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2015年09月01日

第46回 「鑿工紀念碑(野原)」

第46回 「鑿工紀念碑(野原)」

前回の草書体に続き、難解難読の碑です(井戸の竣工記念と思われる石碑なので、勿論、ここのところ続いている水シリーズにもなっているだろうという、ちょっと意地を見せてみました。あ、ここは異字体にかけてもあります)。
こちらの石碑は上野地区は野原集落の中にある、古井戸の隣りに建立されている「籹金工記念碑」という古びた手作り感あふれるコンクリート製の碑です。時代も含め、それ故に碑面に刻まれた文字が怪しいものが多く、これが異字体なのか誤記なのかの真偽も判らず、謎めいていて妄想力を高めてくれますが、やはり真実にはたどり着きたいので、例によって「探偵」さんのご協力がいただけたら幸いです。よろしくお願いいたします。
第46回 「鑿工紀念碑(野原)」
『籹金工記念碑(じょきんこうきねんひ)』。『鑿工紀念碑(さくこうきねんひ)』
第46回 「鑿工紀念碑(野原)」一応、そのように読んでみましたが、最初の「籹」(中国漢字で、興すというような意味らしい)にしても、米編に女ではなく「ソ」に「又」のような気もします(そんな漢字はない?)。
また、記念碑の「紀」も、糸偏に「巳」(中文フォントの2F96A リンクpdf先、12P左列上から3文字目)と異字体で書かれているのです。
そしてこの碑は四面に渡って様々な情報が書かれているので、色々と怪しい字が他にもあります。

まずは竣工日と思われる「大正十四年丒旧六月絞工」。元号年に続く「丒」という字は丑の異字体らしく、大正十四年(1925年)の干支も乙丑(きのとうし)でしたので間違いはなさそうですが、「年」という字の横棒が一本多いようにも見えるのは気のせいでしょうか?。
また、文末の「絞工」という熟語を調べるも、そういう熟語が見つけられませんでした。絞る工という意味から、工事が絞まった・・・閉まった~終わったという意味ではないかと、妄想で読み解いてはみましたが、単純に「竣工」の誤字なのかもしれません。
第46回 「鑿工紀念碑(野原)」第46回 「鑿工紀念碑(野原)」
続いて、発起人の面。こちらには平良正一、野原金、渡久山松金、平良松、上里松、野原松の六名の名前が刻まれています。金(カネ=カニ)と松(松金=マツガニ)は当時、割とよくあった名前ですが、ずいぶんと「松」が多くちょっと面白いことになっています。

最後はもっとも肝心だと思われる、井戸(カー)の名前(と、類推される面)。
「むツ乃か」?
もう完全にお手あげです。一文字目の「む」にしても点がなく、二文字目も「ツ」冠に「乃」なのか、別々の字なのかすら怪しい。どうか、みなさんのお知恵をなにとぞお貸しくださいませ。

第46回 「鑿工紀念碑(野原)」碑の建っているこの井戸(カー)ですが、現在は集落で整えたのか、網で縦穴にフタをされ、周辺も保存のために綺麗に囲いが作られ、簡易的ではありますが整備されています。
もしかしたらいずれは案内などが描かれて集落の旧跡となるかもしれませんが、遡った2012年4月にここを訪れた時は、ゴミこそ放られていませんでしたが、野ざらしのまま風化してゆくような状態でしたので、その変貌にはとても驚かされました(その方が個人的には趣きがあるのですが)。
小さくとるにたらないものであったとしても、こうして保存して後世へと伝え紡ぐことは、限界集落が本当の限界を超えてしまう前にやっておかねばならないものだと考えます。


【追記 2015/09/02】
ATALASにもご協力をいただいている、福寛美先生(民俗学者、琉球学者、神話学者、法政大学講師)からご教示いただき、難読碑銘の解決をしました。また、これにともないタイトルを「籹金工紀念碑(野原)」から変更いたしました。ご協力ありがとうございました。

福先生からのズハリ解答!
1. 碑銘について
「鑿工紀念碑」ではないでしょうか。
工具の鑿(のみ)を使って頑張って整備した、という意味のように思います。

確かに「籹」と「金」を重ねると「鑿」のような字になります。手作りの碑であることを考えれば、とても画数の多い字なので、微妙にバランスがおかしくなるのもなんとなく理解できますね。読みは「さくこうきねんひ」と思われます。

2.井戸名つにいて
井(かー)の名は、「むつのか」ではないでしょうか。
変体仮名で、最初の文字は「無」をくずした「む」、次は「川」をくずした「つ」、「乃」はそのまま「の」、最後は井戸の意味の「か」、これで「むつのか」だと思います。

素晴らしき名推理に大感謝です。福先生、ありがとうございます。


【追記 2016/7/29】
第46回 「鑿工紀念碑(野原)」野原集落の戦争体験記(聞き取り本)から、井戸が登場する話があり、この井戸の名前が「さす゜のかー(sasï-no-ka:)」であると判明した。「サルのカー」つまり、「申の井」と呼ばれているとのこと。
井戸の名を刻んだ石碑を見てみると、これまで1文字目は「む」と思われていましたが、これは「さ」に、「し」のようにものが近接しているのではないか思われる。そして3文字目以降の「乃」「か」はそのままでよいとして、2文字目がかえって大きな謎となってしまいました。しかししかし、「す」の半濁音という日本の「かな」にはない宮古特有の音なので、これを表現するためになにか特殊な書き方をしているのかもしれないと妄想してみました。

また、よくよく地域を見廻してみると、「ネ組」「ウマ組」「トラ組」「サル組」の4つに集落を組分けしている標柱が、集落の辻にに建てられていることに気づきました。
ネ(子)とウマ(ウマ)は子午線でおなじみの南北を示す(子=北、午=南)なので、十二支の方角で組を示しているとすると、本来の東のウ(卯)、西のトリ(酉)ではなく、トラ(寅)は東北東、サル(申)は西南西になっている。方角としては対をなしているも、その角度は少しずれたものとなっています。
ただ、地図にこの標柱の位置を落としてみると、中心は公民館ではなくバサナカ御嶽あたりとなりました。この御獄自体は里御嶽のような大きなものではありませんが、史料には集落の中心にある御嶽であると記されていました。

ひとつ、ざっくり解決したものの、新たな謎があぶりだされてしまいましたが、思うに、どことなく磁北(地図北)とずれる、宮古式の東西南北なのではないかと考えられなくもないと感じました。
結果として未解決な物件を増やす結果となってしまったが、石碑とは話がずれて来たのでそれはまた別のところで・・・嗚呼、もっと勉強しないと!。




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