2018年01月30日
第3話 「路傍の燈り」

第2話 「海までの距離感」
八丈島には光るキノコというものがあって、しめじほどの大きさのキノコが、暗闇でうっすらと、発光しているのだ。
本来は雨季にしか生えてこないらしいのだけれども、NPO法人の方々が手入れをしている。
水を撒き、そのキノコたちがなくならないように、保ってくれているのだ。
光るキノコと聞いて、どんな光なのだろうと想像できないで向かったが、その光は、太古の昔の暗闇では存在感を示せたかもしれない。
星の明かりよりは弱く、森の奥深く、そして本当の暗闇でなけれは、感じられないような光だった。

あたりを照らす光ではなく、自身のためのもの。
ちょうど植物が色づくのと同じように、その色が、たまたま蛍光塗料のような色だったのだ、くらいのものだった。
しかし。
それが数多く密集しているとなると、光苔、というものを私は目にしたことはないのだが、何かのアニメーションで描かれていたように、あたりを明るく照らすほどの、力を持つのだった。
キノコは小さく、光は人間の目にはあまりに弱く、しかしもしも小さな、夜の虫たちには、この明かりは驚くべき明かりなのだろうな。
と、想像してみる。
月の明かりや、星の明かりの届かない植物園の森の奥で、どうしてこのキノコたちは、うっすらと、光るようにそこにいるんだろうなと思った。
人間という生物の目玉は、こんなくらいの明かりを認識できる。
LEDとか、ブルーライトなんていうものに、この目を煩わせてはいけないと。思う。
見えるものも見えなくなってしまう。
と。

パッションフルーツのジュースを、息子に振舞ってくれた。
集う宿泊客たちは皆、元々の馴染みなのか、その場の意気投合なのか、民宿のお父さんお母さんを囲んで、とにかくよく喋った。島のことや自分の見聞について、まるで家族のようだった。
仕事で青ヶ島に行ってヘリで戻ったばかりの3人は、牧場を作る構想について熱く語る。
しかし昔、八丈小島にヤギを飼い始めたところ、野生化して草を食べ尽くされ、しまいには駆除されてしまった行く末などを聞くと、じゃあどうしたらいいのかと。
ヤギを食べる風習は、インドネシアの一部にもある。沖縄(の一部の島)にもある。黒潮ベルトに乗って、八丈にも(一部)あるのだ。
全部、ではなく、一部、というのがミソ。
食文化って面白い。いろいろな歴史がありそうだ。

民宿で居合わせた、八丈方言や島に残ることわざを研究している大学教授が、息子に向かって言った。
「ねぇ、君、八丈高校へ来ない?」
その教授は、研究のために島に通って四半世紀、
と仰っていた。
社会学、文化人類学の幅広い研究をしていると。
日本のいろんな離島に関わってきたので、宮古島や池間島もよくご存知だった。
そういう方なので、息子が宮古で育ったと聞いて、なんだかうれしそうに、
「彼はねぇ、宮古育ちなんだ。」
と、後から食堂に来た宿泊客に紹介していた。
そういうわけで、そのとき教授が、私に対して、
「お母さん、息子さんどうですか、八丈高校は」
とか間接的にいうのではなく、ダイレクトに息子に「来ない?」と語りかけたことが、
たぶん、思春期の息子の胸を打ったのだ。
私もちょっと打たれた。
息子は今、中学1年生だが、八丈高校に進学したいとはりきっている。
教授は、君ひとりで住めばいい、そういう子は他にもいる、みたいなことを言って、
「でも彼女がいたら、お母さんはアパートに入れてもらえないかもしれないよ」
なんていうので、
「そしたら私はここ(ガーデン荘)に泊まりますよ」
と言って笑った。
冬にはこの板の間の食堂、囲炉裏が登場して、みんなで炭を囲んでお酒を酌み交わしたりするらしい。
冬は冬で、いいね。

ガーデン荘にたどり着く前、歴史民俗資料館の方にも、とても親切にしていただいた。
バスで移動だったから、そのバスの待ち時間があったおかげで「馬路」という墓地を通過する玉垣の道を歩くことができた。
そこは私としては、カンボジアとか、アンコールワット系の遺跡の雰囲気で、それはちょっと、勝手なイメージなんだけれど、沖縄ともまた違った。
あとから地図をみたら、そこは「青ヶ島墓地」と言われるところだった。
同じような苗字のお墓が多かったように思う。
ちなみにその先は、陣屋跡である。昔は馬で向かったのだろうか。

窓ガラスにも描いてあって、乗りながらその絵がよく見えて楽しかった。
1日に、だいたい6本くらいしかない町営バス。
春にまた、八丈島を旅行する予定なので、行ってみたいところをさらにピックアップして今度は、行き当たりばったりではなく、半ば効率的に。
例えば、このコラムをいただいたことだし、ちゃんと調べるような取材的な滞在の仕方も、できるのかな、と、思っております。
楽しみ。
まぁ、教授の言っていたように、少しずつ、です。
いっぺんに、ではなく。何度も通いなさい、と。
言われました。
それは島も人も、同じですね。
少しずつ、お互いさまで。
次回につづく。
「島旅日記~八丈島と、フラクタルの魔法」
第1話 「宮古の暮らし、八丈の暮らし」
第2話 「海までの距離感」
※本連載は不定期掲載です。火曜日・金曜日の第5週目を軸に掲載します。
【編集余滴~光るキノコについて】
今が旬!「光るきのこ」を見に行ってみませんか?( NAVERまとめ)
第1話 「宮古の暮らし、八丈の暮らし」
第2話 「海までの距離感」
※本連載は不定期掲載です。火曜日・金曜日の第5週目を軸に掲載します。
扇授 沙綾(せんじゅ さあや)
1976年 東京生まれ。
2003年から2011年まで、宮古島・狩俣に住む。
伊良部島へフェリーでの1年間の通勤を経て、東京へ。
現在、東京在住。
12歳の息子と二人暮らし。
【編集余滴~光るキノコについて】
今が旬!「光るきのこ」を見に行ってみませんか?( NAVERまとめ)
Posted by atalas at 12:00│Comments(0)
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