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2015年01月13日

第13回 「博愛の心-創立百周年記念碑」

「ドイツ商船ロベルトソン号遭難に始まる博愛記念碑の物語」も延長第3戦。シリーズでは通算9回目となります。
前回の「科学技術の果てにある博愛」や、第10回の「神格化して祈る対象となった博愛」など、いわゆる言葉として独り歩きを始めた「博愛」の二次使用的な記念碑は教育面へも進出しています。
とはいえ、「博愛」の教育への利用は、かの「修身の教科書」(1937年/昭和12年)の史実でよく知られておりますが、今回ご紹介する碑はそうした直接的なものではなく、宮古島市立上野小学校内にある「博愛の心-創立百周年記念碑」です。
第13回 「博愛の心-創立百周年記念碑」
この石碑の建立当初はまだ旧・上野村立の上野小学校で、その歴史は明治33年(1900年)の新里尋常小学校まで遡ることができます(所在地は現在の宮古島市営新里団地)。
そこはいわば上野村教育発祥の地でもあるのですが、他にも日本初のアニメーションを作った宮古島生まれの下川凹天の父・貞文が校長を勤めていたり、「えんどうの花」の作詞者、金城栄治が教員として赴任していた小学校であったりと、ついつい鼻息の荒くなるような場所であったりするのです(それぞれ時期は異なります)。
第13回 「博愛の心-創立百周年記念碑」
※画像をクリックすると拡大します。

碑の裏面にある建立の解説を記してみました。
創立百年の栄光を記念し、郷土の自然や文化に誇りをもち、未来を拓くし心身共に健全で人間性豊かな子どもたちの成長を願い、この記念碑を建立する

     平成一年九月四日
     上野村立上野小学校
     創立百周年記念事業期成会
会  長 砂川   功
副会長 芳山 弘志
川田 正一
前里 晃章
砂川 茂彦
学校長 髙江洲恵清


     寄贈   碑 (株)千代田カントリークラブ
          台座 (有)宮古コンクリート工業 代表取締役中尾英作

期成会のメンバーの中に、後に最後の上野村長となり、宮古島市の職務執行者(初代市長決定までのトップ)を勤めた、川田正一氏の名前か刻まれていました(他もチラチラと気になるお名前もありますが・・・)。
どうしてこの「博愛」の碑となったのかは、どことなく地理的歴史的な要因があるので想像するに難くはありませんが、もっとも判りやすいのは上野小の校訓がそのものズバリであることでしょうか。
宮古島市立上野小学校
校訓「博愛の心」
・思いやりの心       ・仲良くする心       ・感謝する心



連載企画 「んなま to んきゃーん」
なにかを記念したり、祈念したり、顕彰したり、感謝したりしている記念碑(石碑)。宮古島の各地にはそうした碑が無数に建立されています。
それはかつて、その地でなにかがあったことを記憶し、未来へ語り継ぐために、先人の叡智とともに記録されたモノリス。
そんな物言わぬ碑を通して今と昔を結び、島の歴史を紐解くきっかけになればとの思いから生まれた、島の碑-いしぶみ-を巡る連載企画です。
※毎週火曜更新予定  [モリヤダイスケ]



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