2015年04月14日
第26回 「高田青年団歌」
今回紹介する石碑-いしぶみ-は「高田青年団歌」の歌碑です。シリーズ初の歌碑となりますが、恐らくは青年団の方々しか知らないであろう、猛烈にマイナーな歌の歌詞を記した石碑です。
場所は県道190号平良新里線の上野中学校を過ぎたあたり。長立バス停の前にある「高田農村総合管理施設」の敷地内にあります。施設の角にあるかわいらしい牛のオブジェが目印です。

地図を広げると上野の大字は上野・野原・新里・宮国の四カ字(郵便番号の区割り、906-201~4)があります。その下に千代田、大嶺、側嶺(ソバミネ)、名嘉山、豊原、積間(ツンマー)といった字があり、ここに高田という名前を見つけました。
新里の大字に含まる高田は、おおむね新里の北側のエリアを呼ぶようです(上野小中学校付近は上野の四カ字のすべて集まっている、地名の重心といえる場所になっています)。高田をもう少し細かく見てみると、青年団歌碑のある周辺は東青原(南側)、西青原(北側)、前花切(東側)という小字が広がっているのですが、その中にはバス停の名称になっている「長立」という地名がありません。わずかに中学校東側に長立農村公園(前花切)という公園の名称に見てとれるだけでした。
それなのにバス停はこのエリアの「高田」ではなく(東青原は新里寄りの次のバス停になっている)、「長立」を名乗っているかという謎は、残念ながら解くことが出来ませんでした(恐らく旧称ではないかと予測していますが・・・)。


尽きることのない余談はともかく、石碑に記された歌碑の中身をご紹介しておきます。
もしも、知っている!歌える!という方がいらっしゃいましたら、ぜひ一度、ご披露していただきたいものです。
また、前花切に隣接する野原側の上野小学校付近には、「花切原」という小字があり、花切原から見ても前花切は南側となるので、位置関係の妥当性が強そうではあるが、蛇足ついでに記しておくと、城辺側の花切は「西花切」という小字が花切の北部にあり(宮古口でニスは北を意味し、これが転化したものと推察も出来る)、異なる町村や地形的制約を越えた地名形成がなされていてとても面白いです。
ただ、下南は上北(どちらも住所は下里添)と対になる集落であることが知られており、さらに複雑化していてさらなる興味をひくのですが、どこまで書いてもまったく石碑にはつながらないので、ここら辺で筆を置いておきます(個人的な妄想が暴走してしまいました)。
場所は県道190号平良新里線の上野中学校を過ぎたあたり。長立バス停の前にある「高田農村総合管理施設」の敷地内にあります。施設の角にあるかわいらしい牛のオブジェが目印です。

地図を広げると上野の大字は上野・野原・新里・宮国の四カ字(郵便番号の区割り、906-201~4)があります。その下に千代田、大嶺、側嶺(ソバミネ)、名嘉山、豊原、積間(ツンマー)といった字があり、ここに高田という名前を見つけました。
新里の大字に含まる高田は、おおむね新里の北側のエリアを呼ぶようです(上野小中学校付近は上野の四カ字のすべて集まっている、地名の重心といえる場所になっています)。高田をもう少し細かく見てみると、青年団歌碑のある周辺は東青原(南側)、西青原(北側)、前花切(東側)という小字が広がっているのですが、その中にはバス停の名称になっている「長立」という地名がありません。わずかに中学校東側に長立農村公園(前花切)という公園の名称に見てとれるだけでした。
それなのにバス停はこのエリアの「高田」ではなく(東青原は新里寄りの次のバス停になっている)、「長立」を名乗っているかという謎は、残念ながら解くことが出来ませんでした(恐らく旧称ではないかと予測していますが・・・)。


尽きることのない余談はともかく、石碑に記された歌碑の中身をご紹介しておきます。
もしも、知っている!歌える!という方がいらっしゃいましたら、ぜひ一度、ご披露していただきたいものです。
尚、小字として紹介した「前花切」の花切は、隣りあう城辺の花切(下南)の南側に位置することから(前は南を意味することがある。宮古口の南を表すパイの転化とも考えられる)、同じ地名である両者の関係性が類推できそうであるが、旧町村が異なる上に、その間には高低差のある丘脈が横切っている。高田青年団歌一.
作 砂川寛章
昭和の御代に 生まれたる
我等は高田の 青年ぞ
心を磨き 身を鍛え
誓いは堅し 青年ぞ
二.
この天然の 美と共に
我ら高田 健児等は
日々に新に 日に進み
進む理想の 道清し
三.
香も高き 世に満ちて
その名は高き 高田字
住よき所の この字は
理想深き 恵みなり
四.
我等高田の 名称は
三つの支部から 成立ちて
共同一致の 精神は
一家のように 成立ちぬ
二〇〇三年十一月 建立
また、前花切に隣接する野原側の上野小学校付近には、「花切原」という小字があり、花切原から見ても前花切は南側となるので、位置関係の妥当性が強そうではあるが、蛇足ついでに記しておくと、城辺側の花切は「西花切」という小字が花切の北部にあり(宮古口でニスは北を意味し、これが転化したものと推察も出来る)、異なる町村や地形的制約を越えた地名形成がなされていてとても面白いです。
ただ、下南は上北(どちらも住所は下里添)と対になる集落であることが知られており、さらに複雑化していてさらなる興味をひくのですが、どこまで書いてもまったく石碑にはつながらないので、ここら辺で筆を置いておきます(個人的な妄想が暴走してしまいました)。
連載企画 「んなま to んきゃーん」
なにかを記念したり、祈念したり、顕彰したり、感謝したりしている記念碑(石碑)。宮古島の各地にはそうした碑が無数に建立されています。
それはかつて、その地でなにかがあったことを記憶し、未来へ語り継ぐために、先人の叡智とともに記録されたモノリス。
そんな物言わぬ碑を通して今と昔を結び、島の歴史を紐解くきっかけになればとの思いから生まれた、島の碑-いしぶみ-を巡る連載企画です。
※毎週火曜更新予定 [モリヤダイスケ]
Posted by atalas at 14:35│Comments(0)
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