2017年06月06日
第138回 「忠魂碑(城辺)」

6月に入りました。ハーリーも終わってそろそろ梅雨も明ける頃になると、沖縄は23日の「慰霊の日」に向けての催しや企画などが多くなって来ます。この島の石碑を巡る旅「んなま to んきゃーん」は島に点在する石碑を題材にしており、これまでもいくつか戦争に関する石碑を紹介してきました。偉人の顕彰する碑、偉業を讃える碑、完成を祝す記念碑などと並ぶほど、戦争の記憶を記す石碑が島にはたくさんあります。
慰霊の6月ということで、月間企画として少しばかりシリーズで取り上げてみたいと思います。初回の今週は城辺町の忠魂碑です。

城辺小学校の裏手の丘脈に、天を衝くように高くそびえた忠魂碑が建立されています。「忠魂碑」の揮毫は元帥公爵山縣有朋で、昭2年8月に建立されています。
忠魂碑と慰霊碑は似ているようで、実は随分と異なっています。忠魂碑(ちゅうこんひ。宮古ではなぜか“ちゅうこんぴ”と半濁音で読まれることが多く、破裂音の多い島の言葉の癖なのではないかと思ってています)は、日清戦争や日露戦争などの戦争に出征し戦死した、地域出身の兵士を弔うために建立された記念碑で皇国礼讃の意味合いが強く、現存する碑はおおむね戦前に建てられたものがほとんどなため、第二次世界大戦(太平洋戦争)で亡くなった方は含まれていません(時系列の具合から厳密とは云えないが)。これはGHQが忠魂碑を軍国主義的な意図を有する碑と捉えたことから、戦後に建てられた戦死者を弔う碑は慰霊碑して建立されるようになりました(ただし、慰霊碑の場合は戦死者のみならず、事故や災害でなくなった方を弔う碑という意味もある)。



そんなことを踏まえて、この忠魂碑の隣に2001年に作られた、「平和の礎」を模した「城辺町陸海軍戦没者ご芳名」の石板は、第二次世界大戦の戦没者の方々の名前が刻まれており、忠魂碑のそもそもの意味を考えると少し気になります。
ちなみにこの戦没者の石碑には第36回「故海軍二等兵の墓碑(加治道)」で取り上げた、開戦して3日後に戦死してしまった海軍二曹の名前も記されています。
そうそう、ふと思ったのですが「慰霊の日」はいつからあったのだろうという疑問が浮かび、早速調べてみることにしました。
そもそも慰霊の日は、1945年6月23日に沖縄戦の組織的戦闘が終結したとされる日にちなんでいるそうなのですが(第32軍司令官牛島満中将が自決したとされる日をもって、組織的な終決としていますが22日説もあります。また、司令部が壊滅した後も、それを知らぬ兵士たちは抵抗を続けており、直ちに戦闘が終結した訳でもないことから異論もあるようです)、戦後の米軍政権下の琉球政府が「住民の祝祭日に関する立法」に基づく公休日として、1961年に定めたのが始まりだったようです(面白いのは1964年までは、別説である6月22日が慰霊の日に定められていました)。
その後、1972年に沖縄県として復帰すると日本の法律が適用され、慰霊の日は法的な根拠を失って“国”の休日ではなくなってしまいます。
しかし、地方自治法が1991年に改正され、「慰霊の日」を県条例で「休日」と正式に定められ、現在は“県”の休日として、国の機関以外は休日となっています。
ざっくり調べて慰霊の日のあらましについては判りましたが、1972年の復帰から条例制定の1991年までは、慰霊の日がなかったのかというと、どうもそうではないようです。
復帰間もない1974年に、「沖縄県慰霊の日を定める条例」によって慰霊の日は県の記念日として定められていました。しかし、そこに休日の文字はなく、色々と調べてみても、聞き取りをしても、はっきりとしたことが判りませんでした。というのも、休日としての法的根拠がないまま、どうも県内のみの休日として慣例的に、どうやら慰霊の日は休みとして定着していたらしいのです。
琉球新報の1990年(平成2年)沖縄県内十大ニュースの第9位として「慰霊の日休日存続」と書かれていました。
文面の内容は県職員休日廃止問題に関連した、慰霊の日を巡っての争いが焦点となっていますが、問題はそちらではなく、タイトルに「存続」とあることが問題の答えになっているのではないかと気付きました。
基本的に慰霊の日は県と市町村、公立の学校などがお休みで、一般の会社はおおむね通常営業のようです(自治体でも県外に関わる部署の場合は結局、お休みにはなっていないようです)。
みなさんの記憶中の「慰霊の日」は本当に休日でしたか?。
【県の条例】
昭和49年10月21日 条例第42号
沖縄県慰霊の日を定める条例
平成3年5月24日 条例第15号
沖縄県の休日を定める条例
【戦跡の石碑】
第35回 「不時着の地 記念碑」
第36回 「故海軍二等兵の墓碑(加治道)」
第78回 「陣没せる軍役動物を吊ふ碑」
第80回 「旧日本軍慰霊碑」
第92回 「海軍第三一三設営隊慰霊碑」
第104回 「歩兵第三聯隊戦没者慰霊碑」
第107回 「故憲兵軍曹之墓」
第117回 「殉国慰霊之碑」
第131回 「海上挺進基地第四戦隊戦没者勇之碑」
第132回 「海上挺進基地第四戦隊駐屯地跡」
Posted by atalas at 12:00│Comments(0)
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