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2017年05月23日

第136回 「谷川健一歌碑」

第136回 「谷川健一歌碑」

今回お届けするのは、民俗学者として名高い、谷川健一の歌碑です。歌人としての評価は定かではありませんが、歌集も四冊ほど出版されているようですが、調べた限りでは谷川健一の歌碑はこれひとつしか探すことは出来ませんでした(そもそも歌碑以外の碑も存在はしていないようです)。
第136回 「谷川健一歌碑」
まずは歌碑にある歌を紹介しておきましょう。
    みんなみの 離りの島の 眞白砂に
               わがまじる日は 燃えよ 花礁も
なんても1969年から民族調査で宮古島を訪れていて、1994年には「宮古島の神と森を考える会」を発足させています。
そんな縁から宮古を詠った歌も多いそうで、石碑に記された歌以外にも、


「狩俣の尾根に連なる大森(うぷむい)に 神の気配のひそけき月夜」
「月光(つきかげ)よ草装う神の降りてくる 時刻(とき)をしらせよ森の島に」

などがあるそうです(碑の解説板より)。

書き忘れていましたが、こちらの石碑が建立されているのは宮古島の神と森を考える会の事務局長をされている、陶芸家・佐渡山安公の太陽が窯の入口(カフェとぅんからやー)に建立されています。
建てられたのは2003年12月6日。谷川健一歌碑建立実行委員会と宮古島の神と森を考える会が建てたようです。

あまりにも有名な方なので、四の五の書くのははばかられる気もしますが、一応、簡単に略歴をまとめてみました。

1921(大正10)年7月28日、熊本県水俣生まれ。熊本中学(現県立熊本高)を卒業後、旧制浪速高等学校(のちの大阪大学)を経て、東京帝国大学文学部卒業(専攻フランス文学)へ進む。その後、平凡社の編集者として活躍。日本初の本格的グラフィックマガジン「太陽」初代編集長を務めた(1963年創刊、2000年12月号で休刊)。

民俗事象と文献資料を独自に分析した精力的な執筆活動を始め、柳田國男が提唱した「日本民俗学」が学術化専門化して、派閥組織が進んだことか、柳田國男や折口信夫らの学問を批判し、学会とは距離をとって独自の活動を続けた。

1981(昭和56)年に谷川健一を初代所長として、川崎市に日本地名研究所を発足させ、町村合併などに伴った安易な地名変更に対して警鐘を鳴らした。1994年に「宮古島の神と森を考える会」を発足(初代会長)。2013年8月24日、92歳没。

第136回 「谷川健一歌碑」最後に個人的に所蔵している数少ない谷川健一の著作、「海の群星(むりぶし)」。1988年にテレビドラマ化され、NHKで放映されました。出演は緒形健、石田ゆり子、荒井紀人ほか。いわゆる「糸満売り」の物語です。いやぁ、石田ゆり子がとても若いです。ナイスキュートです(たぶん19歳くらい)。
NHKアーカイブスに全編があるようです。「ドラマスペシャル 海の群星」
※お試し的に3分ほどの映像を見ることが出来ます。映像的にはショタ好きが歓喜しそうな、ふんどし小僧が堪能できます(笑)
もうひとつ。こちらはYoutubeにUPされていた映像(粗い)。エンディング部分が5分ほどあるようです(コチラ)
「むりぶし」とはプレアデス星団、スバル(昴)のこと。「むすぶし」「むるぶす」などとも呼びます。


【関連HP】
日本地名研究所
宮古島の神と森を考える会




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