2017年08月18日
第壱號 「宮古島への訪問者たち」

金曜特集第三週に待望の新連載が登場です!!!。
『フォルモッサタイフーンサーカス-台風コラと台湾サーカス団 1966-』
サブタイトルも入って、ちょっと長めのタイトルですが、ライターは以前、「島の小さな大きい放送局」(上・下)を寄稿していただいた一柳亮太さん。ちょっと気になるちょっと昔のちょっとした出来事に興味を抱く“シェーネン”です。
『フォルモッサタイフーンサーカス-台風コラと台湾サーカス団 1966-』(l略称FTC1966)では、いったいどんなお話が紡がれるのでしようか・・・。
それでは、一柳劇場のはじまりはじまり~!

今から51年前の1966(昭和41)年9月、ちょうどお盆を終えた頃の宮古島に、2つの訪問者がありました。ひとつは台風コラ。第二宮古島台風とも呼ばれる台風です。もうひとつの訪問者は、台湾から来た「東方大サーカス」と名乗るサーカス団。この2つの訪問者たちをめぐるお話を書き進めます。
まず今回は台風コラについて話をしましょう。
「かつて大きな台風が宮古島を襲って…」という話を聞いたことがある方は多いのではないでしょうか。そのひとつが、台風コラです。「第二宮古島台風」とも呼ばれます。
よく聞く台風◯号という言い方、日本の気象庁が名付ける番号であれば「昭和41年台風第18号」です。しかし当時の沖縄は日本への復帰前、アメリカが用いていた国際名による命名の「コラ」の方がよく用いられていましたし、当時を知る人は皆さんやはり「コラ」を使いますので、本稿でも台風コラで通します。

【デジダル台風 台風196618号(CORA)詳細経路情報アニメーション動画】
さて、「第二宮古島台風」という呼び方もありました。なぜ宮古島という名が入っているのか? それは、この台風において宮古島で観測した最大瞬間風速の85.3m/sが、日本の観測史上1位の強さだったからです。
しかも、この最大瞬間風速の記録は、未だに破られていません。

当時の新聞をめくると、宮古島では以前の台風の反省をもとに警察が早目に対応と避難を呼び掛けたために死者が出ず、という記事が載っていました。ここでいう「以前の台風」とは7年前の1959年に襲った台風サラ。宮古島内の住家7割が損壊した、との記録が残っていて、「宮古島台風」と名付けられています。
なお、2年後の1968年にも大きな被害をもたらした台風デラが宮古島を襲いました。こちらは「第三宮古島台風」で、当時を尋ねると「サラ・コラ・デラとセットで覚えているよ」というお話をよくお聞きします。
次回は少々台風について触れてから、もうひとつの訪問者、台湾から来たサーカス団についての話をします。
一柳 亮太(ひとつやなぎ りょうた)
1978年生まれ。神奈川県川崎市出身。2001~2015年にかけて沖縄に在住。タイムス住宅新聞「まちの記憶」連載(城辺の「瑞福隧道」について書いたりしました)など、ライターとしての活動を行うも、現在は東京で会社員。興味関心は乗り物一般、ちょっと昔の出来事、台湾など。
「島の小さな大きい放送局」(上・下)
Posted by atalas at 12:00│Comments(0)
│フォルモッサタイフーンサーカス