2015年07月28日
第41回 「730記念之塔 砂川学区交通安全協会支部」

復帰から6年目の1978年7月30日。沖縄全県で一斉に道路交通法が改正され、米国式から日本式の「人は右、車は左」へと変わりました。この交通方法の変更を告知するキャンペーンとして広く使われた「ナナサンマル」の名を冠した、「730記念之塔」について様々に前回は紹介しました。
那覇、石垣、宮古の各地にひとつずつ設けられたナナサンマルの記念碑ですが、宮古にはもうひとつの「730記念之塔」があるのです。
場所は砂川小学校前バス停脇(小学校の北西角、砂川駐在所の向かい)にあります。
三角柱の上に三角錐を載せたコンクリート製で、塔頂部の三角錐の部分にはナナサンマルのシンボルマークが三面とも描かれています。本体部分の道路側(南面)には、交通啓蒙の標語「手をあげる幼い信頼裏切るな」と、ナナサンマルの解説文(北側)が描かれています。
沖縄県の日本復帰に伴う道路交通法変更により、昭和五十三年七月三〇日午前六時三〇分を期して実施された。全国一交通安全な郷土たる事を願い、この交通事業を記録する。このナナサンマルの解説文は熱帯植物園前の「730記念之塔」の碑文から流用されていることがよく判ります。
砂川学区交通安全協会支部
残る一面(学校側)にはこの碑の建立に関係する情報が記されていました。
ただ、惜しいことにペンキ書きの文字はコケがこびりついて、残念ながらちゃんと読むことが出来ないのです。

上段はナナサンマル指導要員として活躍したと思われる、当時の砂川学区交通安全協会支部のメンバーが、支部長、副支部長に続いて、友利、砂川、下北、下南(下北・下南は下里添の小字)の4集落の担当と、駐在さんの名前が記されています。
そして下段には昭和63年度役員として支部長以下、砂川学区交通安全協会支部のメンバーと、駐在の名前が書かれており、ここから推察するに、ナナサンマルから10年という節目に砂川学区交通安全協会支部が独自にこの記念碑を建立したものと考えられます。

そしてこのエリアは海岸部を除き、おおむね砂川地下ダムの上にあり、起伏がほとんどありません(むしろ海岸部から中央に向けて緩やかに凹んでいる)。そのためとても遠くまで見通すことができ、山のない(実際にはあるが)宮古島の広がりを体感することが出来ます。以上、オマケの地理的な考察でした。
【画像】西の丘脈の中腹から東方向を望む(右端付近が砂川小)
Posted by atalas at 12:00│Comments(0)
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