2019年02月19日
第221回 「(佐良浜小)強い子 明るい子 考える子」

先週からスタートした4月から小中一貫の「結の橋学園」に統合される、伊良部島にある4校の小中学校の石碑を記録するミニシリーズです。2回目は佐良浜小学校編。今回メインで取り上げる石碑は、校門から入ってすぐの園庭に設置された、佐良浜小の児童に向けた3つの言葉を刻み込んだ碑です。でも、その石碑が目立っているのかといわれると、勢いよく茂った周囲の庭木に邪魔されて、残念ながらイマイチ主役にはなれてはいません。
「強い子」「明るい子」「考える子」という3つのスローガンが刻まれた校門前の石碑ですが、碑には建立年など出自にかんする記録がされておらず謎ばかりでした。そこであれこれと資料を駆使して解いてみると、どうやら校舎の建て替えのタイミングなどを周年記念誌から類推すると、75周年(1965年/昭和40年)、80周年(1972年/昭和47年)、90周年(1980年/昭和55年)までは、古い校舎のままであることが判り、校門まわりの写真にも該当の碑はまだありませんでした。
やや話がそれますが、旧校舎の写真の中に、ちょっと印象的ものがありましたので紹介しておきたい思います。校舎の一角に、「生命は時間です」と標語が書かれた時計台です。校舎端のの吹抜けの階段室の上にあるようなのですが、作りもちょっと変わっています。
【佐良浜小百周年記念誌(1990)より。旧校舎の時計台(左)と、校門前の園庭から続くコンクリート舗装の通路(右)】
この後、町制を施行して伊良部町となった1982(昭和57)年に、ようやく「新校舎A棟十二教室・B棟六教室学校へ引き渡す」という文言が沿革史に出てきました。旧校舎から建て替わるタイミングで周辺の整備がされそうな気がしますので、かなり有力です。
100周年(1990年/平成2年)の写真では当該の碑が確認できます。100周年で記念されたという懸念もありましたが、100周年の際には、こちらの「希望」の碑が校門左脇に建立されていますので、これよりも前と云うことになります。
【左 石碑の建立されている前庭と校舎脇だった通路】 【右 創立百周年の「希望」の碑】
なかなか建立年を絞りきることが出来ないのですが、1983(昭和58)年に「A棟、B棟間の中庭造園工事」(3月30日)という項目を沿革史の中に見つけました。旧校舎は校門に対して一直線に長手方向に3棟並んでいたらしく、校舎の前へ続くコンクートの通路が200メートルも続いており、雨の日でも泥を踏まずに教室に入れたそうです。
現在の新校舎も3棟ありますが、教室数がA棟はB棟の倍あることから、一番北がA棟、真ん中がB棟でしょうか(校門に一番近い、南側のC棟?が職員のいる管理棟のようです)。とすると、この中庭の造成園を行ったということになります。
さらに、同年5月2日に「管理棟建築工事終了祝あり(奥浜組)」、5月21日「花園工事(A棟前庭・山口組)」、8月31日「環境整備工事始まる」、9月17日「野外ステージ工事始まる」、11月6日「前庭造園工事終了(ときわ造園)」、1984(昭和59)年10月31日「プール完成、同日プール開き」、1985(昭和60)年1月30日「築山手直し工事完了(与儀勇英組)」、6月22日「理科教材園整地(親泊組)」と続き、おおむね新校舎事業が完了するようです。
なんとなく怪しいのは、前庭造園工事と築山手直し工事ですが、さすがにもうこれ以上は絞り出せませんでした(工事屋なら知ってそうだけど)。
【右 謎の予感が高い、校舎の裏の謎畑と元飼育小屋】 【左 都会から見たら、とてもうらやましい芝生の校庭】
今回の石碑探訪でお勝手校内ツアーを催行しましたが、野外ステージって今もあるのでしょうか、どうもそれらしい場所が見つけられませんでした。あと、理科教材園整地。なんとなく裏手の方に、廃れた飼育小屋のような場所と花壇なのか畑なのか荒地なのか、判断に困る園地があったのでこれではないかと推察。
そこではたと気づいたのですが、裏手の細長い校舎(理科室的なのが入っている)は、教室棟とは向きが異なり、旧校舎と同じ方向を向いている。しかも、校舎端が謎の吹抜けと戸板で塞がれた空間がある。これってもしかして旧校舎時代から残っている建物なんじゃないだろうかと、妄想力が高速回転。佐良浜小卒の詳しい人~!、この答え合わせをお願いできませんですかねぇ?。
そうそう。余談ついでにもうひとつ。校門から200メートルも続いていたコンクリート舗装の名残りが今も残っていることにも気づく。今や校門から管理棟への車寄せの一部になってしまっていますが。そしてこのコンクリート歩道と校庭と境目に樹が植わっており、なんとも凄い自然の造形を見せつけられました。迷走に迷走を重ねた根っ子が作り出した玉座のような根っ子チェア。この曲線がたまりません。
学校と云う空間は人と自然が人工物の中で共生している感が強く、校庭周辺に植えられている木々も生命力にあふれる一方、ぶつかりあう成長がなんともたまりません。
不思議なほど一定の高さで揃っているガシュマルの並木であったり、謎の電柱と共生する木、コンクリートを喰いながら成長する木、鉄パイプがふたつの木の間に横たわって固まっていたり、その“強さ”に感嘆をあげずにはいられませんでした。
そんな木々の下に石碑です。
忘れてはいません。これは石碑の番組です。
けど、話が錯綜する予感がするので、まずは一気に全部見せしちゃいます。そーしないとたぶんヤバイ予感がするので…。まずは石碑もろもろをどーぞ!

【左 ライオンカップ第15回全日本バレーボール小学生大会】 【右 ペプシカップ第21回全日本バレーボール小学生大会】
【左 第12回全九州ボレーボール小学生男女優勝大会】【右 第14回全九州ボレーボール小学生男女優勝大会】
最近、流行のプレートを追加できる石碑建て。
書き出し忘れてしましたが、黒い板のもが「第19回全九州ボレーボール小学生男女優勝大会」です。
【左 ファミマカップ第33回全日本バレーボール小学生大会】 【右 ファミマカップ第34回全日本バレーボール小学生大会】
九州ボレーボール小学生男女優勝大会については前回の伊良部小編でふれたので、内容についてはそちらをお読みいただくとして、佐良浜小では、第12回(1997年)、第14回(1999年)、第19回(2004年)の「全九州ボレーボール小学生男女優勝大会」に出場を果たしています(成績は特に記載なし)。
全九州ボレーボール小学生男女優勝大会 大会記録
そしてもうひとつ。「全日本バレーボール小学生大会」に、佐良浜小は出場しています。
ライオンカップ 第15回全日本バレーボール小学生大会(1995年)
ペプシカップ 第21回全日本バレーボール小学生大会(2001年)
ファミリーマートカップ 第33回全日本バレーボール小学生大会(2013年)
ファミリーマートカップ 第34回全日本バレーボール小学生大会(2014年)
冠スポンサーの変遷によって、統一感がまったくありませんが、こちらはすべて同一の大会で、東京体育館で開催される全国大会への出場を記念したものです。
ちなみに、1981年にはじまったこの大会は、当初の冠スポンサーはライオンでしたが、2001年からはペプシに変わり、その後、サントリーがペプシの日本における製造販売権を取得したことから、2006年より商品名に代わってサントリーが新たな冠となりましたが、2008年からはローソンが冠になります。しかし、別競技に「ローソンカップ」が存在することから、冠名称をつけない大会名で運営されていました。そして2010年からはファミリーマートがスポンサーとなり、「ファミリーマートカップ」の冠名称になっているそうです。ペブシからサントリーへの変更する展開もなかなか面白いのですが、ローソンからファミマとライバル企業へ冠が変更される例は珍しいのではないでしょうか。
続いてはこちら。碑銘を呼んでもイマイチ、違いが判らない三体です。

【左 全日本健康優良学校表彰記念(昭和61年)】 【中 全国保健体育優良表彰記念(昭和62年)】 【右 全国体育優良校表彰記念(平成5年)】
ちなみに、左の全日本健康優良学校表彰記念では、表彰にあわせて3つのスローガンが併記されているのですが、「強い子」「明るい子」「考える子」ではなく、「強く」「明るく」「考える子」と、めっちゃ惜しい感じです。答え合わせしてから発注したらいいはず~といういい例ですね。
佐良浜小の石碑のシメはこちら。
校庭の片隅にあるなかなか目立つ謎の物体。「寄贈 与儀勇英 昭和60年11月」と刻まれたコンクリート3体を錆びた鎖で囲っています。どうやら掲揚柱三本セットだったようです。すでにポールは失われ、その台座だけが残っているようです(新しい掲揚柱は校庭の西側に建っています)。
【佐良浜小 沿革史(抄)】
1887年 明治20年 伊良部小学校池間添分教所
1890年 明治23年 池前簡易小学校が設立(両字の旧村番所)
※佐良浜小の設立
1892年 明治25年 池前尋常小学校に呼称を変更
1901年 明治34年 国仲寛徒が兼任で校長に就任
※1897年に伊良部小に訓導として赴任。1901年に校長を兼任。1907年に佐良浜小へ着任。
1904年 明治37年 佐良浜尋常小学校に呼称変更。
1941年 昭和16年 佐良浜国民学校に呼称変更。
1948年 昭和23年 佐良浜小学校に呼称変更。
1965年 昭和40年 創設75周年
1972年 昭和47年 創設80周年(1970年に期成会を準備するも遅延)
1980年 昭和55年 創設90周年
1991年 平成 3年 創立百周年
2019年 平成31年 閉校。結の橋学園(伊良部島小学校)へ。
【主な歴代校長】
初代校長 平良恵昌
二代校長 国仲寛徒(後に初代伊良部村長)
四代校長 石原雅太郎(後の平良町長・平良三大事業の立案者)
七代校長 瑞慶覧朝牛(後に城辺町長・瑞福隧道の立役者)
Posted by atalas at 12:00│Comments(0)
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