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2018年06月19日

第189回 「事業完工記念碑(西原)」

第189回 「事業完工記念碑(西原)」

今回ご紹介するのは事業の完成記念碑です。この手の石碑は島ではよく見かけるタイプの石碑で、古くは道路の開鑿記念御獄の修繕自治会公民館の建設記念などがあります。近年は圃場整備や灌漑用水など農業基盤整備事業の完成を記念した石碑が増え、わずかに残った里山を破壊して効率重視の畑が広がる風景の中に、無味乾燥な石碑か威を借るようにどーんと建立されています。
第189回 「事業完工記念碑(西原)」
こちらの事業完工記念碑は、「西原第1地区西原第1(Ⅱ期)地区西原東地区」の畑地総合整備事業が完成したとを記念した石碑です。場所は西原地区の裏手、真謝漁港へと向かう裏道沿いに建てられています。対象地域があまりにも広いので、どこがどうで、なにがなんなのか、理解するのはちょっと難しそうですが、ざっくりこのあたりの圃場整備されたトコが現場なのだと思われます。
国、県、市の補助による事業で、建碑を報告する新聞記事によると、約80ヘクタール(3地区の合計)を、およそ10年(起工2007年8月、完成2016年3月)かけて、総事業費31億8500万円で整備されたそうです。

西原地区畑地総合整備事業工事完了で記念碑除幕 (2016年10月22日 宮古新報)

丘脈に挟まれた平野部に見渡す限り広がる圃場。清々しいほど綺麗な区画に改造しました。勿論、作付される農作物は島の基幹産業であるサトウキビです。区画の大きな農地に作り替え、灌漑用水を張り巡らし、機械化を図って低コストかつ省力化を促進し、生産性の向上が期待されています。
第189回 「事業完工記念碑(西原)」
事業前の空中写真を見てみると、すでにそれなりに畑地として利用されていますが、不定形でまとまりは確かにありませんが、自然の地形にそって工夫されているようにも見えます。また、一部にこんもりと雑木林の森が残っている土地が点在しているのが見えます。これは恐らく墓地や御獄、もしくは窪地や岩塊地など耕作に不適な場所と考えられます。
整備された現地を眺めると、墓や御獄の類は、その敷地だけを残して周囲はギリギリまで耕作地として整備しています(今回は見た限り、御獄っぽいとこはなさそうですが、拝所の周囲にある御獄林までもが開発されてしまうことがあります)。一方、土木技術の進歩で、耕作に不向きな場所もかなりの確率で埋めたり削ったりして、畑地に開発してしまいます(なにかいわれのある岩だったり、岩の根がとてつもなく深かったり、裂け目の大きな窪地を埋め戻すのはコストがあわないためか残っていたりします)。
自然のままであったそうした地形の痕跡はほとんどがなくってしまいますが、耕作不能区画として遺された圃場整備を免れた場所は、過去視をする時に大きな手掛かりとなります。
整備地区の北側、大浦寄りにはズザガーがあるといわれ(現地未踏査)、その周辺はまだかろうじて手つかずになっています。このズザガーは「沖縄県洞穴実態調査報告Ⅲ」(沖縄県教育委員会 1980年 ※愛媛大学探検部の実地測量がベース)によると、全長が250メートル、平均洞幅が8メートル(最大14ルートル)、天井高は2.5メートル(最大4メートル)と、かなり大きく、洞内には水流があり、水量も豊富であると記されており、とても興味深い“物件”。また、この洞穴は戦時中、西原集落の住人の防空壕としても利用されていたそうです。この周囲は辛うじて未整備の畑が広がりっていますが、いずれこのあたりまで圃場整備の魔の手が迫ったら、雰囲気は大きく変わってしまうことでしょう。
第189回 「事業完工記念碑(西原)」

最後に余談として、圃場整備のネタをひとつ。
噂で耳にしたネタではあるのですが、旧上野村の村域の90パーセント以上で圃場整備が行われ、昔の地形はほとんど残っていない。というショッキングなな噂でした。ところが、少し古いものですが、こんな記事を見つけてしまいました。

宮古地区 ほ場整備率は51%/県農水整備課まとめ (2012年10月12日 宮古毎日)

記事によると整備率は、平良1179ヘクタール(整備率41.3パーセント)、城辺1247ヘクタール(同36.0パーセント)、下地942ヘクタール(同73.9パーセント)、上野1032ヘクタール(同98.2パーセント)、伊良部773ヘクタール(同42.6パーセント)、多良間498ヘクタール(同775.1パーセント)となっています。

上野98.2パーセント!?と書かれていて、ちょっと驚愕したのですが、これは整備の進捗率ですから数字の意味が違います。けれど、数値を鵜呑みにした誰かが噂として語り、それが独り歩きしたのではないかと思われます。
ちなみに旧上野村の面積は18.98平方キロメートル。ヘクタールに換算すると1898ヘクタール。整備率が100パーセントになった時の面積を計算すると、1051ヘクタールなるので、村域の55.37パーセントは圃場として整備されたと云うことが出来ます(あくまでこの時点でですが)。
村の面積には人家や役場や学校などの施設、道路やリゾート施設なども含んでいますから、この半分という数字は決して小さくないと思います。

【参考石碑】
第50回 「水」
第85回 「五ヶ里道開鑿記念碑」
第123回 「道路開鑿紀念碑」
第124回 「(新城道路改修)記念碑」
第133回 「長間自治会公民館建設記念碑」
第186回 「記念碑(地盛嶺)」




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