2015年11月06日
「博愛の島での私刑」

毎週金曜日にお届けしている「月イチ金曜コラム」、今週はゲストライターさんによるスペシャルなコラムをお楽しみください!。
タイトルからして「博愛の島での私刑」とちょっと怪しい雰囲気ですが、Koitaro YASUNA
KA氏の新たな研究対象となった宮古島の史実を紡いだお話なのです・・・。

【下地利社の墓/市営北団地裏 MAP】
最近のニュースを聞くにつけて、人は時として残酷になれるもんだなあと思います。でもこれって現代、そして特定の地域に限ったことでもないですよね。宮古にも、語られるもはばかられる『サンシー事件』がありました。
事件の名前にサンシーという犠牲者のあだ名のついた例など聞いたことありません。ある意味でネーミングセンスの良さと、この事件の悲惨さとのギャップが、心にいつまでも残ります。ちなみに慶世村恒任の『宮古史伝』では、犠牲者自身のあだ名ではなく、彼のいた一家のあだ名(※01)とあります。
時は、不平士族最後の大爆発とされる西郷隆盛のいくさも終わった2年後の1879(明治12)年、沖縄県ができた年です。

そこに現れたのが、宮古の士族出身でありながら、沖縄本島の言葉もできたため、新政府の派出所で働くことになった下地利社という名の青年です。彼のあだ名のサンシーとは、新政府に賛成したとか、琉球か清国か大和かどこかわからない三姓をもっているという意味だそうです。
彼の行動を宮古の島民は常に監視していました。今でも宮古では、よそ者がいると、知らぬ間に行動を見張られているとのことです。しかも、その情報の伝わり方はインターネットよりも早いそうで。光より早いという人もいましたが、きっと泡盛を飲み過ぎたのではと推測します。
このような監視の中で、惨劇は起こりました。下地青年は藍屋川(アイヤガー※02)という共同水汲み所で、水を汲んでいた女性に乱暴しようとした噂が広まります。
実際には、「新政府についた下地は殺そう」と女性が周りに話しかけたところに下地利社が水汲みに来て、怒って派出所に連れて行ったとか、下地利社がそんなはだけた格好はこれからの時代に相応しくないと注意したとか諸説あります。
ちなみに藍屋川は現在の第一ホテルの隣にあり、埋まっています。水の通り道を埋めたままにしておくと、祟りが起こると言われるといわれますが…。
しか~し一度噂が広まると、暴走は誰も止められません。
「剽悍の気風ある」(※03)島民は手にこん棒や櫂など殴れるものならなんでも手にとり派出所に押しかけ、ひと悶着あった後、無理やり天井裏に隠れていた利社を引きずりだします。
そして、スタン・ハンセンもびっくりの荒縄を幾重にも巻くと、現在の距離で1.5キロも引きずり回し、誓約のとおり頭部を切断することも忘れて、ひとりがなぐると次から次へと続き、あっという間に撲殺してしまいます。
そして、むくろを腰原嶺洞窟(ツヅピスキアブ)という名の洞窟に投げ捨てます。そこは現在の南小の隣にある大原南公園内です。発掘調査も行われていて、市指定の天然記念物(地質)になっています。本当は市指定の史跡(※04)ではと思いますが…



【ツヅピスキアブ/南小学校隣、大原南公園直下 MAP】
後日談になりますが、下地青年の亡骸は派出所の警官が県に願い出て、那覇の護国寺に改装されました。さらに、弟の利及が宮古島の一族の墓所に埋葬します。時は1921(大正10)年のことでした。
ヒューマニズムの語源は、元来「埋葬」の意味の言葉から来ているとイタリアの学者ヴィーコが『新しい学』で述べています。「博愛の島」元年は、この年ともいえるのではないでしょうか。
Koitaro YASUNAKA
1963年岐阜県大垣市生まれ。研究対象はゲーテからNPOやNGOを経て、昨年宮古に辿り着く注意欠陥・多動性センセー。こよなく酒を愛する。荷川取牧場でなぜか小春ちゃんにかまれて以来、馬肉を食べないことが信条となる。
【編者脚注】
※01 「家のあだな」 家号のことと考えられます。
※02 「藍屋川(アイヤガー)」 かつては深い降り井(ウリガー)だったが、塩分があり飲料にはあまり適さない井戸でした
が、藍染の染色用としては重宝していた(井戸の道向かいにはかつて貢布座があった)。また、伝承によるとこの藍屋
川の井戸の水はパイナガマとトゥバーの間にあるミニ通り池のピキャズ(通尻)へ通じているという。
※03 「剽悍の気風(ひょうかんのきふう)」 「剽悍」とは、すばしっこくて荒々しく強いさまを表す言葉で、宮古の人た
ちにはそうした気風があると、明治の冒険家・笹森儀助(後に奄美の島司や青森県市長を務める)が著書「南嶋探験」
の中で云い表した言葉。
※04 「天然記念物と史跡」 腰原嶺洞窟(ツヅピスキアブ)の洞穴は、第三紀層堆積後の琉球珊瑚海時代(約数十万年前)
に珊瑚などが堆積した地形が、地殻変動や海面変動(10~15万年前)以降、雨水などにより浸食されて形成された古い
時代の浸食洞窟(南北に隧道状に貫通している)で、仲原鍾乳洞やピンザアブに並ぶ古いモノであることから、天然記
念物(地質)に指定されています。
ただ、古くから生活の場と密着した洞穴であることから、風葬墓、防空壕など様々な形で使われていることから、複
合遺跡と呼んだ方がすっきりする気もします。
Posted by atalas at 12:00│Comments(0)
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