2015年08月04日
第42回 「勇犬クロ之碑」
今回ご紹介する石碑は、大浦集落の西方、大浦湾を望む高台にある農村公園の片隅に建立されている「勇犬クロ之碑」という、おそらくはほとんどの人が知る由もない小さな物語を持った碑です。
自分自身もこの碑はたまたま大浦を訪れた際に、なんか石碑があるなぁ~っと思いつつも時間の都合で内容を確認をしないまま通過してしまい、いずれ再訪しようと心のメモに書き留めておいたところ、その後すぐに住宅地図を手に取る機会があり、偶然にもこの石碑の名を知って慟哭。いったい「勇犬クロ」ってなんだ?という「キニナル」モードへ一気にギアが入ってしまい、取るものもとりあえず現地を確認しに行ってしまったという、手前味噌などうでもいい物語などもありますが、それはともかくとして、いったいこれはなにの碑かと云いますと。。。
平成7年より9年迄続いたイノシシの被害はあらゆめる対策も功成さず生産意欲を失う程増大した。以上、原文のまま引用しましたが、後世まで残り語り継がれるであろう碑文にしては、ちょっと気持ちが先走りすぎていて、かなりぐだくだな内容(1周期は一周忌の誤記?などなど)になっていますが、三年もの長きに渡って集落の畑を荒らしまくった巨漢のイノシシを、2日間にわたる攻防の末、猟犬クロが殉死する犠牲と引き換えに仕留めたという物語です。
5月9日市当局の依頼によって八重山猟友会長大嵩さん8名の隊員猟犬出動、自治会も動員、駆除大作戦、猟犬クロが猪に襲われ殉死悪戦苦闘翌10日止どめの銃声、70K巨体を確認し、萬々歳の完成で終決。1周期にあたり殉死したクロの慰霊碑を建立、仲間議員、上里、古波蔵氏を始め2年間に亘り駆除にかかわり下された関係各位に感謝の意を表し猟友会員と猟犬を記名し永く功を讃える
会長 大嵩 孝成
東川平眞吉
宮良 清光
糸満 善和
新里 貞雄
橋間 輝義
嘉手苅 守
敷名 安正
猟犬 ボス
キン
クロ
平成十年五月十日 大浦自治会
時に宮古島ではイノシシが害獣として駆除されることがありますが、現在、島に野生のイノシシは生息していません(ただし古い遺跡などからは大量にイノシシの骨が出土しています)。ペットや家畜として島に持ちこまれた個体が逃げ出して野生化。農作物に被害を出して駆除されるという事例が、2年に1回くらいおきています。このクロの逸話もそんな害獣駆除に絡んだ話なのです。
当時の新聞によると八重山猟友会の協力を得て、駆除作戦は1997年5月9日から始まった。イノシシが隠れているとみられるフズ嶺(大浦の山)へと分け入るも、初日は残念ながらめぼしい成果をあげることはできなかった。だがししかし、一緒に山へ分け入った猟犬のクロだけがその日、山から戻ってはこなかった。
翌10日も朝から山へ向かう。午前9時20分に銃声2発が響くも仕留めた報告はなく、その後、猟犬たちの鳴き声が特定の位置で続き、やがて10時10分に銃声が1発。続くトドメの一発が轟き、ついにイノシシを仕留めることに成功した。
一方、クロ(オス3歳)は山中でイノシシにやられ、遺体となって発見されたという。
駆除されたイノシシのサイズは、体長130センチ、体重70キロのオスで5~6人がかりで山から下ろしほど大きかったとのこと。尚、このイノシシは集まったみんなで鍋料理にして味わったという。
殉死したクロを悼むとともに猟友会への感謝を込め、翌年1998年5月に、勇犬クロの碑が建立されたこともニュースになっていました。
Posted by atalas at 12:00│Comments(0)
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