2018年07月31日
第195回 「井戸鑿掘(更竹)」

先週の宮積に引き続き、宮原学区の井戸系の石碑です。懲りずに読んでくれたら嬉しいです。ちなみに、小字の順序としては「みやこの祭祀」の「宮原地域の年間祭祀」の掲載順に準じてみましたので、今回は「更竹」にスポットを当ててみました。実は宮積と更竹の間にもうひとつ土底(ンタスク)の小字がありますが、すでに第48回「土底村里井戸改修工事」(当時は水シリーズとして掲載)で取り上げてしまっているので、こちらをご参考ください(順序縛りなんかして、ちゃんとできるのかちょっとプレッシャーです)。
まず更竹という名の集落について、おさらいをしておきたいと思います。
今回紹介する「更竹」は、平良大字東仲宗根添字更竹です。一般的に「更竹」というと温泉病院のあたりを呼ぶかなと思いますが(バス停もある)、温泉病院の敷地は平良(東仲宗根添)になります。しかし、嶺を登った南側は城辺字下里添の更竹(上区)と西更竹(嶺沿いの北斜面)。温泉施設の東側にあたる長南公民館の周辺は、城辺字長間の西更竹。もうひとつ、城辺線を西里添へ進んだ吉田マンションのあたりが、城辺字西里添更竹となっています。
このように地域に広く分布していることから、更竹は地域呼称と呼べそうなのですが、実際には下里添は上区(上北)であり、長間は長南であり、西里添は吉田として親しまれています。同じ更竹でありながら、字の規模もそれぞれに大きいことから、混同を嫌って更竹を名乗らなくなったのような感じをうけました(興味深い事象なので機会があったら深く掘り下げてみたい気もします)。
そんな「更竹」についてのメモはこちらにまとめてあります。
第160回 「清泉(長南西更竹)」
あ、云い忘れましたが島的な読み方は「さらたけ」ではなく、「ザラツキ」と読むようです。
さてさて、肝心の石碑ですが、更竹集落の中ほどにあります(といっても集落戸数が少ないので表現に語弊があるかもしれません)。碑面には「井戸鑿掘」と読めますが、劣化が激しくかなり剥がれかけており、もう少し上に字があったかもしれません。というのも、並んで「泉」と書かれているので、こちらはこれまでの例から類推すると「清泉」と書かれていたのではないかと考えられるからです。
そして「泉」の下には、「五月六」とあり、掘削年月日を妄想させます。さらにその下方と左にも字が刻まれているようなのですが、激しい劣化のせいで、読み解くことは出来ませんでした。調べてみても掘削年については判りませんでした(ご存知の方がいましたら教えて下さい。この井戸のエピソードとともに!)。
そんな碑の前には、簡易な香炉と欠けた茶碗があり、時期になれば祭祀を行っている様子が滲みて来ます。
井戸は掘り込み式で、井戸のフチに茶色く錆びついたサクラ印の手押しポンプが据えられています。本体は固定されておらず、ハンドルもなくなっているで、もう完全にポンプは壊れているようです。
なにか他に現場で拾える情報はないかと、眺めていたら井戸の蓋として無造作に載せられているコンクリートの板に文字が刻まりれていることに気付きました。
とても薄くて判りづらいのですが、「1963年10月26(日)井戸ポンプを付ける」と書かれているように読めました(カッコは編集で加筆しました)。
どうやらこの井戸の上の蓋は、手押しポンプを井戸をに設置した時に使われたもののようで、戦後、公共上水道が敷設されるまでは間違いなく生活用水として利用されていたことが想像できました。
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古い地形図、昔の道路地図、イラストマップ、観光ガイド、パンフレット、私家版の本、市町村史、報告書、紀要、古写真、etc
Posted by atalas at 12:00│Comments(0)
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