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2016年04月12日

第78回 「陣没せる軍役動物を吊ふ碑」

第78回 「陣没せる軍役動物を吊ふ碑」

新シリーズ「謎の石碑-未解明ファイル-」の二回目。今回の未解明度はそれほど濃くありませんが、とっても奇異を感じざるを得ない石碑です。碑文は「陣没せる軍役動物を吊ふ碑」というちょっと小難しい表現がされた、旧軍が関係した石碑となっています。
この石碑について、どんな些細なことでも、漏れ聞いた噂話でも、解明の糸口になりそうな情報がありましたら、ぜひお寄せください。未解明の石碑を皆様の叡智をもって解明することができたら嬉しいと思っています。
第78回 「陣没せる軍役動物を吊ふ碑」
まず、この石碑の碑文の「陣没せる軍役動物を吊ふ碑」の読み方ですが、「じんぼつせるぐんえきどうぶつをとむらうひ」と詠みます。「弔う」でなはく「吊う」でも「とむらう」と読むそうです。難しいですね。
こちらの石碑は県道78号城辺線の更竹(厳密には東仲宗根添)にある、宮古島リハビリ温泉病院の北側の道路脇を少し入った小山の上にあります。見た目にはただの雑木林にしか見えませんが、中は道路面からわずかに登っており、途中、破壊された塹壕のような窪地を経由して、琉球石灰岩で設えた階段を登った上に石碑はあります。

第78回 「陣没せる軍役動物を吊ふ碑」この石碑は「昭和20年中秋 納見中将誌」と書かれていることから、終戦後しばらくして建立されたものと推察されています。
尚、納見中将とは宮古島に駐留した、帝国陸軍の第28師団長の納見敏郎(1894-1945)のことで、宮古島における最高指揮官という位置付けになります。
そのため終戦後の9月7日、沖縄の全日本軍を代表して先島群島日本軍司令官の納見が、奄美群島日本陸軍司令官の高田利貞少将と奄美群島日本海軍司令官加藤唯雄海軍少将を引き連れ、嘉手納で行われたジョセフ・スティルウェル米国陸軍大将との降伏文書に調印し、沖縄戦を公式に終了させるという役目を担いました(すでに本島の日本軍が壊滅していることから、最高官位の納見が全軍の代表になった)。
しかし、宮古島へと戻った納見は連合軍によってA級戦犯が確定すると、12月13日に自決をします(自決は野原岳の東側にある司令部壕近くと云われている~砂川線近傍)。
第78回 「陣没せる軍役動物を吊ふ碑」第78回 「陣没せる軍役動物を吊ふ碑」第78回 「陣没せる軍役動物を吊ふ碑」
【左】秘匿壕を流用した、野原越納骨堂。     【中】納骨堂の周辺に建立されている石碑群。  【右】野戦重火器砲秘匿壕の内部。

石碑からさらに農道を奥へ入った場所にある、下里添野戦重火器砲秘匿壕群のひとつを改装して作られた、納見敏郎中将の遺骨を納めた廟があります(現在、遺骨は移設されているので廟のみ)。付近には旧軍の慰霊碑などがいくつも建てられており、野原岳東部に広がる軍の駐留地区のひとつだったことが、朧げに見えて来ます(慰霊碑の一部は宮古テレビ裏手にある二重越に移設したもあるとのこと)。
また近年、さらに奥の雑木林の中に、新たな秘匿壕など戦争遺構が見つかりました。重火器を秘匿していた壕なので、車がすっぽり納まるるくらいの断面径があります(壕の掘削は未完成だが、規模の大きな壕となっている)。
第78回 「陣没せる軍役動物を吊ふ碑」第78回 「陣没せる軍役動物を吊ふ碑」第78回 「陣没せる軍役動物を吊ふ碑」
【左】石碑の背面にもびっしりと根を張っている。 【中】前面上部の碑文はかすれてよく読めない。 【右】前面下部には月桂冠のような葉の文様がある。

話を「吊う碑」へ戻しましょう。
この更竹(下里添)には第28師団の病馬収療所という施設があったそうで、怪我や病気の軍馬の世話をしていたことから、この地に亡くなった馬の供養碑を建立したと考えられます(いわゆる馬頭観音と云えるかと思われます)。
ただ、軍馬ではなく碑文の表現は、軍役動物と記されていることから、馬以外の動物もいたのでしょうか。軍鳩(軍用伝書鳩)が島で使われたという記録は聞いたことがありますが、軍用犬については宮古島での実績は聞いたことはありません。果たして他にどんな軍役動物たちがいて、実際に供養されているのかはとても気になります。
なにしろ戦後70年が経過して、こんな風に禍々しいほどびっしりとガジュマルの根が石碑を取り巻いているなんて、単純に天然の造形というのは凄いというようなヌルい言葉でだけで片づけられず、文字通りの「樹縛」をしているなにかの遺志のようなものを、ひしひしと感じたくなってしまいます。ある意味、ヲカルティックに考えると、この栄養源はいったいなんだったのだろうとか、という妄想を暴走させたくなってしまいます。どなたか“視て”くれませんか?。

【参考資料】 沖縄県公文書館
沖縄戦降伏調印文書 能見らのサインが書かれた調印文書(カラー)。
9月7日 沖縄での降伏調印式(1945年) 戸外で行われた調印式の様子の動画(約3分間の編集版 白黒無音)。





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