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2018年02月16日

第陸號 「異郷の同胞」

第陸號 「異郷の同胞」

12月に記した気象台職員の手記と、1月の新春SPでご紹介した県公文書館に残された写真から、台風コラが襲来した宮古島の様子を見ました。檻の中で、どこか怯えた様子でエサをかじる猿の写真もありました。では、東方大サーカスの面々はどのように台風をやり過ごしていたのでしょうか。

当初の8月24日開始が一日遅れの25日となり、9月2日までの予定で公演が始まりました。期間中、来場を促す広告が載りましたが、最終的に3日付の新聞に「大好評日延べ明日《四日》まで 八重山興行につき日延べなし」と広告が出ています。そしてこの広告が、宮古島において東方大サーカスの動向を伝える最後の消息となりました。
第陸號 「異郷の同胞」
【台風一過の島の様子 : 沖縄県公文書館 第二宮古島台風コラ被害状況 1966年9月6日撮影】

振りかえってみると、3日の時点で気象台は台風対策の特別体制を開始しています。この状況を東方大サーカスが知らないとは考えられず、これは全くの憶測ですが、「4日まで」の広告の背景には「台風から逃げられないし、損害を受けるのが確実だから、ギリギリまで稼ごう」という雰囲気を感じます。ともかく、4日以降新聞は台風被害で発行が不可能となり、1週間程度のちにようやく再開した時には、もはや台湾から来たサーカス団の動向について触れるどころではなくなっていました。新聞だけでなく、みなが自分のことで精一杯の状況だったのでしょう。

そのような状況下で、東方大サーカスに救いの手を差し伸べた人物がいました。台湾出身の陸正吉さん。台湾の中部、彰化県員林から家族と共に八重山を経て宮古島に移り住み、商売で成功した人物でした。ただ、正吉さんは今は亡く、当時を知るのは、妻の月子さんと、娘の玉美さん。お二人からお話をお聞きしました。

【下 : 陸 月子さんと玉美さん。当時を知る友人達と】
第陸號 「異郷の同胞」正吉さんが、東方大サーカスを助けたのは、公演に関わっていたからかと思ったのですが、実は全く関わっていなかったとのこと。
玉美さん曰く「父は義に篤い人で、同じ台湾出身の人たちが困っているのを見てはいられなかったのでしょう」 サーカス団全員は無理ですが、男性団員を家の中に住まわせ、月子さんが作った食事も与えていたそうです。
当時、高校生だった玉美さんがよく覚えているのは、その食事を届ける時。知らない男の人たちが大勢いる場へ行くのが恐かった、と話してくれました。他にサーカスの記憶については、「サーカスのテントがパイナガマまで飛んで海に落ちていた」、「一度だけ正吉さんに付いて火の輪くぐりをするトラが飼育されている所へ行った」と話してくれました。
「恐らく住んでいた団員の中にトラの世話係が居て、飼育されている場所を見に行ったのでしょう。面白かった?。 いや獣のにおいが臭くて仕方なかった」とのこと。
日本語が出来る玉美さんは、お父さんの商売を手伝うことが多く、それでサーカス団が来たことも覚えているのだと、話してくれました。

実はこの話を聞いて、少しほっとしました。というのも、台風後の写真の中にトラが息絶えたように見える写真が存在したからです。八重山での公演を伝える広告や新聞記事では、動物の陣容が極端に減ったよう記されていませんでしたが、玉美さんのトラを見たというお話で、それが裏付けられたからです。動物も、ほとんどが台風をなんとか乗り越えたのでしょう。

さて、玉美さんたちは実際にサーカスの公演を観たのでしょうか。台風被害が少し落ち着いた後、お世話になった人たちへサーカスの公演を開いてくれたそうです。「チケットを買ってなら、高くて買えずとても観られなかった。無料で招待してくれたのだと思います」と話してくれました。

次回はいよいよ最終回です。
宮古島を後に八重山へ向かった東方大サーカス行く末はいかに!?

【編集からのオマケ】
沖縄県公文書館の第二宮古島台風コラ被害状況を眺めていたら、「ペプシコーラ宮古支店」という看板の建物を見つけ、古い電話帳で調べてみると、下里590番地に店舗があったことが判りました。そこでGoogle Street Viewで覗いてみると、窓の位置こそ変わっていますが、建屋の形がとてもよく似ている上に、屋上の飾りがまったく同じ建物が、その場所に今も残っていることが判明しました。それだけのことなのですが、なんかちょっと嬉しくて勝手に隅っこて報告してみました。

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一柳 亮太(ひとつやなぎ りょうた)
1978年生まれ。神奈川県川崎市出身。2001~2015年にかけて沖縄に在住。タイムス住宅新聞「まちの記憶」連載(城辺の「瑞福隧道」について書いたりしました)など、ライターとしての活動を行うも、現在は東京で会社員。興味関心は乗り物一般、ちょっと昔の出来事、台湾など。



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