2016年03月08日
第73回 「まかがよふ 真砂の浜は 寂寞と 時の器を みたしつつあり」

ここのところ勢いで続けている連想ゲーム石碑巡りは、未だカママ嶺から動けずにおります。次第にシリーズは連想ゲームから歌碑に主軸を移しつつあります(言い訳)。ともあれ、ペラっペラの薄学が紹介する歌碑シリーズに今しばらくおつきあいください。
ということで、今回はそんなカママ嶺の丘に建立されている、平良好児の歌碑のご紹介です。

まず、短歌の中身ですが、非常に難しいです。「寂寞」という漢字がすでに読めませんでした。どうやら「せきばく」とか「じゃくまく」という読み方をする熟語のようで(ただし、“じゃくまく”ではIMEの変換はされない)、意味はどちらも「ひっそりしていてさびしいさま」になります。どなたか、この歌碑に記された短歌を、美しく解説をしていただけないものでしょうか(甘え)。
さて、平良好児です。1911(明治44)年、平良に生まれます。本名は定英(ていえい)。17歳で沖縄師範学校に入学(1932年に退学)。戦後直後の1946(昭和21)年3月に「文化創造」を創刊。その後、宮古毎日新聞編集長や、南沖縄新聞(1960年創刊)社主を勤めるなどジャーナリストとして活躍。1973(昭和48)年に季刊「郷土文学」を創刊し、1996(平成8)年に亡くなるまでの23年間、休むことなく刊行し90号を数えた。
平良好児は宮古文学界の「種蒔く人」と呼ばれ、亡くなった翌年に、その名を冠した平良好児賞が制定され、宮古島関係の優れた文学活動をおこなっている人々を表彰している。
平良好児の名はとても有名なのですが、ネット上ではどういうわか「平良好児賞」の受賞者の話ばかりがヒットして、肝心の平良好児本人の話があまり出て来ません。でも、ある意味では平良好児の遺志継いで創設された賞だけに、彼の蒔いた種がたくさんの芽を吹いているということなのでしょう。
【参考資料】
「季刊『新沖縄文学(61号)』」 くまから・かまから vol.305
平良好児(郷土文学) 琉文21
平良好児賞 宮古毎日新聞主催事業
【トナリの石碑】
第2回 「ドイツ皇帝博愛記念碑 レプリカ」
第70回 「とうがにあやぐ 歌碑」
第71回 「しんしんと肺碧きまで海の旅」
第72回 「風に乗る ほかなし島の はぐれ鷹」
Posted by atalas at 12:00│Comments(0)
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