てぃーだブログ › ATALAS Blog › 宮古口見聞録"~みゃーくふつけんぶんlog › log18 「みちのく宮古と南国宮古」

2018年11月02日

log18 「みちのく宮古と南国宮古」

log18 「みちのく宮古と南国宮古」
こんにちは!
宮古も朝晩だいぶ涼しくなりました。そして小学校は秋の遠足シーズンを迎え、我が家の次男も遠足の日を心待ちにしています。
先日学校から持ち帰ってきた遠足についてのお便りの余白には、次男の手書きで当日の持ち物が書かれていました。「お弁当・水とう」などと並んで、「プーカーボール」と書かれていて思わず笑ってしまいました。
log18 「みちのく宮古と南国宮古」
【プーカーボール】
柔らかいボール。内地ではカラーボールやゴムボールと呼ばれている当たっても痛くないボール。「プーカー」は「柔らかい」の他、「風船」の意味もあるようです。

また、FMみやこのパーソナリティで、宮古島の「劇団かなやらび」のミャークフツ翻訳もされている與那覇淳さんに話を伺ったところ、
『ぷーかー』は穴が空いている状態。ボールの場合、釘などで穴を空けられたために空気がすっかり抜けている状態。『ぷーかーボール』は最近使われ始めた言葉だと思われる。『ぷーかー』は単独で使わず『穴ぷーかー』や『穴ぷーき』というように『穴』という言葉とセットで使われる。
とのこと。
なるほど!。靴下や服に穴が空いたのを、「ぴーきた」と言うのは「穴プーキ」が変化したんですねー。
柔らかいボールを「アフボール」とも言うことがあるようですが、こちらは「空気が少なくなっているが完全に抜けきっているわけではない。握ると容易に凹む状態のこと」だそうです。
宮古の蒸しパン、「アフ」の名前が由来でしょうね。
log18 「みちのく宮古と南国宮古」log18 「みちのく宮古と南国宮古」
【左:宮古島産アフ 右:岩手県産ガンヅキ】

【アフ】
黒糖、小麦粉、牛乳、卵、はちみつ、重曹、酢などが材料の蒸しパンで、表面にゴマが乗っている宮古の郷土菓子。スーパーや「まっちゃ」などでも(直角)三角形に切ったものが、いくつかパックに入れられて売られている。
これと驚くほどソックリなのが、私の両親の出身地である岩手県の蒸しパン、「がんづき(雁月)」。
なんと見た目だけでなく材料まで一緒!。ただ少し違うのは「がんづき」のほうはゴマに加え、クルミがトッピングされていることが多いということくらい(岩手は和グルミの産地。法事などで出るクルミ豆腐はめちゃくちゃ美味しい!)。
ちなみに、「がんづき」の名の由来ですが、諸説ある中で有力と思われるのは、丸型で蒸した形を月に、表面に散らした黒ゴマを雁に見立てたという説です。

それにしても、東北の岩手から遠く離れた沖縄の離島宮古とで、材料も見た目も一緒のお菓子がそれぞれの土地の伝統郷土菓子とは、いったいどういうことなのでしょう。
それに黒糖は沖縄が主な産地であることを考えると、何故岩手で?とますます謎は深まるばかり。
他にも黒糖を使った岩手のお菓子は無かったかなと過去の記憶を辿ると、ありました!その名は「耳かりんとう」です。かりんとうと言っても長さ10センチほどもある平べったい楕円形で、小麦の白っぽい部分と黒糖味の黒っぽいところが渦巻き模様になって耳のように見えることから「耳かりんとう」と呼ばれています。
log18 「みちのく宮古と南国宮古」
黒糖の産地でもないのに黒糖を使った郷土菓子がふたつもある不思議。調べていくうちに岩手県宮古市と沖縄県宮古郡多良間村とは姉妹市村(姉妹都市ではないんですね)を締結していることが判りました。
安政6(1859)年に岩手宮古市の商船善宝丸(ぜんぽうまる)が76日間の漂流の末に、多良間島(宮古島から西へ約67キロ)に漂着し、島民の手厚い看護を受け乗組員全員が無事帰還したという史実が昭和49年に発見されたとのこと。
これをキッカケに交流が始まり、平成8年2月6日には姉妹市村締結の調印に至ったということです(岩手県宮古市HP参照)

船員たちが多良間村に滞在している間に島民からアフの作り方を教わってたりして。
そして岩手に帰還する際にはお土産で多良間の黒糖をたくさんもらって持ち帰ってたりして、と私の妄想は膨らみます。
みちのく宮古と南国宮古の関係がますます気になります。
どなたかご存知の方がいたら教えてください。
(そういえば2005年の市町村合併のときには「宮古市」と名乗ろとしたが岩手県宮古市から待ったがかかり、住民アンケートで「宮古島市」に決まった経緯がありましたね)
log18 「みちのく宮古と南国宮古」
【まっちゃ】
お店。町家(まちや)が由来と思われる。
宮古の狩俣集落にある狩俣マッチャーズは、宮古口の「まっちゃ」と、元々共同売店だったので英語の複数形の「ズ」を合わせた店名だそうです。

【狩俣マッチャーズ】
狩俣集落の人々が共同出資した共同売店「狩俣購買組合」としてスタート。昔はこのような共同売店が宮古のあちこちにあったそうです。
地元の野菜、お弁当、パン、飲み物をはじめ、日用品から文房具、釣り具から野菜の種まで何でもある商店。副店長の新里さんにお話を伺ったところ、昨年70周年だったので多分今年で71年目とのこと。「狩俣購買組合」から「株式会社 狩俣マッチャーズ」になってからは丸9年経つそう。
log18 「みちのく宮古と南国宮古」log18 「みちのく宮古と南国宮古」
私は平日の11時過ぎにお邪魔したのですが、ひっきりなしにお客さんが行き交っていました。
お会計の際、地元の人が本棚みたいなところから、おもむろに取り出しレジカウンターに放り投げるように置いたB6サイズほどのノートは「通帳(かよいちょう)」というもので、これがあればいわゆる「ツケ」が出来るんだそうです。月末にまとめて払うのかと思ったら特に決まりはなく、次に来たときに払ったりするんだそう。
開店当時は集落の誰もが収入が不安定だったため、現金が無いと買えない「店」だと困るので、このやり方になったということです。
今どき珍しいしやってみたいと思っても、この「通帳」誰でも作れるものではないそうです。規定は無いが、代々狩俣に居る世帯が対象とのこと。そりゃそうですよね。信用ありきのシステムなのです。
入口すぐのレジ近くの棚にズラリと並んだ通帳は、200世帯分はありそうです。
子どものおつかいでもツケがきくと聞き、うちの子だったらアイスや菓子パンをツケで買いまくりそうだなぁと想像し怖くなりました。

コンビニやスーパーで「防犯カメラ作動中」の張り紙が当たり前の現代、現金を持たなくても信用を担保に買い物が可能な狩俣マッチャーズは、稀有な存在と言えるでしょう。
いつまでも通帳があり続けますように!

ではまた来月。
あとからねー!
※     ※     ※     ※     ※

【編集メモ】
『善宝丸』
ATALAS Blog火曜日掲載の島の石を巡る旅「んなま to んきゃーん」でも、南部宮古の善宝丸の話をディープに取り上げています。
第165回 「報恩之碑」
岩手県宮古市と多良間村の交流はいまも続けられています。

『狩俣マッチャーズ』 http://karimata-co.com/
ローカルなお店としては驚きの年商1億越えのマッチャーズ。県内初の共同売店の株式会社化をした稀有な存在ですが、もともとは集落の人たちの出資によって運営されていた共同売店なので、お店の経営が黒字なら組合員に配当(キャッシュパッ)がありました。また、お通帳はある意味で、ポイントカードとキャッシュレスを紙で具現化しており、現代の最先端技術などなくても同じようなことが出来てしまう素晴らしさがあります。
狩俣購買組合が株式会社に!/共同売店ファンクラブ(2009年12月1日)

【ライタープロフィール】
川上 良絵~かわかみ よしえ~
神奈川県出身。2002年、宮古島に移住。
保育と介護、学童クラブのお仕事をしつつ、書店や小学校などで『おはなし会』を行なっています。
絵本の読み聞かせや、紙芝居の他、切り紙、折り紙、マジック、ミャークフツクイズなどなど、オマケコーナーも大好評。
参加費無料です。ぜひせび、遊びに来てくださーい!

『おはなし会』スケジュール ※どちらの店舗でも、およそ30分ほど。
◆TSUTAYA宮古島店
  毎月第4日曜日 午後4時から
◆ゲオ宮古店
  毎月第1日曜日 午前11時から




上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。