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2019年03月12日

第224回 「一等水準点第9801号経緯度標」

第224回 「一等水準点第9801号経緯度標」

今回ご紹介する石碑は建立の経緯からすると記念碑には違わないのですが、実際のところ記念碑というよりは実務的な部分が大きく、割と島にとっては重要度の高い石碑だったりします(厳密には石碑本体が重要なのではない)。でもたぶん、一般的な生活をしている場合、ほとんど必要としないものかもしれませんが、げれどどこかでこれの恩恵をきっと受けているはずです。
第224回 「一等水準点第9801号経緯度標」
ということで、取り上げるのは「一等水準点第9801号経緯度標」という石碑です。
こちら、宮古島市役所平良庁舎の駐車場の隅に建立されています。たくさんの人が訪れる市役所ですが、この石碑の存在にどれだけの人が気付いているでしようか。
この碑は1993年6月3日の測量の日に、宮古地区経緯度標設置実行委員会が、建設省国土地理院沖縄支所の後援を受けて設置されました。しかし、実際に重要なのはこの碑自体ではなく、碑の前にある一等水準点の方です。いわば真の本体はそっちだったりします。マニア的にも本体のグレードが“一等”なので楽しみではありますが、碑は碑でなんか色々と書いてあるので楽しかったりします。
ま、この手の石碑は公官庁になどによくあったりするので、それほど珍しくはありません。また、一等水準点も国道沿いを中心に島内にはいくつもあります。けど、豪華な石碑付のものは宮古島では(たぶん)ここだけです。
第224回 「一等水準点第9801号経緯度標」第224回 「一等水準点第9801号経緯度標」
【左 現行の宮古島市役所平良庁舎。元平良市役所】 【右 先代となる平良市役所】

ちなみに設置の基準や意義などはまったくもって不明なのですが、現在の宮古島市役所平良庁舎の前身でもある、この平良市庁舎が建設されたのが1993年なので、その完成のタイミングで設置されたようです。
ちなみに現在の庁舎は二代目で、隣りに建てられていたオグデン会館とともに取り壊されて今の姿になっています。その建設前に全体の発掘調査が行われた時の資料を見ると、これまたなかなか面白いです(まさに歴史が地層になっています)。
第224回 「一等水準点第9801号経緯度標」
この地に役場が建つ前は、現在の第一ホテル駐車場として利用されている、元電電公社があった交差点の角に平良村役場(1924年/大正13年に町制)がありました。さらさらにその前は、いわゆる間切から村へと行政の単位が切り替えられた、1908(明治41)年の特別町村制が施行された当時は、元の下里村番所があったところに平良村役場が置かれました。その場所は後に下里公設市場となっています。
第224回 「一等水準点第9801号経緯度標」
また、いわゆる琉球政府の出先機関であった在番仮屋(現在の第2庁舎附近)は、島庁を経て県の機関である支庁(総合庁舎)となり、戦後は群島政府や琉球政府宮古支庁など変わったりしながら、復帰後、手狭になった県支庁(現在は総合庁舎)が空港近くへ移転したあとは、合併協議会などが建物を利用しますが、宮古琉米文化会館の流れを汲む、平良文化センターの改組(公民館機能の分離)によって誕生した、平良市立図書館が老朽化を理由に2011年には取り壊しとなり(駐車場化)、移転先として琉米文化会館より少しだけ古い旧支庁へと入居し、現在は宮古島市平良第二庁舎として活用されています。
そういえば、その平良図書館も、旧県立宮古分館の閉館による市移管などがあったり、2019年7月完成予定の新図書館(未来創造センター。旧県立宮古病院跡地)建設に伴う移転作業で現在は閉館中だったりして、ホント、記録しておかないと記憶だけではとても覚えていられないほど、変遷が複雑になっています(旧宮古琉米文化会館の変遷や、旧県立図書館宮古分館の変遷もまた、とても複雑で興味深いものがありますけどね)。
第224回 「一等水準点第9801号経緯度標」第224回 「一等水準点第9801号経緯度標」
話が大きくそれてしまいましたが、水準点とは水準測量に用いる際に標高の基準となる点のことで、測量法で定められている測量標のことで、実はけっこうあちこちにあります。沖縄県内にある水準点は、1等が277か所、2等は110か所になります。
そういえば、以前、蓋だけですが、「琉球政府」の時代に設置した水準点なんかも紹介したこともあります。また、伊良部支所前には二等水準点の経緯度標があったりしたのを紹介していしまいす。どうも紹介している数がめっきり多くなって、ちょっと忘れがちになっているようです。
第224回 「一等水準点第9801号経緯度標」第224回 「一等水準点第9801号経緯度標」
忘れがちといってなんてすが、やはりこの場所で忘れてはいけないのはこの方でしょうね。
石原雅太郎(いしはらまさたろう)元市長。
胸像が市役所前にあります。町時代から実に6期も平良の首長を勤め、宮古の近代化に尽力した人物で、名誉平良市民の第一号でもあります。詳しくはコチラを。

最後になってしまいましたが、確認作業です。
こちらの碑は
北緯24度48分 東経125度17分
に水準点が置かれているを示しています(秒以下は省略されているのが残念)。

また、Wikipediaに掲載されている宮古島市の所在は、
北緯24度48分19.6秒 東経125度16分52.1秒

ネタ書き用に眺めていた資料の中に、偶然、緯度経度が書かれてるものがありました。
まだ、先代の庁舎だった頃の「平良市制施行40周年記念誌」(1987年)では、
北緯24度48分06秒 東経125度16分56秒

最初に戻って、この一等水準点第9801号の成果を「基準点成果等閲覧サービス」で確認してみると、
北緯24度48分18.8892秒 東経125度16分53.6613秒
と、さすがに秒以下の少数点4桁まで記載されていました。

いずれも多少の差異ありますが、どれもまあ、ほぼ同じ位置と云えますので、もうこの石碑がある場所が、宮古島市の位置を示す場所であると云い切っても差し支えないでしょう。宮古に来たらここに立って記念撮影をすれば、真の宮古島に来たことになるはずです!

【基準点資料】
基準点成果等閲覧サービス

【関連した石碑】
第29回 「石原雅太郎氏像」
第51回 「平良市役所」
第54回 「伊良部町民憲章」
第115回 「宮古島市平良図書館の歴史の碑」
第193回 「琉球政府標柱」




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