2016年07月12日
第91回 「残り鷹 鳴くを聞きあふ 一会かな ~晴子」

「植物園の石碑を紹介するシリーズ(仮)」も今週で四週目となりました。先週に引き続き、宮古島市熱帯植物園にある句碑を紹介をしてみたいと思います。こちらの句碑は先週の「花~見わたせば甘蔗のをばなの出そろひて雲海のごとく島をおほへり」と同じ、植物園の丘の麓にあるいご通りと名づけられた、石碑や銅像、記念樹などが立ち並ぶ歩道ぞいの博物館寄りに建立されています。

まずは句碑に記された句から。
島にやって来る渡り鳥で、鷹の仲間のサシパを題材に詠んだ俳句です。「残り鷹 鳴くを聞きあふ 一会かな」
残り鷹とは本来、冬を前に北(本土)から南(東南アジア・ニューギニア方面)へと渡るサシバが、渡りの途中で羽を休めに宮古島へ舞い降りたものの、南へと旅立つ仲間をよそに島で冬を越すことを選んだ、落ち鷹とか番鷹と呼ばれる少数のサシバたちのことを云います。
余談になりますが、以前に紹介した平良雅景は、「風に乗る ほかなし島の はぐれ鷹」と詠み、自らをそのサシバに重ねていました。
云い忘れていましたが、この句を詠んだ飯島晴子といいます。1921年(大正10年)生まれ、京都府城陽市出身の俳人です。たまたま夫・飯島和夫の代理で「馬酔木(あしび)」の俳句会(1959年)に出席したことがきっかけとなり、38歳から俳句を詠み始めます。1960年に「馬酔木」へと投句し、飯島の詠み紡ぐ俳人生活が始まります(この馬酔木には一時、篠原鳳作も投句していた)。
1964(昭和39)年、藤田湘子の俳句同人「鷹」の創刊に参加します(後に主宰)。1966(昭和41)年に第1回鷹俳句賞を受賞し、「鷹」の代表作家として活躍します。
そして1997年に句集『儚々(ほうぼう)』で第31回蛇笏賞を受賞しますが、2000年6月6日、天寿をまっとうすることなく飯島は自ら命を絶ってしまいます。享年79歳。
決して有名な俳人とは云い難い飯島晴子ですが、俳句との出逢いから運命が大きく動き出し、俳人としての実力も名誉も手にした晩年での自殺という人生は、プロフィールを紐解きながら大きな衝撃を受けました。
飯島晴子と宮古島とのかかわりは、句碑の後ろに据えられた解説板に、このように記されていました(改行、句読点は編注)。
飯島晴子この解説文はやや華美な気もしますが、女性俳人の好む情緒的な句とは一線を画し、時に虚構句(フィクションの世界)を詠んだりと、なかなかに難解な俳句を詠む傾向にある飯島が、宮古島で感じて読んだ句の題材は、渡り鳥サシバの落ち鷹であったり、宮古上布の工程のひとつ、砧打ちといった、一風変わった題材に焦点をあてています。
一九二一(大正十)年一月九日京都に生る
二〇〇〇(平成十二)年六月六日死す
俳人 「鷹」同人 蛇笏章受章
飯島晴子はその生涯をひたすら言葉と向き合い、俳句と俳論をもって時代に存在した。
一九八七(昭和六十三)年、平良市総合文化祭の講演のために、俳人・後藤綾子とともに宮古を訪れ、句を詠み、イヌマキの記念植樹し、以来、宮古島に深い思いを寄せていた。
清冽に生きた魂がこの地に遊ぶこともあらんと、句碑を建て永く思い出としたい。
・聾ひて宮古上布の砧打つ
・藍滲む宮古上布の砧盤
・洗骨の泉にふるへ秋の蝶
・風葬の岩棚秋の日を剰す
二〇〇二年十二月二十八日
飯島晴子句碑建立実行委員会
表の句は飯島晴子自筆句稿より集字
碑文揮毫 池田敏男
また、俳句では禁忌に近いともいわれている、「死」を題材とする句が多いのも飯島の特徴で、父の死(1940年)、母の死(1970年)、夫の死(1986年)と、喪の時期のみならず折りにふれ詠んでいます。宮古島を訪れた時系列的は、前年に最愛の夫を亡くしたタイミングで、蛇笏賞を受賞する10年前。そして2000年の自殺までにはもう少し時間を必要する頃でした。
思いがけず、洗骨や風葬といった宮古島(大神島を訪れたらしい)の民俗的な死の部分に反応している点は、飯島の「死」の概念に何かが大きくふれたのではないかと、とても興味深く思いました。

飯島を調べてゆく中で、ひとり気になっていた人物がありました。1987年に平良市総合文化祭の講演で、飯島に同行して来た俳人の後藤素子についてです。
こちらの謎解きは飯島との意外なつながりを知ることで解決しました。なんと後藤素子は飯島の娘だったのです。
飯島は1946年に25歳で飯島和夫と結婚し、翌年に素子を出産します。飯島が俳句を始めたのは38歳の時ですから、素子が多感な時期に詠み始めたことになります。1973年、飯島52歳の時、素子が結婚します(26歳)。それから14年後、素子がいつ俳句を始めたのかは判りませんが、俳人の母娘が宮古を訪れたのでした。
最後は上の画像をご覧ください。
碑の建立されているエリアに、イヌマキ(キャーギ)の木が一本、植えられています。これは飯島が来島した際、記念に植樹したものだと思われます。今でもちゃんと残されているようで、ちょっとうれしくなりました(植物園は幾多の思い切った改装が施されているので)。
【参考資料】
俳句鑑賞 ・その七「飯島晴子」 [超おすすめ]
飯島晴子の世界
菜花亭日乗
飯島 晴子@IijimaHaruko[Twitter Bot]
Posted by atalas at 12:00│Comments(0)
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