2014年12月09日
第8回 「独逸商船遭難の地-公爵近衛文麿書-」
前回に引き続き、ドイツ商船ロベルトソン号遭難に始まる博愛記念碑の物語(その3)で、公爵・近衛文麿が揮毫したふたつ目の碑、「独逸商船遭難の地碑」(史跡指定)です。
こちらの碑はドイツ商船ロベルトソン号が座礁、遭難したンナト浜沖のリーフに面して建設されたテーマパーク「うえのドイツ文化村」(1996年オープン)の中に建立されています。ロベルトソン号の座礁現場をもう少し正確に記すと、ドイツ村に隣接した博愛漁港(水中展望船シースカイ博愛のりば)の沖合いのリーフエッジにある、赤い航路標識の近くなのだそうです。

碑の横にある旧・上野村による解説板には、下記のように説明されていました。
当時の解説についてはいくつか気になる点もありますが、この碑は前回同様、第2回で紹介した下地玄信(1894-1984)が深く関係しています。
この碑が建立されたのは下地玄信が尽力した1936(昭和11)年の博愛記念碑60周年記念のイベントでした。碑の背面に記されれている言葉によると、「独逸皇帝感謝碑六十周年記念式典」と呼ばれていたもののようで、駐日独逸大使代理の京都日独文化研究所主事フリードリヒ・トラウツ博士(1877-1952)夫妻を招き、この石碑の階段で関係者と一緒に並んでいる式典の様子が、宮古最古の映像史料として残されています(2014.9.7開催の第一回みゃーく市民文化センター講座にて、宮古島市史偏差室のご厚意により、特別に上映させていただきました)。
また、碑の背面には
と、建立時の状況が記されています。他にも碑の側面の端には、この碑を作成した大阪市住吉区の新谷石材店の名前も記されており、当時の関係性が朧げながら読み取ることが出来ます(この頃、下地玄信は大阪で公認会計士を柱に活躍していた)。


この碑をよく見ると碑のところどころが欠けているのが見受けられます。なんでもこれは機銃掃射の跡だそうで、あまり知られていない戦争の遺構でもあるそうです。
こちらの碑はドイツ商船ロベルトソン号が座礁、遭難したンナト浜沖のリーフに面して建設されたテーマパーク「うえのドイツ文化村」(1996年オープン)の中に建立されています。ロベルトソン号の座礁現場をもう少し正確に記すと、ドイツ村に隣接した博愛漁港(水中展望船シースカイ博愛のりば)の沖合いのリーフエッジにある、赤い航路標識の近くなのだそうです。

碑の横にある旧・上野村による解説板には、下記のように説明されていました。
「ドイツ商船遭難之地碑」上野村指定文化財(史跡)
昭和54年3月9日指定
1873(明治)6年7月2日、中国の福州を出航したドイツ商船R.J.ロベルトソン号がオーストラリア向け航行中、洋上で台風にあい、同年7月11日、この碑のおよそ1km沖にあるウプピシ(大きな干瀬のこと)に座礁して遭難した。
宮国の人々は台風で荒れ狂う激波の中、翌7月12日、危険をおかして乗組員8人全員を救助し、37日間にわたり親切ていねいに手厚くもてなし、帰国させた。
このことは、いち早くドイツの新聞に取り上げられ、ドイツ政府は宮国の人々の純情に感激し、皇帝ウイルヘルム1世は1876(明治9)年、軍艦を派遣して平良市西里(親腰)に博愛記念碑を建てた。
この美談は、昭和12年の文部省発行教科書“尋常小学修身書巻4”に「博愛」という題で載せられ全国の小学校で教材となった。
このドイツ商船遭難の地碑は、宮国の人々の美しい心と勇気ある行動をいつまでも讃えるために、ロベルトソン号遭難から63年目の1936(昭和11)年に近衛文麿公の筆により刻まれた。
当時の解説についてはいくつか気になる点もありますが、この碑は前回同様、第2回で紹介した下地玄信(1894-1984)が深く関係しています。
この碑が建立されたのは下地玄信が尽力した1936(昭和11)年の博愛記念碑60周年記念のイベントでした。碑の背面に記されれている言葉によると、「独逸皇帝感謝碑六十周年記念式典」と呼ばれていたもののようで、駐日独逸大使代理の京都日独文化研究所主事フリードリヒ・トラウツ博士(1877-1952)夫妻を招き、この石碑の階段で関係者と一緒に並んでいる式典の様子が、宮古最古の映像史料として残されています(2014.9.7開催の第一回みゃーく市民文化センター講座にて、宮古島市史偏差室のご厚意により、特別に上映させていただきました)。
また、碑の背面には
独逸皇帝感謝碑六十周年記念式典の際建立之
昭和十一年十一月十四日
主催 宮古郡教育部会
賛助 大阪在住縣人有志
と、建立時の状況が記されています。他にも碑の側面の端には、この碑を作成した大阪市住吉区の新谷石材店の名前も記されており、当時の関係性が朧げながら読み取ることが出来ます(この頃、下地玄信は大阪で公認会計士を柱に活躍していた)。


この碑をよく見ると碑のところどころが欠けているのが見受けられます。なんでもこれは機銃掃射の跡だそうで、あまり知られていない戦争の遺構でもあるそうです。
連載企画 「んなま to んきゃーん」
なにかを記念したり、祈念したり、顕彰したり、感謝したりしている記念碑(石碑)。宮古島の各地にはそうした碑が無数に建立されています。
それはかつて、その地でなにかがあったことを記憶し、未来へ語り継ぐために、先人の叡智とともに記録されたモノリス。
そんな物言わぬ碑を通して今と昔を結び、島の歴史を紐解くきっかけになればとの思いから生まれた、島の碑-いしぶみ-を巡る連載企画です。
※毎週火曜更新予定 [モリヤダイスケ]
Posted by atalas at 12:46│Comments(0)
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