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2017年09月29日

第1話 「宮古の暮らし、八丈の暮らし」

ATALAS Blogの金曜日は週替わりのライターさんによる連載コラムとなっています。しかし、時にカレンダーのいたずらで、金曜日が5週ある月が存在します。そんな月はゲストライターをお招きして、色々と楽しいお話を書いていただいたりしもしています。
はからずも2017年の9月も5週目がありまして、今回はいつもとちょっと趣向を変えて、不定期連載というスタイルで綴られる「島旅日記」をスタートさせることにしました。
タイトルは「島旅日記~八丈島と、フラクタルの魔法」。
ライターは扇授沙綾(せんじゅ・さあや)さんです。


※     ※     ※     ※     ※

第1話 「宮古の暮らし、八丈の暮らし」

以前、宮古島で暮らしていました。

8年間。
息子が小学校に上がる直前に、東京へ戻りました。それが、7年前のことです。それから毎年、多いときには、夏休み、冬休みと年に2度も宮古へ「里帰り」することもありました。
お世話になった方がたくさんいます。
だから、宮古で生まれ育った息子はもちろん、私にとっても「故郷」であると感じています。

そう思わせる魅力が、島にはあります。
人の温かさ、緩やかな時間、過酷な自然、美しい自然、自然の恵み、そこからくっきりと浮かび上がってくる、自分という輪郭。
そういうものが、島での生活を色濃くしていたのでしょう。
今でも、私の内部にしっかりと染み込んでいます。

ただ、東京での日常に忙殺されているうちに、そういう島での感覚を、思い出すきっかけすら失いつつありました。

ところが、それらは消えてなくなったわけでは、なかったんだ。
と、痛いほど自覚する出来事に、遭遇するものなんだなぁ。
私の場合、八丈島への旅行がそうでした。
第1話 「宮古の暮らし、八丈の暮らし」
八丈を旅していて時折、ここは宮古の原風景に近いのではないか、と、思いを巡らせることがありました。
何十年か前の宮古も、きっとこんな感じだったのではないか、と。
たぶん、宮古で暮らしていた私が訪れた八丈だから、感じるところというのがあったと思います。

そんな視点で、書き綴っていこうかと思っています。
伊豆諸島の一部で東京都である八丈島はもちろん、先島諸島の宮古島とは違う。

八丈島に降り立ってしばらくしてわかったのは、宮古島は大都会だ、ということです。
第1話 「宮古の暮らし、八丈の暮らし」
八丈にはコンビニがない。ファミレスもない。
イオンなどの大型スーパーもないし、モスバーガーやケンタッキー、ミスタードーナツにサーティーワン、ましてやマクドナルドなんて、ありえないわけです。

ないから、誰かが手作りするわけです。
料理をして、小さなお店を開く。
そのお店も、行ってみたら閉まっている、とか。
そういうのが当たり前。
その、島らしい需要と供給の関係。

ないから、手作りする、っていう感覚。
東京にいると、忘れる。

ない、という感覚すら、めったに感じない。
あ、「物」に対して、ですよ。
大抵のものはある。都会って、そうなんだ。
だから、ここにあるもので、作ればいいじゃない。
っていう感覚。

なんて優しいんだろう。なんて安心なんだろう。

人間は、作ることにしあわせを感じるし、見える人が作ったものを食べたり、身につけたりすることにも、しあわせを感じる。

島って、しあわせが生きてるんだよなぁ。と。第1話 「宮古の暮らし、八丈の暮らし」

思い出して、その感覚を噛みしめた八丈の旅でした。

八丈の人口は7591人(2017年8月1日現在)。
島の一周の距離は、58.91km。

だそうです。

次回から、旅の様子を綴っていきます。どうぞよろしくお願いします。
※次回の掲載は10月31日第五火曜日を予定しています。

扇授 沙綾(せんじゅ さあや)

1976年 東京生まれ。
2003年から2011年まで、宮古島・狩俣に住む。
伊良部島へフェリーでの1年間の通勤を経て、東京へ。
現在、東京在住。
12歳の息子と二人暮らし。




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