2015年06月19日
『続・ロベルトソン号の秘密』 第二話

ロベルトソン号及び「博愛記念碑」についての新たな事実を紹介していくシリーズ「続・ロベルトソン号の秘密」。ですが今回は、色々な方から寄せられる「そもそもなぜあなたはこのテーマを研究しているの?」という疑問にお答えするため、私と「博愛記念碑」の出会いについてご紹介します。

【↑ツジが大学院時代を過ごしたT大学】
そんな哀れなツジを引き取って下さったのがA先生なのですが、このA先生との出会いが、私を宮古に導くことになります。この方、前職が琉大のドイツ語の先生で、沖縄とドイツの関係史にも造詣の深い方だったのです。
そして日独の文化交流史を研究しようとする私に、「沖縄とドイツの間にも交流があったのをご存知ですか?」と手渡して下さったのが、あの「まぼろしの書」、つまり下地馨先生の尽力により「宮古民族文化研究所」から1969(昭和44)年に復刊された、『南島 第三輯』のコピーだったのです。

そしてこの本に、九州帝国大学教授(当時)の江崎悌三(1899-1957)による、「博愛記念碑」ついての詳細な論稿「宮古島のドイツ商船遭難救助記念碑」が含まれていたのです(なお江崎氏に関しては、それだけでブログシリーズを組めるほど興味深い事実があるのですが、これは来月お知らせします。お楽しみに!)。
この江崎論文、特に1876年に「博愛記念碑」が宮古島に設置されるまでの経緯を網羅している点が特徴的で、日琉独の様々な文書(東京のドイツ大使館や、日本の外務省の外交文書の写し、宮古島蔵元文書など)を用いて石碑建立のプロセスを立体的に描き出しています。
さらに、「博愛記念碑」が1929(昭和4)年以降クローズアップされるに至った経緯についても、江崎氏は「この碑が最近再発見されて、世の注目を惹くに至った事情もやがて忘れられることになるかも知れないので、私は聞き傳えたことゝ、新聞紙に報ぜられた資料に基いて簡単に記録しておきたい」(『南島 第三輯』71ページ)との思いから、「ドイツ商船救助」という事績が1930年代に顕彰されるプロセスにも言及しており、こんにち私たちが「ロベルトソン号の秘密」を読み解く上で貴重な情報を提供してくれています。



【『南島 第三輯』の復刻版(1969年) クリックすると大きくなります】
そんな江崎先生、1936年11月に宮古島で開催された記念碑の60周年行事(正式名称は「獨逸皇帝感謝記念碑建立六拾周年記念式典」)にも参加していて、ドイツ政府代表として式典に招待されたF.M.トラウツ(1877-1952)博士に同行して宮古島を訪れています。しかし江崎氏は、この「盛大なる式典」については、「人の記憶に新なる所で、こゝに詳記することは差控へる」(同書、73ページ)として、説明を割愛しています。
折角なのでこの式典の詳細も書いておいてくれたら、一級の郷土資料になっただろうに、と残念ではあるものの、他方でこれについては、式典の主役である「ト博士」ことトラウツ博士のコレクションの中に、ドイツ語で書かれた資料が見つかりました。現在ちょうどこれを大学の紀要に掲載すべく翻訳を進めているところですので、もう少々お待ち下さい。
そういうわけで、江崎論文をきっかけに、宮古とドイツの意外な関係を知ったツジ。その後ドイツ留学中に、1873年のドイツ商船遭難事件の主役である、ロベルトソン号船長エドゥアルト・ヘルンスハイム(Eduard Hernsheim)の日記と回顧録の写しを、北ドイツの港町ブレーマーハーフェン(Bremerhaven)*で入手することに成功します。
*注:正式名称を「ドイツ連邦共和国」と言うドイツは、16の連邦州に分かれており、各州は日本の都道府県よりも広範な権限を与えられています。16州のうち、ベルリン州、ハンブルク州、ブレーメン州の3州は特別な地位を有しており、ベルリンとハンブルクはひとつの市でひとつの州を成しており、またブレーメン州はブレーメン市とその外港都市ブレーマーハーハーフェン市の2市で構成されています。
実は江崎論文でも、ドイツ船の船長について「翌一八七四年頃から南洋の各地に営業所を設けて活躍したドイツ商人の兄弟があった。その名をエドワルト及びフランツ・へルンスハイム(Eduard und Franz Hernsheim)と言ひ、後年ドイツの南洋発展の上に重要なる役割を勤めた。右の遭難船の船長ヘルンスハイムは恐らくその一人であると思はれる」(同書、3ページ)と記載があったのですが、そのヘルンスハイム船長の回顧録を入手できたことで、ドイツに帰ることなく太平洋での貿易に参入するという、彼の「宮古漂着後」の活躍(暗躍?)ぶりが明らかになっていったのです。
さらにその後も、ボン大学のご好意で、「トラウツ・コレクション」と呼ばれるトラウツ博士の収集品(宮古島関連の資料や写真を多数含む)を見せていただく機会も持ったため、今度は1936年の「博愛記念碑」60周年式典についても、このトラウツ資料をもとに研究を続けているところです。
調べれば調べるほど新たな謎・秘密が生まれるのがこのテーマの特徴だと感じていますが、昨年からは、新たに立ち上がった「宮古研究会」に集う沖縄研究者や宮古の郷土史に詳しい方々とも協力し、日琉独の知見を総合して「ロベルトソン号の秘密」の解明に取り組んでいます。今後も研究論文の執筆に取り組むとともに、ブログ経由で自身の活動を発信するなどして、宮古の皆様にも研究成果を提供していきたいと思います。
《第三金曜担当》 ツジトモキ
1978年 愛知県岡崎市生まれ。M大学農学部専任講師
ATALASネットワークにおける、独逸マイスターである(暫定)。
Posted by atalas at 12:00│Comments(0)
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