです。

海辺でマズムヌに遭遇するという話は少なくありません。海難事故で亡くなる人も多く、浮かばれない霊が浮遊しがちなのでしょうか。これからお話しする砂山ビーチの謎の足音も、もしかするとそんな霊たちの嘆きなのかもしれません。
それでは、前述の I 氏が語る〝稲川淳二風″砂山こわ~い話をお届けします。

【砂山ビーチの謎の足音】

これね、私の後輩の話なんですけれど。高校時代に仲間たちと砂山ビーチに酒を飲みに行ったっていうんですよね。あ、もうね、時効ですからね。まあ、高校生が酒もって、バカだから砂山までタクシーで行っちゃったわけです。運転手さん、通報したんでしょうね、警察に。

間もなく砂山の駐車場に警官がやってきた。懐中電灯を、こう、ぱーっと照らして「おーい、誰かいるか?」と。もう慌てたのは高校生ですよ。みんなバラバラーっと逃げましてですね。私の後輩も、石垣の隅っこに小さくかがんで、こう、ジーっと身を隠して息をひそめていたそうです。

「警官が私の上をまたいでいった」と。よほど怖かったんでしょうね。捕まったらたぶん停学、親の顔も浮かぶ。もう生きた心地がしない。まあ結局、誰も捕まる事なく、警官もあきらめて引き上げていったんですけどね。

気が付くと、ひとりいない。大声で名前呼びながら、みんなで探してもどこにもいない。海の方に逃げたかもしれないということで、みんなで浜辺を探しました。砂山の隣のビーチですね、潮が引いている時は歩いて行けるんですが、その岩場の隙間にいたわけです。身をかがめて。

「おい、もう大丈夫」そう声をかけるんですが、その子はただ、じっと身体を固くして身動きもしない。もう一度「おい」と言って肩を叩いたら、「うわーーーーっ!!」と、もう、ものすごい形相で叫び、大暴れするんです。

落ち着いてから話を聞くと、その子は警察から逃れるために、いち早く浜の方へ。近くじゃ見つかると思い、潮が引いたところを歩いて奥へ奥へと走った。岩陰に隠れていると、ザッ、ザッ、ザッと砂を踏む足音が近づいてくる。警察だ、捕まる!と思い、ますます岩影に身をひそめた。

ザッ!目の前で足音が止まった。がしかし、その後何も動く気配がない。おや?何か変だ。本能的に見てはいけないと感じ、目をぎゅっとつぶった。

すると、ザッザッザッという足音が、右からも左からも聞こえてきた。前からも後ろからも。おびただしいザッザッザッが、四方八方から近づき、取り囲まれた。もうわけのわからない恐怖で身動きもできない。

どれほどの時間がたったのかもわからない。やがてやってきた友人に、ポンと肩を叩かれ、その子はパニックに陥ったわけです。もし、友人たちが駆け付けなかったら、もし、その子が足音の正体を見てしまったら・・・一体どうなっていたんでしょうね。

話者 伊良部島 I 氏

I 氏によると、砂山で足音に追いかけられる話は、ひとつやふたつではないそうです。
宮古島には、ほかにも多くのマズムヌスポットがあります。ついうっかりマズムヌの尻尾を踏まないように、どうか、くれぐれもお気をつけて。

それではまたいつか!
きくちえつこ

※     ※     ※     ※     ※

【きくちえつこ コラム集】
宮古かいまいくいまい シーズン1
宮古かいまいくいまい シーズン2  


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2018年01月01日

[新春特番] ATALASネットワークpresents  新春放談2018



新年あけましておめでとうございます。
本年もATALASネットワークと、ATALAS Blogをよろしくお願いいたします。

もっともらしくいかにもといった新年のご挨拶を、まずはさせていただきましたが、正月早々のATALAS Blogは2年ぶりの新春企画です。
東京と宮古島をskype(とチャット)で結んで『新春放談2018』と銘打ち、ATLASネットワークの活動を軸に、初夢トークをお届けします。お年玉にはほど遠く、企画としてもかなりぐだぐだなので初笑いがとれたらご喝采。そんな生暖かい目でお楽しみいただければ幸いです。
 出演者
 【優】 宮国優子(ATALASネットワーク フロントマン)
 【切】 江戸之切子(ATALAS Blog 島の本棚 選者)
 【柳】 一柳亮太(ATALAS Blog フォルモッサタイフーンサーカス連載中)
 【モ】 モリヤダイスケ(ATALAS Blog 編集人)
ATALASネットワークpresents
新春特番『新春放談2018』
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2017年12月29日

【金曜特集】 ATALASネットワークからのお知らせ 「凹天の謎(仮)」 【PR】



2017年最後の金曜日は、ATALASネットワークからのお知らせです。
2018年のATALSネットワークがお届けする、最初の目玉です!
これまで噂先行で進んで来た、下川凹天のファンブックが遂に完成するのです。
それでは大岡山の宮国さ~ん!、PRをど~んっとお願いしま~す!



現在、絶賛編集中!

何が? と、お思いでしょう。
題して、「凹天の謎」という本です!

そうなんです。
わたしたち、宮古愛が昂じて(いや、凹天愛か!)、凹天の本を作ろうということになりました。

だって、今年2017年は、下川凹天が日本で初めてアニメを作ってから百年でしたから!。

えぇ、何を言っているかわかりませんね。
そうなんです。
誰も知らない下川凹天。
とてもすごい人なのに。

そういう思いが、わたしたち(勝手に凹天本委員会。略してK H I )を衝き動かしました。

現在、絶賛、編集中です!。
作りながら、新しい事実がどんどん掘り起こされて、もう驚くばかりです(笑)。

この胸のときめきをアナタにも伝えたい。
えぇ、無理やりですが・・・(笑)。

愛の告白さながら、2018年2月14日(木)には、お手元にお届けできるかと思います。
ぜひぜひ、どうぞよろしくお願い申し上げます。

Coming Soooooooooooooooooooooon!
題名 『凹天の謎(仮)』
編著 TEAM ATALAS
予価 1,000 円(税別)

凹天HP (鋭意製作中)
https://hekoten.localinfo.jp/


金曜特集 特別編  「あなたは凹天を知っているか?」  


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