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2019年02月26日

第222回 「愛鳥(伊良部中学校)」

第222回 「愛鳥(伊良部中学校)」

えー、来春開校の小中一貫校“結の橋学園”となる伊良部の4小中校の石碑を巡る旅も3回目。いよいよ中学校編です。まずは伊良部中学校から。今回、メインで取り上げる石碑は、校門を入ってすぐのところにいくつか並んでいる碑の中でも、少しばかり異彩を放っていた「愛鳥」と刻まれた謎っぽい石碑です。どことなく“らしくない”違和感を感じて、見切り発車ではありますが、まずがーと進めてみることにしました。
第222回 「愛鳥(伊良部中学校)」
煉瓦カラーの校門を入ってすぐのところには(なとんこの校門は、1989年に池間正栄によって寄贈されたもの)、伊良部中学校の校歌碑が建立されています。作詞は下地恵辰(第四代校長)、作曲は豊見山恵永。碑には校歌が一番だけ刻まれているので、ちょっと紹介しておきましょう。
一.
光円かな 南の  島のもなかの岡の上に
  伊良部中学 名に映えて  たてり世紀の朝ぼらけ
二.
道ふみひらく ペンの先  玉の汗呼ぶ 鍬はがね
  一つ心に よく結び  正しくかざす 我が校章
校歌は五番までありますが、紙面の都合でここまでとしておきますが(フル歌詞はコチラ)、なかなかに難読、誤読をしやすい歌詞です。歌いだしは漢字の順番にちょっと空目しましたが、「ひかり まどかな」です。続く「島のもなか」は、漢字なら「最中」、“まんなか”という意味ですね。それに続く「岡の上に」は「おかのえに」と読むようです。初見にはなかなか難問の校歌です。もうひとつ付け加えておくと、二番のラスト「我が校章」は、なんと「わがしるし」と読むそうてす。文字通りのこれは厨二病的です。
第222回 「愛鳥(伊良部中学校)」
第222回 「愛鳥(伊良部中学校)」第222回 「愛鳥(伊良部中学校)」
【上】校歌碑 【左】レンガの校門 【右】校門前から見る全景

この校歌碑の上に描かれているシンボルが“わがしるし”こと、伊良部中学校の校章です。どうも実物は角丸の正三角形の中にマークが収められているようなのですが、石碑の校章のデザインはちょっと外側の角丸の正三角形か丸すぎる気がします。
そして学校のHPの解説によると、この校章は2番の歌詞をモチーフに、初代校長・平良恵祥が考案したとあります。あれ?。校歌の作詞は第4代校長のはず。いや、待って。校歌の制定は1952年じゃないか~?。
時系列か輻輳して来たので、沿革史を確認しつつ少し整理してみます。

1948年4月 伊良部中学校開校(4月13日が開校記念日に制定。佐良浜校も分校として設立されてる)。
本土では1946年11月3日に新憲法が公布され、1947年には教育基本法が制定されました、これにより新制の6・3・3制がスタートますが、日本から分離された沖縄は、まだ戦後の荒廃した混乱期の中にありました。ところが、宮古島では戦後、いち早く「宮古教育基本法及び学校教育法」を1948年4月1日に公布し、6・3・3制を導入します。これは1951年に公布される「沖縄群島教育基本条例及び学校教育条例」よりも早い動きなのです。これにより、伊良部中学校は伊良部島で唯一の中学校として設置されたのでした。
 詳しくは、金曜特集「宮古と教育基本法~秘密の活路~」)を参照
そして伊良部中学校初代校長として、平良恵祥が就任しました(1955年度まで、7年勤務)。
1949年3月 第一回卒業式(3月23日)。おそらく伊良部本校と佐良浜分校でそれぞれ行ったので、南区(9時~10時半)と北区(11時半~13時)で別々に挙行されています。ちなみに、旧制の小学校(国民小学校高等科)は新制の中学2年生相当までなので、開校初年度でも卒業生が存在しています。
1949年4月 佐良浜校区が分離され、佐良浜中学校として正式に独立(1948年次は分校)。
1952年2月 新校舎建設のための石材(砂利などの採取)に、全校生徒で下地島南岸に出向いてます(複数回あり)。その他、集落の人たちの奉仕活動や寄付によって新校舎の建設を行っている記述があり、島の人たちの教育への熱いものを感じます。
1952年6月 校歌決定。
1952年7月 新校舎移転。新校舎の建設と同時に、校地の移転も行っているので、引越しをしたということなのではないかと思われますが、移転前の校地の資料がなく場所か判っていません。どうやら学校農地と土地交換をしたらしいのですが、情報があれ教えてください。
1952年9月 伊良部中学校独立校校舎落成式典挙行。現校地にようやく新校舎が落成しましたが、この時の校舎は建て替え前の先代と思われます。また、式典では校旗樹立式というものも行われたようです。
1952年10月 「井戸施設(滑車掛作業)完了」との記述がありました。3月に井戸工事の入札、5月に井戸の出水とトピックスがあり、校地に井戸が掘削されたようなのですが、現在の伊良部中学校の校地を眺めても、井戸らしきものを発見することは出来ませんでした。個人的に井戸マニアでもある身としては、井戸の所在、現在の姿を知りたいものです。
1955年4月 2代校長 下地恵義(1960年3月まで)
1960年4月 3代校長 大川恵良(1962年3月まで)
1962年4月 4代校長 下地恵辰(1966年3月まで)
と学校の歴史は続いてゆき、今年、2019年で創立71年目となります。

1952年6月の校歌が決定したこの時期に、校旗図案審査会と云うものも開かれている記述があることから、ここで校章も定まったのではないかと見られます。
この時点での校長は初代の平良恵祥ですが、調べてみると、後に4代校長となる下地恵辰が1950年(11月)から1951年の年度末まで教頭を勤めていることが判りました。おそらく新校舎の完成を前に、校歌、校章、校旗といったものを決めていたというところでしょうか。時間軸も見えてくると、謎もちょっと説けて来ました。
ただ、手持ちの資料からはこれ以上の決定打はなく、謎解き出来たのはここまで。もっと詳しい話が聴けるものなら教えて欲しいものです。
第222回 「愛鳥(伊良部中学校)」第222回 「愛鳥(伊良部中学校)」
さて、いつものように大きく話が逸れていますが、この校歌碑のそばにあるのが、今回のタイトルとなっている「愛鳥」の碑です。
建立者は手登根勝と記されています。しかし、建立された時期などについてはまったく判りません。きっと、寄贈した手登根さんならば、この碑に込めた真の理由を知っているのかもしれません。
ただ、こじつけといわれたらアレなのですが、実は校歌の3番に「高くはばたく 白鳩を」という歌詞がありまして、鳥つながりはあるのかもしれません(伊良部ならサシバじゃないのか?)。
そしてどさくさに紛れて、校庭にある掲揚台の装飾にも注目。こんなところに巨大な翼がありますよ!。どうやら伊良部中学校は「鳥」がキーワードになっているのかもしれません。ごめんなさい。強引にメインの「愛鳥」碑をまとめようとしてみましたが、ネタがオチませなでした。なので謎解きはこれで以上です。
第222回 「愛鳥(伊良部中学校)」
ということで、せっかくの学校ツアーなのて他の碑も紹介しておきます。
まずは碑というよりは掲示板?のような派手なスローガンを記載してコンクリートの板。
「71年の思いを届けよう! 笑顔 団結 感謝」
これは創立71年目の伊良部中学校の「贈る言葉」と云えるかもしれません。

第222回 「愛鳥(伊良部中学校)」続いては卒業記念。
【上】第40期卒業記念

「躍進」
【左】第41期卒業記念

「すなかぎくがに」
【右】第49期卒業生卒業記念

40期の頃は石碑を贈ることがブームだったのか、卒業の記念に建立されているようです。
第222回 「愛鳥(伊良部中学校)」第222回 「愛鳥(伊良部中学校)」
そして学校系の碑ではお約束感のある、「友愛」「忍耐」「誠実」の3スローガンが刻まれた碑です。
しかも、この碑の琉球石灰岩の岩質はちょっと変わっていました。よく見かけるスポンジかアニメに出て来るチーズのように気泡があるタイプではなく、小さな石などがぎゅぎゅっと凝縮した、“さざれ石”かビーチロックのような岩質の面があるのです。そんな岩質のせいではないと思いますが、やたらと草木に表面が浸蝕されています。尚、寄贈は伊良部総合開発となっています。
第222回 「愛鳥(伊良部中学校)」第222回 「愛鳥(伊良部中学校)」
【左 ほぼ読めない3スローガンの碑】 【右 雰囲気のいいステージとひな壇】

このスローガンの石碑の裏に、校地の緩やかな傾斜を利用した、野外ステージとひな壇がひっそりとあります。今にも歌劇が始まるんじゃないかというような、雰囲気のある空間なのですが、活用されていないようなので惜しい雰囲気です(そして体育館裏に、もうひとつステージがあるのです)。
第222回 「愛鳥(伊良部中学校)」第222回 「愛鳥(伊良部中学校)」
第222回 「愛鳥(伊良部中学校)」第222回 「愛鳥(伊良部中学校)」
うーむ。伊良部中学校、あなどれません。
じっくり眺めて見てみると、校舎なんかも意外にもオシャレな作りをしています(老朽化で傷んでしまっていますが)。
校舎の壁面に大きくて見事な壁画があります。取り壊しになったりしたらこれも失われてしまうのでしょうね。
第222回 「愛鳥(伊良部中学校)」第222回 「愛鳥(伊良部中学校)」
【左 校舎に描かれた壁画】 【右 校舎裏の観測機器】

校舎の裏手にフェンスで囲われた気象庁の無人観測施設があります。
こちらは「津波地震早期検地網」という地震計の一種です。気象庁所管のモノなので、しっかりと情報公開もされており、宮古島市内にはこの伊良部中学校以外に4か所(リストには西仲宗根745-1の上原団地もありますが、現在は観測が終了している模様)、多良間に1か所あります。 気象庁震度観測点一覧表 

地震計の話が出たので余談として触れておくと、あまり知られていませんが、こうした施設(管轄が別系統の計測機器システム)がいくつかあります。たとえば、国立研究開発法人防災科学技術研究所地震津波火山ネットワークセンターで観測しているK-net(基盤強震観測網)の観測機器は、狩俣や城辺にあったりします。こちらは気象庁ではなく茨城県は筑波の研究施設にデータが集積されているようです。こういう地震関係の観測設備は実はまだ色々とあったりするので、実物が出て来るとちょっと気なにります。 地震調査研究推進本部事務局
第222回 「愛鳥(伊良部中学校)」
伊良部中学校にはこの地震計の他にも、実は珍しい観測機器が設置されています。宮古圏域でも3か所しかない電子基準点です(あとの2か所は、宮古島市城辺いこいの森、多良間村宮古市の森)。ベアメタルな筺体がちょっと近未来的でお気に入りです。

最後は樹のお話をしておきましょう。
第222回 「愛鳥(伊良部中学校)」
第222回 「愛鳥(伊良部中学校)」第222回 「愛鳥(伊良部中学校)」
第222回 「愛鳥(伊良部中学校)」学校ですから、思った以上に大きな木があるのですが、中でもひときわ大きなのが、体育館前にあるアコウの木です。航空写真で見てもその大きさがパナいのが判ります。
これだけ大きなアコウはなかなかお目にかかれないかと思います。縦横無尽の枝ぶりもさることながら、奇々怪々な根っ子の造形も素晴らしく、このアコウを眺めるだけでも伊良部中学校へ行く価値はあると思います。
よく晴れたおやすみの日の午後、この包み込まれるような優しい木陰でのんびりしに、アコウの大木に逢いに行きたいものです。

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