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2017年08月01日

第146回 「水道落成記念碑」(宮国)

第146回 「水道落成記念碑」(宮国)

島の井戸に関する石碑を巡っています。今回ご紹介するのは上野地区の宮国にあるアマガーです。アマガーというと友利のアマガー(天井)が知られていますが、宮国にもアマガーがあります。場所はブリッサの北側にある耕作地の外れ(少し山がちになる荒地との境目あたり。ユニマットの寮に続く道すがら)にあります。
第146回 「水道落成記念碑」(宮国)宮国のアマガーは友利のように立派で深いものではありません。石積みで囲われたウリガーではありますが、降り口がかなり急勾配な上に堆積物も多く滑りやすくなっています。また、季節により生い茂る緑に覆われて、存在そのものが天然の迷彩によって隠ぺいされいることもあります。

このアマガーは雍正旧記(1727年)によると、掘削年不明の「あま井」の洞泉として記されていると解説されていますが、宮国村にある井戸は側草川、穴川、東川の3つとされており、この段階では解説の根拠がいまひとつ理解できませんでした。
この宮国は1771年に発生した乾隆36年の大波(明和の大津波)により、旧集落(崖下の元島)が失われ、崖の上に新たな村建てを行います(伊良部などから移民させて村を再建しますが、近年の研究によると集落の東西で祭祀に若干の差異が見られ、新旧の住人の祖が異なる証拠ではないかと云われています)。
集落移転後も、元島に残る井戸は貴重な水源として宮国集落の人々によって使われ来ました(2017年秋オーブンのホテルシーブリーズカジュアルの西隣は元島時代から続く、カスブヤー御嶽の森が残り、宮国の旧集落跡である元島遺跡に隣接している)。
第146回 「水道落成記念碑」(宮国)第146回 「水道落成記念碑」(宮国)
と、ここまでアマガーについて史料を元に解説してきましたが、今日の本編は「水道落成記念碑」(石碑の“記”のつくり記は己ではなく巳)なので、ここでちょっと立ち位置を変更しておきます。
というのも、アマガーの隣にはもうひとつ洞穴があるのです。こちらは苔むして滑りやすい岩床の自然洞で、洞口は決して広くない鍾乳洞(長さは15メートルほどらしい)で、その手前にはコンクリートの近々代の廃墟(屋根はなく囲いと、内側に台座痕だけが残っている)が残されいます。そう。実は石碑的にはこちらの洞穴が主役なのです。
ここは1956年からは1962年頃まで簡易水道の水源として利用されて(碑に記されている落成の日付は1957年4月26日と、若干の差異が見られる)、廃墟はそのポンプ小屋の跡と云うことになります。
第146回 「水道落成記念碑」(宮国)第146回 「水道落成記念碑」(宮国)
石碑の背面には簡易水道の施工をした(と思われる)宮古工務出張所という会社(機関?)の所長をトップに、同所の土木主任の名前が記されています。それに続いて上野村長(第四代砂川旨誠)を筆頭に、助役、収入役、村議会儀長、副議長、さらには議員名まで、村のお歴々の名前が刻まれています。
また、右の側面には組合長(簡易水道の組合と思われる)や集落会長名があるのですが、なぜか宮国の集落名が書かれていません。資料をあさって見ると1956年に宮国簡易水道が完成しており、地理的なことからも間違いなく宮国で問題はないと思うのですが、最下段に宮国のお隣となる大嶺集落(1893年に宮国から集落は分離したが、大字は宮国のまま)の会長名が付記されているあたりはなかなかに興味深いです。
ちなみに1956年に完成した宮国簡易水道は、1958年に上野村営に移管されます(上野村の下地村からの分村は1948年)。

年表を眺めていて気づいたのですが、このアマガーでの簡易水道が終了したとされている1962年頃(宮古島上水道組合が発足するのは1965年と少し時期がずれる)は、とても旱魃が多く、1962年3月30日から6月4日までの67日間の旱魃が発生。翌1963年には、70年ぶり(1852年の子年の大旱魃)となる137日間(1月15日~5月31日)の大旱魃が発生します。さらに1971年には186日間(3月15日~9月16日)という半年を越える特大旱魃が発生しています。
しかも、この間には1966年に第二宮古島台風(コラ台風)、1968年にも第三宮古島台風(デラ台風)が立て続けに宮古島へ襲来して大きな被害をもたらすなど、島にとっては天変地異のようなとても大変な時期になっていたようです。

このアマガーは1979(昭和54)年に上野村の指定文化財(史跡)に指定され、現在は宮古島市の文化財として保護されています。
すでにお気づきの方もいらっしゃると思いますが、この宮国元島周辺にはもうひとつ史跡に指定された井戸があります。ドイツ村正門前の「アナガー」です。次週はこのアナガーをお届けする予定ですが、冒頭で触れた雍正旧記(1727年)にある宮国村の3つの井戸。側草川、穴川、東川をよく覚えておいてください。次週は勢いだけで、ここに切り込んでみたいと思います(返り討ちにあうような無謀な予告とならないことを祈ります)。




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