2019年01月22日
第217回 「台灣之森」

えー、先週の「愛と和平」で大見得切って。「来週に続く!」っと書いてしまった手前、今週は“それ”をやる訳なのですが、まあ、すでにタイトルに掲げてしまっているあたりで語るに落ちてますから、括目もあったものではないと云えます。まあ、ご託を並べたとこで栓のないことなのでさっさと始めるとしましょうか。
ということで、「台灣之森」です。
先週も語っている通り、下地中学校の校門近くにある「台灣之森」と名付けられた園庭の銘を刻んだ石碑です。下地中学校は1999年から台湾の漢口國民中学と国際交流を続けており、2004年には姉妹校を締結、今年で交流20周年を迎えています。
そんな交流を記念して、このまだ若い植林の森とともに石碑は建立されています。
中琉文化経済協會 理事長 蔡雪泥 敬贈 二〇〇五年吉日中琉文化経済協會とは、台湾と沖縄の文化経済交流を促進する民間団体です。
沖縄と台湾結び60年 台北市で盛大に祝賀会(琉球朝日放送 2018年3月7日)
これとは別に日本と国交がない台湾の対日窓口として、「台湾日本関係協会」と呼ばれている機関があります(大使館に相当するもの)。少し複雑な部分もあるので、あわせて紹介して見たいと思います(勉強しながら執筆してます)。
1972年12月に日本が中華人民共和国(大陸)が国交を結んだため、中華民国(台湾)と日本の国交が断絶したことを受け、民間交流を維持するたため、東京、大阪などに実務機関・亜東関係協会が設立されます。
一方、それよりも少し早く、米軍政権下の1958年に中華民国(台湾)と琉球(沖縄)との交流促進を目的に、「中琉文化経済協会」が発足します。その後、1972年5月に沖縄が返還されますが、前述の通り、日本には亜東関係協会が設置されますが、沖縄だけは「中琉文化経済協会駐琉球弁事処」を維持することになったそうです。
この時の理由がなかなか興味深いものでした。
「琉球」の名称を用いてきたのは、中華民国政府が、琉球王国が中国の明朝及び清朝に朝貢していたことなどを根拠に、沖縄が中国(中華民国)の主権に属する、もしくは日本の主権に属しない独立国、との立場をとってきたことが背景にある。

その後、2006年に亜東関係協会の外交部が、中琉文化経済協會駐琉球弁事処を、台北駐日経済文化代表処駐琉球弁事処に名称変更すると発表し、当時の駐琉球弁事処の陳桎宏代表は、外交部出先機関の存在をもって琉球(沖縄)の日本帰属を否定していないことを示していると説明。改称後は「琉球」の名称を使用しないことが決定され、2007年に現在の「台北駐日経済文化代表処那覇分処」へと正式に名称が変更され、中琉文化経済協會駐琉球弁事処が行っていた領事業務はます。この時、亜東関係協会へと移管されます。(弁事処は総領事館、分処は領事館のこと)。
そして亜東関係協会そのものも、2017年5月には名称を「台湾日本関係協会」へと改め、現在に至っています。
台北駐日経済文化代表処 駐日代表機関の紹介
こうした事象を考えると、やはり沖縄と台湾の関係性は距離的なものもあるのだろうけれど、昔からとても密接であったことは否めませんね。戦前は(1895年~1945年は日本の統治下にあった)、一番身近な大都会といったら、やはり台北だった訳だし、台北帝大(現在の国立台湾大学)などを卒業した沖縄の偉人なんかもゴロゴロいますからね。
あ、そうそう。先日、台湾の大学が宮古島に分校を設置と、ニュースになっていました。高校までしかない島としては、こうした取り組みは非常にチャンスなのではないかと思います。
【長栄大学分校準備室の銘板(城辺庁舎)】
宮古島分校開校へ覚書/台湾・長栄大学(宮古毎日新聞2018年9月15日)
長榮大學日本教育中心宮古島揭牌:人孔蓋意象紀念品設計理念報導
記事の全編が中国語なので、詳しいことは理解していませんが、長栄大学による宮古島分校の設置を記念して、デザインマンホールを作ったという話のようです。
ちなみに、図案にあるサシバですが、宮古島市の市鳥に指定されています。驚くなかれ、なんと台湾ではサシバは国鳥なのだそうです。これは一本取られました。ぜひ、記念にこの格好いいマンホールを、宮古島市のどっかに敷設してくれないでしょうか(出来たらマンホールカードにして欲しい)。
けれど、手放しで浮かれてもいられないようではあります。
こんな事例などもあるようですから。。。
沖縄から台湾へ、大学進学者が急増 なぜ?(沖縄タイムス 2018年5月29日)
話がそれてしまいましたが、話のスジを戻しつつ、もうひとネタだけ。
石碑を建立した、当時の中琉文化経済協會理事長の蔡雪泥(女性です)は、1950年代から70年代にかけて、日本に留学していた経歴があるようです。そして台湾の出身者では3名しかいない「ウチナー民間大使」にも就任しています
ウチナー民間大使(沖縄県) 大使一覧
お待たせしました。やっと石碑の話です。
碑の裏面に交流の話が書かれています。
本校は1999(平成11)年から台湾台中市立漢口國民中學と交流し2004年に同校と姉妹締結した。これを記念に中琉文化経済協会理事長(沖縄県第1号終身民間大使)の蔡雪泥が恒久的な友好親善を願い建立した。
下地町立下地中学校 校長 川上哲也
平成17年4月吉日
現物の画像がこちら(clickで拡大します)。
誰だよ、こんな石を選んだやつ!。石に縞々が入りすぎちゃって、めちゃくちゃ読み辛いんですけど!。
という。
こんなオチ。ちょっと強引だったかしら。。。
【20190122 改訂】
Posted by atalas at 12:00│Comments(0)
│んなま to んきゃーん