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2015年02月24日

第19回 「公教育発祥之地」

伊良部大橋開通(勝手に)記念シリーズ第4弾は「公教育発祥之地」です。これは第15回「上野村教育発祥之地」に続く、教育発祥の地シリーズの第2弾でもあります。
この碑-いしぶみ-は伊良部郵便局(国仲86-16)の隣、国仲の交差点の角にある小さな公園、というよりは区画整理による残地のような場所に建てられています。
第19回 「公教育発祥之地」
ここに学校が存在していたのかを調べてみましたが、短い時間でははっきりとしたことが判りませんでした。
ただ、この碑から700メートルほど北に、現在の宮古島市立伊良部小学校(沖縄県宮古島市伊良部長浜1401)があり、その校史によると1886(明治19)年の創設当初には、下地間切国仲2番地(宮古島市伊良部字国仲)に学校があったと記されています。地図でその住所を検索してみると現在の学校よりもやや南にあり、わずかですが石碑に近くなりました。
残念ながら位置的な調べはつきませんでしたが、1890(明治23)年に池間添、前里添の佐良浜地区が校区外となって、後の佐良浜小学校が創設されるまで、この伊良部小学校が伊良部島で最初の小学校で、島における教育機関の始まりはこの国仲の地であることは間違いないようです(実際には佐良浜地区には分教所=分校があったのでここまで通っていたわけではなさそうです)。
昭和六十一年十一月二十七日
伊良部町長 川満昭吉
贈 奥浜幸雄
石碑裏面に建立された日付があり、1986(昭和61)年となっていることから、伊良部小学校の百周年記念事業で作られたものではないかと推察することができます。
尚、送り主である奥浜幸雄氏はおそらく元伊良部商工会会長であろうと思われます。

[参考資料]
伊良部小学校 沿革
佐良浜小学校 沿革


連載企画 「んなま to んきゃーん」
なにかを記念したり、祈念したり、顕彰したり、感謝したりしている記念碑(石碑)。宮古島の各地にはそうした碑が無数に建立されています。
それはかつて、その地でなにかがあったことを記憶し、未来へ語り継ぐために、先人の叡智とともに記録されたモノリス。
そんな物言わぬ碑を通して今と昔を結び、島の歴史を紐解くきっかけになればとの思いから生まれた、島の碑-いしぶみ-を巡る連載企画です。
※毎週火曜更新予定  [モリヤダイスケ]



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