2015年03月31日
第24回 「真屋御獄」
3月期にお送りした下地地区シリーズの締めは、恐らく下地の石碑では一番有名かもしれない「真屋御嶽(まやうたき)」の碑です。御嶽にある碑ではなく御獄そのものを示す石碑です(下地町指定有形民俗文化財→宮古島市指定有形民俗文化財)。

碑の下部に記されている解説文
宮古上布の始祖である稲石を祀るこの御嶽で、毎年12月に「稲石祭」が執り行われるほど(主催・宮古織物事業協同組合)、宮古上布の関係者に限らす知られている場所で、碑のすぐ脇には今も澄んだ水をたたえる古い井戸があり、碑の裏には「女稲石」と小さな碑が添えられた、常に掃き清められた美しい御獄があります。


碑の解説を改めて読んで、少し気になる点がありました。
まずは、夫・真栄が身命を投げ打って補修した「ろくとう網」というもの。いくら調べてもそれがどういうものなのか判りませんでした。漂流の危険があって海中の網ということは舵のたぐいなのかとは思いますが、標準的な進貢船にはそのようなものが見受けられません。
次に、解説文だから目くじらを立てる必要はないのかもしれませんが、文中に出てくる年号が「天正十一年」と和歴の元号を使っており、当時の琉球王府ならば、中国式の暦を使っていると思われるので、明の「万暦十一年」にするあたりが筋なのではないかとなんとなく。
そして最後に、もしこの稲石が「綾錆布」を献上しなければ、この後に始まる薩摩支配、人頭税で、複雑な工程とたいそうな労力を必要とする「上布」は組み込まれなかったのではないかなとど、身勝手な妄想もねじ込んでおくことにする。
もっともそれ以前から年貢として布は上貢されていなければ、綾錆布の凄さは判らないだろうし、後に上布が産業化するほどにたくさん織られることにはつながらないと思うので、稲石が織り手としての卓越した技術を持っていたと考えるのが正しいだろうと自主フェローしておきます。

碑の下部に記されている解説文
下地親雲上真栄・稲石夫妻と宮古上布
この真屋御嶽は、下地親雲上真栄とその妻で宮古上布の創製者といわれる稲石を祭った御獄である。
下地雲親上真栄は洲鎌与人役の時に、中山から帰る途中、逆風にあって中国に漂着した。たまたま、中国に来ていた琉球国の進貢船に便乗して琉球に向かったが、この進貢船も洋中においてろくとう網が切れて漂流しかけた。その時、水練達者な真栄はすぐに海中に飛び込んでろくとう網を結び直したので、一行は無事に帰国できた。尚永王はその功績を讃え、真栄を下地間切の頭役に任命した。
真栄の妻・稲石はその栄誉に報いるため心をこめて綾錆布(あやさびふ)を織り調えて王に献上した。王は大いに嘉賞せられ天正十一年(一五八三)年夫真栄を親雲上の位階に列せられた。
稲石が織り上げた上布は十九よみ紺細上布て、その色合いから綾錆布といわれ、美しく精巧な上布であったので王府内外に高く評価され、それ以後、宮古上布は薩摩や江戸幕府への献上品として貢納布にされました。真栄が昇進したのは、真栄が身命を投げ打って進貢船を救った功績によるものであるが、宮古上布を特製した稲石の功績もあいまってほめられたことによるであろう。
稲石は現在も「産業の神」として子孫や宮古の人々に数椎されている。
平成四年三月三十一日
下地町教育委員会
※一部、読みやすく句読点を追加し、カッコによるふりがなの加筆と改行を行いました。
宮古上布の始祖である稲石を祀るこの御嶽で、毎年12月に「稲石祭」が執り行われるほど(主催・宮古織物事業協同組合)、宮古上布の関係者に限らす知られている場所で、碑のすぐ脇には今も澄んだ水をたたえる古い井戸があり、碑の裏には「女稲石」と小さな碑が添えられた、常に掃き清められた美しい御獄があります。


碑の解説を改めて読んで、少し気になる点がありました。
まずは、夫・真栄が身命を投げ打って補修した「ろくとう網」というもの。いくら調べてもそれがどういうものなのか判りませんでした。漂流の危険があって海中の網ということは舵のたぐいなのかとは思いますが、標準的な進貢船にはそのようなものが見受けられません。
次に、解説文だから目くじらを立てる必要はないのかもしれませんが、文中に出てくる年号が「天正十一年」と和歴の元号を使っており、当時の琉球王府ならば、中国式の暦を使っていると思われるので、明の「万暦十一年」にするあたりが筋なのではないかとなんとなく。
そして最後に、もしこの稲石が「綾錆布」を献上しなければ、この後に始まる薩摩支配、人頭税で、複雑な工程とたいそうな労力を必要とする「上布」は組み込まれなかったのではないかなとど、身勝手な妄想もねじ込んでおくことにする。
もっともそれ以前から年貢として布は上貢されていなければ、綾錆布の凄さは判らないだろうし、後に上布が産業化するほどにたくさん織られることにはつながらないと思うので、稲石が織り手としての卓越した技術を持っていたと考えるのが正しいだろうと自主フェローしておきます。
連載企画 「んなま to んきゃーん」
なにかを記念したり、祈念したり、顕彰したり、感謝したりしている記念碑(石碑)。宮古島の各地にはそうした碑が無数に建立されています。
それはかつて、その地でなにかがあったことを記憶し、未来へ語り継ぐために、先人の叡智とともに記録されたモノリス。
そんな物言わぬ碑を通して今と昔を結び、島の歴史を紐解くきっかけになればとの思いから生まれた、島の碑-いしぶみ-を巡る連載企画です。
※毎週火曜更新予定 [モリヤダイスケ]
Posted by atalas at 12:00│Comments(0)
│んなま to んきゃーん