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2018年08月28日

第198回 「砂の井戸設立の碑」

第198回 「砂の井戸設立の碑」

地味に地道に伏流水のごとく続いている宮原学区の井戸系石碑シリーズ、とうとう回を重ねて5回目(通算6度目)となりました。
今回ご紹介するのは砂(すな)集落の井戸です。宮古の地名で一文字というのはとても珍しく、自分が知る限りでは、平良市内の旭(字東仲宗根の八千代バス本社から旧県立図書館の界隈)、栄(字西里。アツママ御獄から宮古郵便局を経て第三給油所の交差点西側の界隈)、東(字西里。栄の南側でアツママ御獄先から宮古高校を経て、喫茶ジュニアの界隈)くらいですが、こちらはいずれも内会(ないかい≒町内会のような区割)の名称なので、厳密には地名とは云い難く、砂以外に一文字の地名は聞いたことがありません。しかも砂は、バス停名にもなるほどにメジャーだったりします。
第198回 「砂の井戸設立の碑」
さて、石碑です。
碑のタイトルがちょっと怪しくて、2回続いた出落ちの奴とあまり変わらない気もしますが、それでも砂の井戸の設置を記した石碑です。
「大正十二年旧七月七日設立」と記された小さな石碑は、井戸の神様のイビも兼ねており、雨に打たれてボロボロに崩れた香が、定期的に拝まれいる様子を見てとることが出来ます(水神系の神様は火を嫌うので、供える香は焚かないのが基本)。
井戸は北側に広がる低地(現在は開拓されて農地になっている)から、少し高くなった台地のヘリに位置する集落の中、家々が集まった里道沿いにある。大正期の開鑿なので、恐らく元から掘り抜きであったと思われます。資料によるとこの井戸が作られるまでは、集落の東方にあるウツマガーという湧水を利用していたようです(ウツマガーの位置は未探査)。
現在の集落道はアスファルトで舗装されており、井戸廻りもコンクリートで綺麗に調えられています。そんな井戸の周辺をチェックしていたら、井戸設立の石碑のすぐそばのコンクリートに、「1977年9月3日」と直に刻まれていました(やや掘り込みが浅く、1997年とも読めなくもないが、そこまで新しいものとは見えない)。おそらくこの年に井戸まわりの修繕を行ったものと考えられます。
第198回 「砂の井戸設立の碑」第198回 「砂の井戸設立の碑」
【左:砂の井戸、全景。今は蓋がされています。 右:修繕されたコンクリートにある年号】

この砂の集落には今も拝まれている素敵な御獄が3つあります。
ひとつ目は井戸のほど近くにある、カッチャー御獄(宮原地域で盛んな鍛冶屋の神を祀ったもの。鍛冶屋は金属製の農具を直すことの出来るので、転じて農業の神であり、豊饒をもたらす神とされている)。大きなガジュマルがなかなに美しい御獄です。ふたつ目は井戸の西方、飛鳥会館の並びにある森に位置するスナ御獄。ふたつの参道を持った鬱蒼とした御嶽林の中にあり、荘厳な雰囲気を持つ御獄です(祀神はティンヌマツガニ)。そして3つ目は集落から県道194号線を挟んだ南方にあるサトゥ御獄。キビ畑の中に位置する小さな山の上にあり、とても趣きのある御獄です(ユーヌスの他、飛鳥や西銘の御嶽を遥拝している)。

実は砂の集落ではもうひとつ拝んでいる御獄があるのですが、この御獄は厳密には隣りの集落にあります。御獄の名はサガーニ御獄。砂集落の北東にあるサガーニ集落の御獄です。
サガーニ御獄周辺は圃場整備が進み、いまや里山らしさはほとんどありません。わずかに残されたサガーニ御獄の敷地もキビ畑に囲まれ、申し訳程度の草木(蘇鉄もある)が残っている限りです。ただ、この御獄の中心である岩山が拝所になっており、その際こ天然の穴がひとつ開いています。どうやらサガーニの湧水のようなのですが、現在は水を見ることはありません(湿ってはいる)。
第198回 「砂の井戸設立の碑」第198回 「砂の井戸設立の碑」
【左:サガーニ御獄の穴。湧水は確認できない。 右:集落のサトゥガー。左のブロックは拝所】

この御獄はもちろん、サガーニの集落も拝んでいるそうなのですが、サガーニの人口が極端に少なくなっており、祭祀の形骸化は否めないようです。ところが、このサガーニ集落はかつて大きな集落でこの地域のはじまりの集落であったというような伝承があるのです。
確かに、現在のサガーニ集落の裏手の森にはサガーニ遺跡(周囲にはウプ御獄やニヌパ御獄もある)があり、かなりの集落規模をどことなく感じさせるものがあります(地形的にも、参詣か所的にも)。こうした名残りの要素が、砂集落によるサガーニ御獄を拝む理由なのではないかと考察します。

また、サガーニの小さな集落内には古い掘り抜き井戸のサトゥガーがあります。この他にも集落周辺には、キスガー(未調査)、カナギカー(未調査)、サーダガーなど、台地のヘリという立地から、湧水がいくつもあるようです。それだけの水があればたくさんの人たちが暮らしていたという伝承にも信憑性がある気がします。けれど、そうした生活条件があっても現在の集落の姿を考えると、決して良い土地ではなかったのだと云わざるを得ないかもしれません。やはり低地に水の組み合わせは、風土病(マラリア、フィラリア)抜きには語れないかもしれません(宮原地域一帯はどの集落もほぼ風土病の厳しさが語られます)。
第198回 「砂の井戸設立の碑」第198回 「砂の井戸設立の碑」
【左:サーダカー御獄のガジュマル。 右:サーダガー。この日はとうとうと流れ出していました】

最後にサーダカー(佐和田井)を紹介しておきます。サガーニ集落の北、キピ畑の続く台地の端に茂るガジュマルの根元には、サーダカー御獄の拝所があります。雨の多い季節などは御獄の敷地いっぱいにクワズイモがはえるほど、水に恵まれています。なにしろこのガジュマルの根元の崖下からは、こんこんと水が湧いているのですから(ただし渇水期を除く)。その水量たるや音を立てて流れるほどです。
個人的にこの湧水の地形を含めた立地がなんとなく好きで、時々、様子を眺めに訪れたりするお気に入りの場所です(もう少し綺麗だともっといいんだけどね~♪)。

【砂井戸】


【サガーニ御獄】


【サーダガー】



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