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2015年10月20日

第53回 「下地町役場」

第53回 「下地町役場」

宮古島市市制10周年記念シリーズも折返しの3回目。
今回は三角島の左下あたり、旧・下地町の町役場の銘板石です。与那覇湾を埋め立てて造成した埋立地に建つ、現在の宮古島市下地庁舎の片隅にあります。
第53回 「下地町役場」
下地庁舎は1999(平成11)年の下地町町制50周年の翌年(2000年)年に完成しました。三階建ての庁舎の中央に、さらに二階分(館内施設とアンテナ類があるので見た目はもっと高い)ほど塔のように空に向かって伸びており、なかなかに立派な建物となっています。
宮古島市に合併して分庁舎方式となってからは、一階にトライアスロン記念館が設けられました(毎年4月に開催されている全日本トライアスロン宮古島大会のさまざまな資料が保管され、無料で見学ができます)。
また、あまり知られていませんが、“塔”の最上階となる5階(3階までエレベーター、残り2階は階段)は、西向きに開けた無料の展望室となっていて、下地の町並みを見渡すことが出来ます。
尚、この庁舎が完成する以前は、国道390号線上地交差点の角にありました(現・宮古島市下地保健センター)。ここはその昔、上地の村番所があったところになります(現在の字上地)。面白いのは南に200メートルほど下った、洲鎌交差点角にある沖縄電力の施設がある場所は洲鎌村番所であり、近年完成した与那覇の与那覇地区防災センター(津波避難施設)は、元の与那覇村番所で1キロほどしか離れていません。下地町域の中央部にある3つ集落の番所がこれほどまでに近くにあるのは、繁栄の証なのかもしれません。
第53回 「下地町役場」第53回 「下地町役場」
【下地町略史】
1908(明治41)年4月1日 島嶼町村制により宮古郡下地村となる。
下地間切を軸に構成されますが、伊良部島の五字(佐和田、長浜、国仲、仲地、伊良部)は平良間切の佐良浜地区(池間添、前里添)とともに、伊良部村として新設。また、久貝は平良村へ移譲され、砂川間切の新里、野原、宮国が下地に編入されます。
1948(昭和23)年8月1日 旧・砂川間切の新里、野原、宮国と、嘉手苅の東部が上野村して独立(上野村発祥の地)。
1949(昭和24)年1月1日 上野を分村した翌年にもかかわらず、単独で町制を施行して下地町となる。
2005(平成17)年10月1日 五市町村が合併して、宮古島市となる。

【姉妹都市】
岐阜県白川町 (姉妹都市締結 2004年)
2001年に宮古広域事務組合と白川町町長との間で交流が始まり、下地町と白川町によって海と山の交流について話し合いが行われ、交流事業に発展。相互訪問などを経て姉妹都市締結がなされた。
第53回 「下地町役場」下地庁舎の前庭にも先月の水シリーズで少しふれた、2004年の御行幸の記録があります(沖縄御行幸1/23~1/26)。
この時の御行幸は、前日の午後に那覇から宮古入りし、翌日は島内を一巡。夕刻には石垣へ飛ぶという忙しいスケジュールだったようです。
そんな中、下地役場が御一行の昼食会場となり、下地町長はこれを歴史的な出来事だったとして、陛下が宮古島の情景を詠まれた句碑を記念に建立します(2005年建立)。

【関連石碑】
第20回 「下地小学校発祥之地」




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