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2015年07月07日

第38回 「池間小学校発祥之地」

第38回 「池間小学校発祥之地」

月替わりのご当地石碑シリーズは、一応、宮古島市内をひと回りしたので今月はひと休み。今回は池間で見つけた教育発祥の地シリーズ(上野村教育発祥之地伊良部公教育発祥之地下地小学校発祥之地)を紹介したいと思います。
場所は集落の西側、スクニャーと呼ばれる海から少し登った低い丘脈の上にあり、前里ムトゥの西側にある小さな岬へと連なっています。また、ここは前里村番所があった場所でもあり、隣接してミヤーカ(巨石墓)を抱えたトゥヌガナス御嶽があるなど、どことなく集落の重要な土地であったことを伺わせます。
第38回 「池間小学校発祥之地」
池間小学校の沿革によると、1903(明治36)年に池間尋常小学校としてこの地に創設され、1938(昭和13)年に現在のユニムイ原へ移転するまで、小学校はこの地(途中、何度か拡張されたらしい)にありましたが、現在は雑草が生えた原っぱに百周年で建立された小ぶりの記念碑が建っているだけにすぎません。
石碑の紹介としてはこれで終わってしまうのですが、それだけではここはちょっと惜しい場所なので、石碑とはやや方向性がズレてしまいますが続けてみたいと思います。

この記念碑の隣り(画像ではバックに写りこんでいる石垣の向こう側)に、かつては大きな木々が茂っていたトゥヌガナス御獄があるのですが、この御嶽の入口(小ぶり鳥居がある)の部分に無残にも破壊された遺構がぽつんと建っています。
第38回 「池間小学校発祥之地」
この遺構は県内だけでなく全国的にも数少ない、旧池間小学校の奉安殿(ほうあんでん)跡というものです。
1890(明治23)年に教育全般の規範として発布された、教育勅語(教育ニ関スル勅語)をもとに、主に戦前に行われていた政府の教育方針で、奉安殿は天皇と皇后の写真(御真影)と教育勅語を納め、保護する建物として学校に作られ、登下校時などに奉安殿の前を通過する際は、職員生徒すべてが服装を正してから最敬礼するように定められていました。
第38回 「池間小学校発祥之地」第38回 「池間小学校発祥之地」
また、四大節祝賀式典(元日、紀元節、天長節、明治節)の際には、職員生徒全員が御真影に対しての最敬礼を奉り、教育勅語の奉読をする儀典が催されていました。特に戦中から終戦にかけて、職員生徒はこれに翻弄されることとなります。
戦後、本土では1947(昭和22)年に教育基本法が施行され、教育勅語は学校教育から完全に排除されますが、米軍政権下となった沖縄ではどのような動きがあったのかと云うところまでは、ネタが大きくなりすぎて調べきれませんでした(後に民政府が設立され琉球教育法が発布されるが、教育勅語については特に触れられていなかった)。

そして残念なことに旧池間小の奉安殿は戦後、何者かによって無残に破壊されてしまい、このような姿となってしまいました。
そんな一方で、沖縄市美里国民小学校跡(現・童養護施設美さと児童園/市指定文化財)や、本部町謝花国民学校跡(現・本部町営謝花団地/町指定文化財)、石垣市登野城小学校(県内では唯一、現存する学校に設置されている/市指定文化財)などの奉安殿は、公共の財産として文化財に指定され現在も保存されています(昭和16年に尋常小学校から国民小学校に改称されているので、呼称を統一しました)

中でも石垣市の登野城小学校の奉安殿は、旧池間小の遺構の残存部分が酷似しているので、かつてはこんな感じだったのだろうと妄想を上乗せしておきます。

池間小学校の校史を紐解いてみると、奉安殿(御真影)に関する記述がいくつか目に留まったので、最後に列記しておきたいと思います(これ以外にも四大節などの行事もある)。
1928(昭和3)年9月6日 奉安殿 工事竣工
1928(昭和3)年10月20日 奉安殿御真影奉載 奉載祝賀会
1928(昭和3)年10月22日 在郷軍人御真影拝賀
1931(昭和6)年2月5日 御真影奉迎 拝載式挙行
1931(昭和6)年4月9日 御真影奉還式挙行
1932(昭和7)年4月28日 教育者ニ賜ハリタル勅語伝達奉載、奉読式挙行
1983(昭和8)年9月17日 暴風ニツキ御真影ヲ校長宅ニ安置シ奉ル
1983(昭和8)年10月19日 御真影ハ勝連氏宅ニ遷ス。21日奉遷ス
1938(昭和13)年2月3日 新校舎移築のため仮校舎にて授業。
             四年生以上は共同削場を教室としていた。
1938(昭和13)年6月7日 新校舎ヘ移転ス(学校のみ移転した模様)
1940(昭和15)年11月1日 教育勅語換発五十周年記念式挙行
1944(昭和19)年10月31日午前7時半 御真影 宮古中学校(現・宮古高校)へ奉遷
1944(昭和19)年11月1日 御真影宮古中学校ヨリ宮古郡御真影奉遷所へ奉遷
1944(昭和19)年12月29日 砂川教頭 奉護当直ノタメ郡御真影奉遷所へ出張

※「宮古郡御真影奉遷所」は野原岳の北側に作られた壕で(颱風マエミーで入口が崩落)、宮古郡教育部と軍当局が協議し、御真影の安全のため各学校から集めて疎開をさせた。御真影壕は教職員が交代で24時間奉護をしていたという(沖縄県戦争遺跡詳細分布調査Ⅴ 宮古諸島編 沖縄県立埋蔵文化財センター 刊行より)

【資料】
宮古島市立池間小中学校
「奉安殿 国文化財に」 戦争遺構研が本部町調査(琉球新報 20130206)
登野城小の奉安殿、市文化財に指定 石垣市教育委員会(八重山毎日新聞 20081101)


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