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2014年11月04日

第3回 「川満亀吉顕彰碑」

昨日11月3日。「みゃーく市民文化センター」第2回・第3回の講座が宮古島市下里公設市場二階で合同開催され、人頭税廃止に尽力をした中村十作の故郷・新潟県上越市板倉から、十作ゆかりの方々とネット中継をつないことから、連載企画 「んなま to んきゃーん」の三回目は、人頭税関係の碑を取り上げてみたいと思います。
第3回 「川満亀吉顕彰碑」
中村十作と城間正安らとともに、島の農民の代表である西里蒲と平良真牛は請願団として上京することから、その名は割りと知られていますが、宮古の農民総代には島に残った代表があとふたりおりいました。ひとりは東の総代、新城村の上原戸那。そして西の農民総代となっていたのが川満亀吉であります。

この碑は下地嘉手苅の南方。入江湾の東側、県道235号線沿いにあります。近くには当時、城間正安が住んでおり、入江湾のパチャガ崎もほど近い場所です。

石碑の裏にある解説文には、池間島で真珠養殖の養殖地の調査中とおぼしき中村十作が登場ます。後に事業化した養殖場は、平良のトゥリバーや伊良部(その後、宮古から奄美の油井小島へ移転する)といわれているので、もしかすると十作の痕跡が池間島にも存在するかもしれません。

 川満家三代目川満亀吉翁は、才幹人にすぐれ二十三歳で総代にえらばれた。彼は常に人頭税に心を痛め、日頃敬愛する城間正安と語るのでした。
 城間は元県の農業指導員。亀吉の世話でソガーニにすむようになり、人頭税についても思いは一つ四民平等明治の聖代を語り農民結束の急務を強調した。亀吉安閑としておれず人目を盗んで各地の総代説得にかけまわるようになると、総代達の城間、亀吉訪問も頻繁になって話は次第に進んだ。
 そして示しあう某日。村々の総代はひそかにパチャガ崎に集合し、農民一丸、日本政府へ人頭税廃止の請願運動を起す事を決議した。
 その頃、新潟県人中村十作が真珠養殖計画で池間島に滞在するのを幸い、城間と亀吉は中村に指導協力を願うべく礼を尽くしての訪問となった。中村は見識が高く、義侠心強き人物。親交は深まり二人の語る計画にもすっかり共鳴し、悪税廃止運動に参加する熱意を示すようになって、堅実に運動の所準備も整って、東京への陳情団派遣が実現したのである。
 尚、亀吉は明治二十九年三月十日組織された水産組合についても当初の計画から参画し、その実現を期して献身的な活躍を惜しまなかった。まさに人頭税廃止に願をかける亀吉が、中村を思慕する最善の友情として称賛すべきである。
 以上、亀吉の農民救済人頭税物語子孫への伝承とする次第である

川満金市 外親戚一同

昭和五十七年八月七日 建立
※一部、読みやすくするために句読点を追加しました。



連載企画 「んなま to んきゃーん」
なにかを記念したり、祈念したり、顕彰したり、感謝したりしている記念碑(石碑)。宮古島の各地にはそうした碑が無数に建立されています。
それはかつて、その地でなにかがあったことを記憶し、未来へ語り継ぐために、先人の叡智とともに記録されたモノリス。
そんな物言わぬ碑を通して今と昔を結び、島の歴史を紐解くきっかけになればとの思いから生まれた、島の碑-いしぶみ-を巡る連載企画です。
※毎週火曜更新予定  [モリヤダイスケ]



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