2018年07月17日
第193回 「琉球政府標柱」

今回取り上げるのは、なにかを記念した石碑ではありません。実務的に建立された単なる石柱です。けれど、もう50年近く前に建てられ、それを建てた組織はもう存在しないという逸品。碑の経年変化に加え、環境の変化や開発行為などによって、徐々に失われつつあるので、完全に無くなってしまう前に文化財の仲間入りをさせてあげたい。それが無理なら、せめて保護の対象にして欲しい、そんな琉球政府時代の石柱(コンクリート柱)コレクションです。

まず、「潮害防備林」。もっとも絶滅が危惧される石柱です。
撮影したモノは新城海岸の不法ビーチハウスの隙間にある植え込み。以前はもう少しちゃんとしていたけど、興味のない人々にないがしろにされ、追いやられてしまいました。石柱はともかく、防備林さえも彼らによって現状が無残に変更されており、防潮の意味が失われつつあります。こうした状況は非常に遺憾です。
彼ら不法業者を誰も利用しなければ、儲けにならず撤退していくと考えていますが、実情は「海の家」に慣れてしまっている旅行者が、無秩序に利用する点が問題なのです(内地の海の家は、基本的に許可制です)。


まあ、ひとりでこうアジったところで、なかなか聞く耳は持たれないのでひとり言とでも思っておいてください。
それはさておき、「潮害防備林」についてみておきたいと思います。
石柱の状態は決して良くありません。クサトベラの茂みの中に隠れており、再発見するのに少し時間を要しました。石柱は少し頭が欠けて中の鉄筋が露頭しています。また、根元はかなり砂に埋没しており、どうにか炎天下に素手でここまで掘り返しましたが、さらに下の「政府」までは確認しきれませんでした。

新城海岸、保安林にトイレ等 県が市に原状回復命令(2014年3月7日 宮古新報)
森林法違反で現状回復/新城海岸(2014年3月8日 宮古毎日新聞)

続いては、「防風林」です。こちらは東仲宗根添細竹集落の東方にある丘脈の森から顔を出しています。「潮害防備林」のように文字部分に墨が入ってないので、見た目が全体的に白っぽいですが、根元の枯れ草と枯れ木を退けたら、ちゃんと「琉球政府」の文字まて見ることが出来ました。防風林の石柱は、まだ割とあちこちに残っている方てすが、やはり琉球政府版はもうたくさんはありません。

上野村では「潮害防備保安林」と呼ばれていたらしい(残念ながら、根元の文字が読み取れない。現存しているのなら、探してみたいです~情報お待ちしています)。

続いてはちょっと変わり種。「琉球政府」の「文化財保護委員会」の石柱で、こちらは西仲宗根の知利真良の墓の前に建っているものです。
当時、文化財として指定されたもののそばに建てられていますが、現在、この知利真良の墓は「豊見親の墓 3基」として国指定の重要文化財(建造物)として指定されています(他2つは、仲宗根豊見親とアトンマ墓。1993年指定)。

沖縄県教育委員会 Ⅷ 文化財保護(pdf)
重要文化財豊見親墓あとんま墓及び知利真良豊見親の墓保存修理工事報告書
※宮古島市でこの報告書を見ることは不可能なようです。


最後にオマケをひとつ。
「琉球政府」の刻印が入った、一等水準点の石蓋です。
これはかなりあちこちにあります。
こちらの石蓋のロケ地は、東仲宗根添サガーニ。ある意味、マニア向けの物件ではありますが、防潮林や防風林にしろ、文化財保護にしろ、どれも現在のの沖縄県の礎となる部分を支えている物言わぬ証人といます。
現在は国、県、市など規模に応じてたずさわる機関はさまざまですが、琉球政府はそのすべてをたったひとつでやっていたことを考えると、やっぱ国って凄いんだなっと改めて感心してしまいました。
潮害防備林~新城海岸
防風林~東仲宗根添細竹
文化財保護委員会~知利真良の墓
一級水準点~サガーニ
防風林~東仲宗根添細竹
文化財保護委員会~知利真良の墓
一級水準点~サガーニ
Posted by atalas at 12:00│Comments(0)
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