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2016年07月22日

其の3 六本木のモテ男が漁師になった! ヒサオさんの遥かなるグルクン

其の3 六本木のモテ男が漁師になった! ヒサオさんの遥かなるグルクン

手元に一冊の写真集がある。『遥かなるグルクン』。沖縄の伝統漁であるアギヤーを、水中写真家の第一人者、中村征夫が30年にわたり取材した渾身の記録だ。

【遥かなるグルクン写真集表紙】 
其の3 六本木のモテ男が漁師になった! ヒサオさんの遥かなるグルクン「沖縄の糸満が発祥の地とされるアギヤー(追込み漁)は、ウミンチュ(海人)たちが潜水し、彼方から巨大な袋網にグルクンを追い込む勇壮な漁である」
(中村征夫 写真集より)

「グルクンは珊瑚礁に沿って移動する習性を持つ。珊瑚や岩礁など多く入り組んだ沖縄の海では、人が潜って網を張るしかないのである」
(中村征夫 写真集より)

今では、佐良浜にしか残されていないアギヤー漁。写真集には、その美しくダイナミックな漁の様子とともに、アギヤー漁師たちの壮絶な生きざまや、海人たちの暮らしが映し出されている。

佐良浜には、かつて100名はいたというアギヤー漁師も、年々その数を減らし、現在は8名。アギヤー船もわずか2隻になった。

俺が入った17年前には30名くらいいたんだけどね。
歳とって引退してやめてく。
おじいたちは、息子に跡を継がせない。
内地から若い人が入ってきても、食えないから続かない。


そういうのは、平良久夫さん(以下、ヒサオさん)54歳だ。潮で焼けた褐色の肌、するどい眼光、威風堂々とした圧倒的存在感とぶっきらぼうな物言いなど、まさに漁師そのものだが、意外なことにヒサオさんは生まれながらの海人ではない。生まれも育ちも平良市内というシティボーイだ。テレビや本を見て憧れ、漁師になりたいと佐良浜にやってくる内地の若者は少なくないが、同じ宮古島の他の地域からの漁師入門というのは、後にも先にもヒサオさんだけらしい。
その経歴もまた異色だ。宮高を卒業して、ヒサオさんは上京する。仕事のあてがあるわけではなかった。上京してすぐ、神田のスポーツショップに立ち寄った。そこでショップを運営する本社の専務と出会い、うちで働かないかとスカウトされたという。ヒサオさんは、ショップ経営やスポーツ商品の企画開発をする会社の社員になった。
其の3 六本木のモテ男が漁師になった! ヒサオさんの遥かなるグルクン
【写真集開き:平良久夫さん 中村征夫氏にとって、ぶっきらぼうだが饒舌なヒサオさんは、通訳としても心強い存在だったようだ。写真集の編集にあたっては、5日間、西里のホテルにふたり缶詰めになり、作品の一枚一枚について、ヒサオさんが説明をした。それをもとに、征夫氏がキャプションをつけていったという。

入社10年目くらいに、ウェットスーツのカタログの企画をした。
当時はどこのメーカーも、モデルが派手なウェットスーツ着てにっこり。
しかもスタジオ撮りだから、全然面白くない。
俺はモデルを佐良浜に連れてった。
黒いウェットスーツを着たアギヤーの漁師たち10人以上船に座らせて、
彼らをバックにモデルが立つ。渋いデザインのスーツを着て、正面を睨んで。
『インシャ―』というネーミングで商標登録もしたんだよ。


意表をつくカタログは評判を呼んだ。ちなみにインシャ―とは海人。宮古ではウミンチュとは言わない。それはともかく、仕事もプライベートも順風満帆。ヒサオさんは、夢の東京ライフを謳歌した。

同い年の遊び仲間と毎晩六本木よ。
ひとりはモデル、ひとりはロシア人のクォーター、そして俺。
そう。毎晩。派手に遊んでた。面白かったよ。
でも、だんだんね。こんなこといつまでもやってる場合じゃないよなと。笑
ま、遊び尽くして飽きたというのもあるんだけど。


東京で結婚したお嫁さんを連れ、ヒサオさんは宮古へ戻った。35歳のときだった。宮古で、最初の1年半は、某大型店舗の立ち上げに責任者として加わった。しかし、東京のビジネスのリズムに慣れたヒサオさんにとって、地元の仕事はテンポも遅く、効率も悪く、イライラすることが多かったという。
其の3 六本木のモテ男が漁師になった! ヒサオさんの遥かなるグルクン
このままストレス抱えて仕事してもしょうがない。
アギヤーやらせてくれと、普天間組の漁労長のところへ行った。
漁師たちは、みんな反対よ。こんなきつい仕事より会社勤めの方がよっぽどいいと。
なんでアギヤーかって?面白そうだったから。笑。
それに当時のアギヤーは、まだ景気もよかった。新人でも結構稼げた。


周囲の反対はあったものの、ヒサオさんは会社にさっさと辞表を提出し、漁労長、普天間武さんの家の2階に住み込んだ。早く仕事を覚えるためだ。
当時、佐良浜アギヤーを仕切っていたのは普天間組。漁労長の武さんは、漁師としての腕と厳しさ、儲けの公明正大な分配ぶりで、誰もが認める大親分だった。
 
新人だからといって、とくに教えてくれる人がいるわけじゃない。
みんな口下手だから、見て覚えるしかない。
覚えてないことでもできなかったら怒鳴られる。
海の上ではベテランも新人もみな一緒だから。

それでもダイビングの経験もあり、勘も良く、先輩漁師たちの怒声にもめげないヒサオさんは、「ストレスがまったくないまま」今日までやってきた。やがて武さんは引退し、普天間組は国吉組になった。かつてほど儲からないし、先輩おじいは相変わらず口うるさい。それでもアギヤーは面白いとヒサオさんはいう。「何がって、全部だよ、全部」

おじいたちは面白いよ。
そこにいない人のことを、カラスの裁判みたいに悪口いうから。
でも、1時間もしたら、そんなこときれいに忘れてる。心から嫌いなわけじゃない。
小さなコミュニティで人間関係を円滑にやっていくゲームみたいなもんかな。
アギヤーは団体戦で、命も暮らしもかかってる。
強い結束力がなかったら魚が捕れないさ。
そのためのガス抜きみたいなもんなんだと思う。


其の3 六本木のモテ男が漁師になった! ヒサオさんの遥かなるグルクン今、アギヤーは80代が1名、70代が1名、60代が3名、50代が2名、40代が1名という年齢構成だ。一番若い40代は内地からの移住者だ。ヒサオさんは、おじいたちと若い人のつなぎ役で、アギヤー漁をやりたいという若者が来れば、教育係も買って出る。

新人が来ると、ダイバーの教本を必ず読ませ、「24NOR
TH」のダイビングプールで、アギヤーに必要な技をまず叩き込む。
アギヤーのタンクにはエアーの残量がわかる計器はついていないから、エアーが少なくなってきた感じを身体で覚えさせる。
アギヤーは危険だというけれど、ちゃんとした知識があれば恐れる必要はない。


これまで、若者がたびたび来て、アギヤー漁師になり、そして去っていった。それでもヒサオさんは、怒るでも、悔しがるでもない。すべては仕方がない。それぞれに事情があるのだからと。そして、もう5年もすればアギヤーは佐良浜からも消えるだろうと、淡々という。

アギヤー漁は大切な伝統漁だから、守らなきゃならないなんて、
そんなこと考えてやってるわけじゃない。たぶん、他のみんなもそうだと思う。
生きるため、食うために、今も命がけで、一生懸命アギヤーやってるんだよ。


その言葉を残し、もう行くよと、ヒサオさんは席を立った。背中がとても大きかった。

※     ※     ※     ※     ※

【あとがき】
アギヤー漁師たちの中でもひときわ大きく、コワモテの久夫さんは、遠くからでもよく目立ちます。
ちょっと元プロ野球選手の清原に似ています。というと、今はあまり印象が良くないですけれど、あれです。カッコいいのです。
六本木時代は、さぞかしブイブイいわせてた(死語)んだろうと、容易に想像はつきます。
そんな久夫さんですが、実は一滴も酒が飲めないというのは意外でした。

それはともかく、緊急告知です!!!!!!!!!!!!!!
其の3 六本木のモテ男が漁師になった! ヒサオさんの遥かなるグルクン8月6日(土)、3時から、伊良部中央公民館大ホールにて、写真家・中村征夫氏の講演会と、征夫氏を囲んで、アギヤー漁師たちがフリートーキングするという、前代未聞のトークセッションを開催します。写真集に登場するあの人この人のナマの声も聴くことができます。仕込みもシナリオもない、ドキドキハラハラのイベントです。さて、どうなりますか・・・入場無料です。
ぜひぜひぜひぜひ、皆さまお誘いあわせのうえ、おいでください!

【中村征夫 出版記念講演&トークライブ】
日時 2016年8月6日(土) 15時開演 [入場無料]
場所 伊良部公民館大ホール(地図はコチラ)
イベントスケジュール
 第1部 出版記念講演
 第2部 アギヤー漁師たちとの座談会

主催 株式会社プラネット・フォー(宮古島ひとときさんぽ1周年記念事業)
共催 伊良部島漁業協同組合
後援 一般社団法人宮古島観光協会
   一般社団法人ATALASネットワーク



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この記事へのコメント
突然のコメント失礼します。
平良さの事が知りたいのでコメントしました。私は当時、平良さんの勤めていた東京のスポーツショップに某ダイビングメーカーの営業マンとして営業しており、派手な器材を時流に乗った販売をしておりました。平良さんとは商品に対する考え方の違いでよく店内で衝突したり冗談を言い合った仲でした。しかし、個人的な理由から業界を去った私は平良さんに別れも告げづに音信不通となりました。昨年Facebookで平良さんを見つけ友達申請リクエストを送りましたが、多忙なのでしょうか、連絡が未だに取れない状態です。今年の秋頃には宮古島の素晴らしさを当時語っていた平良さんの宮古島に旅行で行こうと考えております。どうかこのサイトをきっかけに再会したい希望を叶えたいのですがご協力頂けませんでしょうか。私も58歳になりお互いの歩んで来た道を振り返りながら話しが出来たらと思います。メールは
sonyreo@yahoo.co.jp まで頂けると幸いです。
Posted by 稲葉牧人 at 2016年07月30日 09:04
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