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2015年05月12日

第30回 「眞栄城徳松氏の像」

第30回 「眞栄城徳松氏の像」

5月期の平良編は先週の石原雅太郎に続く胸像シリーズです。今回もまた平良市長務めた(2期)経歴を持つ、「眞栄城徳松氏の像」です。
実は徳松の胸像は島にふたつあります(知る限り同一人物の胸像がふたつも作られたのは唯一の例)。
まずは左の銘板に「氏」の入った、池間大橋の池間詰広場にある胸像から…。
第30回 「眞栄城徳松氏の像」第30回 「眞栄城徳松氏の像」
この地に徳松の胸像が立てられている理由は、宮古島と池間島を結ぶ池間大橋が、徳松の構想から実現した公共工事のひとつとして、その偉業を讃えるということで2014年5月に建立されました。
特に何周年忌というわけではなかったようですが、ちょうど徳松の没後25年ではあったようです。

右側の緑青が吹いたもうひとつの胸像は、平良市(現宮古島市)熱帯植物園の中にあります。
こちらに立てられている理由もまた、太平洋戦争で駐屯した軍による陣地壕造成で荒廃した山林を、自然教育の場として再興し、徳松の尽力によって熱帯植物園が造成されたということからのようで(1967年昭和42年頃に植物園は造成)、1985(昭和60)年8月に建立されています。

いつものように眞栄城徳松の生涯を調べてみましたので、少しばかり書き散らしてみたいと思います。
徳松は1911(明治44)年6月10日、西里に生まれます。
そして28歳で平良町議会議員に当選(1939年)。
1955年に宮古毎日新聞社を設立しています(余談として1957年に仲宗根將二氏が入社)。
その後、琉球立法院第3回立法院議員選挙で第25選挙区(宮古地区)の選挙無効(link先PDF)を受け、1956年11月に行われた補欠選挙で立法院議員に初当選します。1958年の第4回、1960年の第5回と当選し、三期連続で琉球立法院議員を務めます(続く1962年に行われた第6回の選挙では盛島明秀が当選している。後の第12代平良市長)。

それから徳松は1963(昭和38)年から第七代・第八代の平良市長に就任します(~1969年/昭和44年)。任期中の1966(昭和41)年には宮古島上水道組合の創設者であるとして、石原雅太郎を讃える碑を白川田(すさかだ)水源地(完成1953/昭和28年)に、管理者として建立していたりもしますが、宮古島上水道組合の設立は1965(昭和40)年で徳松の任期中である矛盾があります。恐らく石原のことは、三大事業で基礎を整えたという意味なのかもしれません。

また、徳松は宮古工業高校の前身である琉球政府立宮古産業技術学校を誘致(1968年/昭和43年創設。1970年/昭和45年の復帰の年に宮古工業高等学校と改称)をはじめ、総合グラウンドの整備、一周道路の推進など、いくつもの公共工事を実現して行きます。

前回、石原に平良名誉市民が贈られた項でふれた、唯一の県外名誉市民である岡山県津山市長の額田雄治郎と徳松がここで交わります。
1963(昭和38)年、琉球政府が研修として、平良第一小学校の砂川恵保校長を、津山市立南小学校へ派遣したを発端として始まる(さらに遡ると1956年に津山にある、美作大学に平良の女子学生が入学しているらしい。当時は女子短大であった)、津山と平良の姉妹都市交流の縁組で、締結当時の両市の市長は互いの市から名誉市民を贈られ、徳松は県系人唯一の名誉美作市民となっているのです。尚、2014年には姉妹都市縁組50周年を迎えました。

最後に徳松が「池間大橋を作った男」として知られることとなった、夢物語と語られたていた池間大橋にふれておきます。
1963(昭和38)年、徳松が構想した池間大橋の架橋構想調査が行われる。
1969(昭和44)年、市から琉球政府へ架橋建設要請を行う。
1978(昭和53)年、平良市から沖縄開発庁へ架橋建設要請を行う。
1981(昭和56)年、池間大橋建設事業が国庫補助採択される。
1986(昭和61)年3月、県道池間大浦線として池間大橋の建設工事が始まる。
1992(平成4)年2月、構想調査から29年。池間大橋が完成。

しかし、徳松は自らが夢描いた池間大橋の完成を見ることなく、1989(平成元年)1月28日に病没するのでした。

【資料】
津山市・宮古島市 姉妹都市縁組50周年記念(津山市)
姉妹縁組50周年記念「交流の振り返り」(津山市制作の動画)
※小さなきっかけの先にあった、大きな絆を結んだ津山と平良の物語は、動画の力に負うところは大きいかもしれませんがなかなかに素敵でした(オススメ)。

海峡横断橋-池間大橋工事建設記録-(沖縄県公式動画/シネマ沖縄)
※池間大橋の工事の記録映画。
余談として…池間大橋(1425m)は1995年に、来間大橋(1690m)が完成するまで県内最長の橋であり、県内最長架橋の1位2位を宮古が独占していました。しかし、2005年に古宇利大橋(1960m)の完成により、1位の座から陥落するも、2015年に伊良部大橋(3540m)を完成させ、県内1位を宮古が奪還します。

池間大橋橋詰広場(2014年5月建立)

宮古島市熱帯植物園(1985年8月建立)

連載企画 「んなま to んきゃーん」
なにかを記念したり、祈念したり、顕彰したり、感謝したりしている記念碑(石碑)。宮古島の各地にはそうした碑が無数に建立されています。
それはかつて、その地でなにかがあったことを記憶し、未来へ語り継ぐために、先人の叡智とともに記録されたモノリス。
そんな物言わぬ碑を通して今と昔を結び、島の歴史を紐解くきっかけになればとの思いから生まれた、島の碑-いしぶみ-を巡る連載企画です。
※毎週火曜更新予定  [モリヤダイスケ]



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