2016年02月02日
第68回 「友利實功氏生誕地」

今回紹介する石碑は「なりやまあやぐ」を世に広めるきっかけを作った友利實功(ともりじっこう)氏の生誕地の碑です。建立されているのは、近年「なりやまあやぐ」の里として地域おこしが盛んな友利集落。県道201号友利線のインギャーへ下る坂の手前左手にあります。


【生誕地の碑が建立されている敷地には生家が残されています】
石碑に記されている友利實功氏のプロフィールは、
■1895年(明治28年)
12月友利村55番地の1で生まれる。
■1960年(昭和35年)
琉球放送ラジオ番組、素人のど自慢大会で「なりやまあやぐ」を初めて歌い世に出した。
■1971年(昭和46年)
12月 76歳で逝去。
友利實功について、もう少し判らないかと調べてみたのですが、新たな情報は得られず、「東京都で警視庁警察官を務め、戦後は旧平良市内で漢方薬法の灸を施す」という、一文がわずかに浮上した程度でした。「なりやまあやぐ」をラジオで歌ったという事象が強すぎて、ひととなりを詳しく知ることは出来ませんでした。
友利實功の一番のトピックスである「なりやまあやぐ」を世に広めたという、琉球放送のラジオ番組「素人のど自慢大会」ですが、これはのちの「NHKのど自慢」でした(本土での放送開始は戦後わずか5ヶ月後の1946年1月)。
当時の沖縄は米軍政権下にあり、日本の主権が及ばなかったことから、放送局としてのNHKはなく、「海外総支局」あつかいの部署が本島にあるだけでした。なのでNHKの番組は民放(当時はRBCとOTVのみ)を通して放送するという沖縄ならではの事情がありました(CM付)。
調べてみると、このRBC「のど自慢」には、今は亡き嘉手苅林昌や登川誠仁らも出場(優勝とも書かれている資料もあるが、当時ののど自慢はコンクール方式で、1958年/昭和33年から沖縄県勢が全国大会に正式参加、1959年/昭和34年から県内予選会が行われているが優勝を示す基準が不明瞭である)しているらしい。
また、宮古出身の唄者である国吉源次は、1967(昭和42)年2月13日の「第20回NHKのど自慢沖縄地区大会」民謡の部で優勝しているとプロフに書かれています。友利實功ののど自慢での成績については特に記されていないため、宮古人の初の優勝の記録かもしれません(1965年に国吉は那覇に転居しているため、本島の予選会で優勝。全国大会に出場して、「伊良部トーガニー」を歌っている)。
そして49年前の宮古島でののど自慢へとつながってゆきます。
国吉が優勝した年の10月2日。日本政府とNHKの全面的な支援によってOHK(沖縄放送協会)が設置され(復帰を前提とした運用)、12月22日に沖縄初の公共放送としてOHK宮古放送局が開局(八重山局が翌日の23日の開局。本島は一年後の12月22日の開局)します。
これを記念して開局の前日、12月21日に北小のグラウンドで「第21回NHKのど自慢宮古島大会(予選)」が催され公開放送されています(この時の模様は宮古で現在のところ二番目に古い映像記録として現存している)。
どこかで友利實功もこの様子を見ていたのではないでしょうか(逝去は1971年)。

奇しくも今年1回目のNHKのど自慢の生放送が、宮古島市マティダ劇場(2016年1月10日)から全国放送されました。当時とは番組のコンセプトは変化していますが、未だ高い人気を誇っている番組なのだと実感しました。
宮古民謡を代表民謡となった「なりやまあやぐ」は、現在、友利のインギャーマリンガーデンにて、「なりやまあやぐ大会」と題して毎年コンクールが開かれています。次回はその「なりやまあやぐ」に迫ってみようと思います。
【参考資料】
宮古民謡を代表する「なりやまあやぐ」を世に出した、友利實功氏生誕地
NHK沖縄放送局のあゆみ
沖縄島唄巡り「なりやまあやぐ」
Posted by atalas at 12:00│Comments(0)
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