てぃーだブログ › ATALAS Blog › んなま to んきゃーん › 第166回 「多良間村立多良間自練」

2017年12月26日

第166回 「多良間村立多良間自練」

第166回 「多良間村立多良間自練」

地味にだらだらと続いて来た井戸にまつわる石碑シリーズから転移する形でスタートした、12月のミニ企画である多良間島の石碑シリーズも、今回でいったんファイナルとなります。まだまだ多良間には石碑があるので、ネタが集まったら、PART2でも企画してみたいと思っています(といいつつ、多良間には興味深い穴≒カーが多いので、知る人ぞ知る個人企画の穴に潜る方もやりたかったりもする…)。
基。多良間シリーズのラストはすでに(お約束の)出落ちモノ。タイトルからもお判りのように、「多良間村立多良間自練」という銘板です(たぶん)。
第166回 「多良間村立多良間自練」
多良間に自練があったの?という驚嘆が聞こえてきそうですが、ええ、あったんですよ。
まずはGoogleの空中写真をご覧ください。ほら、先週の「報恩之碑」の近くの緑地の中に、教習コースの紋様が浮き出ているのが見えます。

1986(昭和61)年撮影された自練が写っている一番古い多良間の空中写真はではこんな感じ(さらにこの10年前の1977年は建設前なのでこんな感じ)。
第166回 「多良間村立多良間自練」第166回 「多良間村立多良間自練」
【左 GoogleMapより】
【右 国土地理院空中写真 1986(OK861X-C12-3)より】


しかし、2017年8月に現地を訪れたところ、コースの路盤は剥がされ、空き地はなにやら資材の置き場のようになっていました(一応、かつての外周らしきところを勝手に走行してみました)。
いずれ、この空中写真からも教習コースは姿を消すことでしょう。

さて、この多良間自練ですが、エポックメイキングなネタの割には情報が極端に少なく、記事の構成がかなり辛いのですが、石碑の裏にわずかな手がかりからまずはご紹介。
自動車練習所の概要
建設期間  昭和54年度~昭和55年度
工事費   2千万円(村単独事業)
開始年月日 昭和56年4月1日
石碑に記されている情報を元に、村史を紐解いてみると、自動車免許を取得するには多良間から宮古など島外に出向き、かなりの日数にわたって滞在し、学科や実技を学習して試験に受からねばならず、多良間島民にとっては時間と費用が大きな負担になっており、無免許運転をする者も少なからずいたことから、1981(昭和56)年に村立自動車学校が設置され、負担が軽減されて免許の取得が出来るようになったということが判りました。
年代的に考えると、復帰(1972年)から10年近く経過し、日本の交通法規へと戻った「ナナサンマル」(1978年)からも数年。平たく云えば過渡期と云えそうですが、いわゆる“本土並み”のグレーゾーンで逃れられるギリギリのタイミングのような気がします。

ところで「自練」という略語ですが、これは沖縄特有(に近い)の云い回しで、今は自動車教習所のことを呼びます(宮古口見聞録" その6)。
自動車教習所であるならば、略称は「自校」とか「車校」とか、もっと単純に「教習所」などと呼ぶ方がしっくりきますが、本来、自練とは自動車教習所ではなく、「自動車練習所」の略称になるので間違いなどではないのですです。
自動車教習所は資格を持った技能検定員と教習指導員が、運転に必要な知識と技能を習得させる場所ですが、復帰前後の沖縄では資格を持った人材がなく、練習コースで練習して、いわゆる公安委員会で試験を受けて、自動車免許を取得するというスタイルだったので、自動車練習場なのだそうです。尚、現在の県内の教習所はおおむね公認教習所なので、技能試験が免除されています。

ちなみにこうした事例は多良間島の他にも、伊良部島でもあったようです(当時はまだ伊良部大橋がかかっていないので)。
「まるよしよもやま話」によると、「教習を受けに来る人は自家用車で通っていたそうです」っと、しれっと凄いことが書いてありました。ま、確かにローカルな離島では、時に車検切れの車やナンバープレートのついてない車が、普通に走っていたりすることがあったりしますけどね。
伊良部島佐良浜界隈の空中写真を確認してみると、サバウツガーの手前にある「さぱおき園地」がかつての練習所だったようです。
第166回 「多良間村立多良間自練」第166回 「多良間村立多良間自練」第166回 「多良間村立多良間自練」
【左 GoogleMapより 現在は園地となっており面影はまったくない】
【中 国土地理院空中写真 1994年撮影 平成に入ってもコースは存在するも、コース脇の建物がお墓に変貌】
【右 国土地理院空中写真 1977年撮影 多良間よりも少し早くナナサンマル前には開設されていた模様】


多良間島に話を戻しますが、今でも島には信号機がひとつしかありません。
1985(昭和60)年8月1日に集落と普天間港(当時の貨客船発着の港)を結ぶ道路、クースユマタに信号機が設置されました(当時、ここが多良間で一番交通量の多かった場所という話)。
もっとも、現在の空中写真を覗き込んで見ても、なかなか路上に車の姿を確認することが出来ないくらい、島の交通量は少ないです。そんなのんびりとして、のどかなところが多良間のいいところなんですよね~

※多良間島や伊良部島(他の島でも)での「自練」体験談やエピソードなどありましたら、ぜひお聞かせください!。




同じカテゴリー(んなま to んきゃーん)の記事

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。