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2016年01月22日

その9 タカシ先生の青春カンタービレ

その9 タカシ先生の青春カンタービレ

宮古島は音楽島だ。音楽イベントやライブも頻繁で、民謡、ロック、ポップスなどなど、ジャンル分けなど簡単にできるものでもないけれど、島にあふれる音楽は幅広く、そこに関わる人々も多い。
クラシックコンサートの開催も盛んだ。年に数回は、国内外で活躍する一流の音楽家たちが、この島を訪れる。発表会や定期演奏会なども含めると、その数は一体どれほどになるのだろう。
それらのイベントの多くを企画運営する立役者がタカシ先生と、タカシ先生の教え子である宮古高校吹奏楽OBのメンバーだ。タカシ先生は1977年から平良中、宮古高校や工業高校で音楽教師として、吹奏楽部顧問として音楽教育ひとすじの人生を送り、その活動は退職後もますます精力的なのだが、そんなタカシ先生の音楽人生の始まりは、少年時代にさかのぼる。

僕がこどもの頃は、とみや商会や赤嶺会館で、音響主催のコンサートがあった
すごく見たいのだけれど、バーの息子が入れる場所じゃなかった
入り口でウロウロしてると、ホールから学校の先生の子どもなんかが降りてくる


【宮古高校吹奏楽部伝統の赤いブレザーは、タカシ先生が高校生の時から始まった。顧問には内緒で自分たちで揃えたという】
その9 タカシ先生の青春カンタービレタカシ先生の生家は、イイザトで料亭を営んでいた。料亭はタカシ先生が小学3年のとき、宮古初のキャバレーとなる。料亭時代には三線と唄に囲まれ、キャバレー時代には店のバンドが演奏する西洋の音楽や歌謡曲を聴いて育ったタカシ少年にとって、音楽はいつも身近なものだった。ホールのコンサートがどんなものか、とても興味があったが、そこに行けるのは限られた家の子だけだったと、タカシ先生はいう。

「バーのこどもという負い目はいつもあった」人生が大きく変わったのは小学6年の時。加山雄三主演の『若大将シリーズ』の大ヒットだった。「映画に出てくるエレキギターやドラムセットがある家のタカシくん」は、一気にスターダムにのしあがる。同級生ばかりか、面識のない先輩までもが、楽器見たさに家を訪ねてきた。
中学に入ると、ビートルズとGS旋風で世間は湧き、空前のバンドブーム。タカシくんも仲間とバンドを組んだ。

平良中でもたくさんバンドが誕生して、学校では合同ライブもやった
先生から僕たちのバンドはトリだと言われて有頂天になったんだけど
時間切れで自分たちだけ出られなかった


島で唯一のドラムセット、みながうらやむドラムセットを自転車に積んで、とぼとぼ帰ったあの日のことは一生忘れないとタカシ先生はいうが、しかし、エレキやドラムは不良の始まりとおそらく言われたであろう時代に、中学校でライブができてしまう開放と自由にむしろ驚いてしまうのだ。
そして、高校時代。フォークの波がやってきた。タカシくんバンドは、同じメンバーでダブルベースとギター、クラリネットに編成を変え、映画音楽『太陽のかけら』を舞台で演奏。拍手喝采を浴び、3年前の悔しさを大いに晴らした。吹奏楽部部長でもあったタカシくん、己の音楽の天分を疑う余地はなかったのである。タカシくんは音大受験を決意し、大阪を目指した。

受験科目の調音とかソルフェージュとか何もやってない
島には指導してくれる人もいないし、ピアノだって受験決めてから独学した
大学の寮に泊めてもらって、そこで出会った大学生もあきれるほどだった


根拠のない自信だけはあったタカシくんだが、今更不安になってきた。でもそこはタカシくん。試験日前夜には、ウィーンフィルハーモニーのコンサートに出かけているのだ。コンサートの帰りには、心斎橋で、前から欲しかったベートーベンの交響曲の1番から9番までの楽譜をフルセット購入。7番が特にお気に入りで、初めて見る譜面に心が躍った。
「ウィーンフィルも聴けた。楽譜も手に入れた。落ちても、もうこれでいいかと」

問題を開くと、一面に楽譜が書いてある
あれ? ついさっきまで眺めてたヤツだと
7番の2楽章がそのまま目の前にあるんだから


そう。タカシくんは持っているのだ。試験終了後、あの楽譜はなんだ?という受験生たちのざわめきの中、「ベートーベン交響曲7番2楽章!」とおごそかに答え、周囲を圧倒し、実技のハンディを乗り越えて無事に合格。タカシくんは晴れて音大の学生になった。

ダークスーツでビシっと決めて、アタッシュケースを抱えて正面玄関から入る
そのまま事務所に行き「ごくろうさま」と挨拶し、椅子に座って手帳を広げる
内心ドキドキ、心臓バクバクだけど、とがめられたことはなかった


大阪で音大生になったタカシくんは、コンサートに行きまくる。それはもう乾いたスポンジが水を吸い込むタカシくんなのである。しかし、コンサートは高い。学生の身分でそうそう年中いけるものではなかった。そこで考えたのが会場潜入。もっとも成功率の高い大胆な方法だった。

バーンスタインの楽屋を探してドアをノックすると、
カムイン!とか、カメヘン!とか返事があるから
ドアを開けたらバーンスタイン本人がバスローブ姿でくつろいでいた


【今年1月16日に開催された金管十重奏の夕べ。タカシ先生の教え子、宮高吹奏楽部OBで、第一線で活躍する池城勉氏、砂川隆丈氏が参加。コンサート前後には、生徒たちとワークショップの時間を持ち、後進の指導も】
その9 タカシ先生の青春カンタービレある日タカシくんはカラヤンと並ぶクラシック界のスーパースター、バーンスタインの楽屋に恐れ多くも潜入し、写真をとって握手してひとしきり感動するという暴挙に出る。しかし、その時にとった写真は、現像すると何も映っていなかった。わざわざ友人から上等のカメラを借りたのが裏目に出たという。あまりの緊張にサインをもらうのも忘れ、何の証拠もないので誰も信じてくれないのだと残念がる。「でも、本当のことなんだよ」
 
タカシ先生は不思議な人だ。びっくり話が縦横無尽に駆け巡るカンタービレ(歌うような話)は、どこか捉えどころがなく、しかしこどものように率直で、確実なのは、何かに守り包まれているということだ。
1985年8月12日、日本航空123便が御巣鷹山で墜落。タカシ先生は親戚家族とその飛行機に乗るはずだったが、無理を言って直前にスケジュールをずらした。
「どうしてかね。自分でも理由がわからない。僕の誕生日が8月12日なんですよ」

《第四金曜担当》 きくちえつこ
池間島在住、足かけ 4 年のナイチャー。
宮古で出逢った「かいまい くいまい」から聞いた、ちょっと「へえ~っ!」となる話を、ゆる~ゆる~っとご紹介。
考察も、オチも、ありません。ごめんなさい・・・。

『かいまい くいまい』 = 「あの人やら、この人やら」



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この記事へのコメント
なかなか面白そうな島なんだね。いつか息子が演奏に行ける様になったら良いな。
Posted by 木村 at 2016年01月24日 19:55
木村様
コメントありがとうございました。

南の島の気分を楽しむのも一興ですが、じっくりと腰を据えて島を堪能するのもまた面白いところです。
息子さんの演奏が、どういうものかは判りませんが、交流してみるというのもまた、楽しみ方のひとつかもしれません。
Posted by atalasatalas at 2016年02月26日 14:15
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