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2017年06月23日

その11 「美代さんの神世界」

その11 「美代さんの神世界」

宮古島には1000を超える御嶽(うたき)があるという。御嶽とは、集落を守る拝所のことで、大きな御嶽には偉人が祀られていたり、神話の源だったりするのだが、それ以上に、今となってはいわれもわからない数多くの小さな御嶽が、集落のそこかしこにひっそりとある。たとえば大きなガジマルの木がうっそうと茂る一角があれば、それはきっと御嶽で、そこには、神社の静謐とは全く異なる、どこか野性的な霊性が宿る。どうかすると暴れ出しそうな密度濃い霊的空間が、この小さな島には密集しているのだ。そしてそのせいなのか、島にはカンダカイ人(霊感の強い人)が多くいて、どうやら普通には見えないものたちの世界が暮らしの風景の一部になっている。
その11 「美代さんの神世界」
【神謡を唄う美代さん(左) 映画『Sketches of Myahk』より】

佐良浜の濱川美代さんも、そんな人のひとりだ。美代さんは集落の神事を司る『ツカサ』だった。佐良浜のツカサは3人いて、美代さんはその最上位、『フンマ』を務めた。ツカサを選ぶのは、集落で最高位の神様『オハルズ』。佐良浜で生まれ、佐良浜の男と結婚し、佐良浜で暮らす、一定の年齢層の女たちの名前を記した紙片をカゴに入れ、それを神様の前で何度も振るうと、なぜか同じ人が繰り返しカゴから飛び出すのだという。

杖を持ってオハルズの前の通りを歩いている夢をよく見たよ。
坂があって、一番上まで行きなさいという声がする。
それでも、まさかフンマになるとは思いもしなかった。
選ばれたと聞いたときは、怖くてジャンパーかぶってブルブル震えてた。


【ズーパ(かんざし) フンマは黒木、ナカンマとカカランマは金属製】
その11 「美代さんの神世界」美代さんの母親もナカンマと呼ばれるツカサだった。だから、神事の大変さは人一倍知っている。ましてやフンマともなると、その一切を仕切る責任重い立場だ。ツカサたちは、その任期中、島を出てはいけない、病院にいってはいけない、葬式に出てはいけないなど、数々の制約があるだけでなく、毎日のようにカンニガイ(神願い・神事)の仕事がある。それを全部やり切ることができるのかという美代さんの不安は当然だった。だからといって断ることも許されず、美代さんはフンマになった。

神様がこうしてああしてと、具体的に教えてくれることも多い。
だから、やっていることに間違いがないかどうかはわかるのよ。
とくに大きなカンニガイのときには、大抵神様が出てきてくれる。
神様っていってもたくさんいるのよ。男も女も、若いのも年寄りも。
ヘルメットかぶって迷彩服を着た男の神様もいるし、黒い帽子と衣装をつけた神様もいる。
杖をついた白いひげのおじいさんとか、きれいな着物をつけた若い女の神様も。
オハルズの前でお迎えしてくれるのは、普段着のような着物を着て、
髪を結って、ズーパ(かんざし)つけたおばあさん。


美代さんは、たくさんある小さい御嶽の神様たちは、オハルズの神様の手伝いをしていると考えている。普段は自分の場所にいて、大きな祀りごとのときには、オハルズに集まってくるようだと。「オハルズの神様との交渉をしてるんじゃない?」「オハルズの神様だって、きっとひとりではいろいろ大変だから」神様の世界でも、お互いが助け合ったり、好きになったりいさかいをしたりと、どうやら人間関係と同じような神様関係が繰り広げられているらしいのだ。

人は亡くなると、御嶽の神様になるんだと思う。
神様になっても、その中で、たぶんいろいろ位があるんだろうね。
神様になれないと、その魂がマズムン(悪霊)になってしまうかもしれない。
だから、誰かが亡くなった後、御嶽にいくためのニガイは大切。


【カレンダー あるツカサのカレンダー。月の大半がツカサの仕事で埋められている】
その11 「美代さんの神世界」佐良浜には、お葬式や初七日、四十九日といった仏式の行事が定着する以前から、『ダビわー』や『むい』という独特の儀式があるという。『ダビわー』は、荼毘わー(豚)だろうか、豚をつぶして、親類縁者に振る舞う。そして『むい』とは、死後、どの御嶽にいくかを決めるための儀式で、ユタが亡くなった本人の魂と話し合って決める。そうして死後の魂はそれぞれの御嶽に行くのだが、その中でも、一番強い力を持った魂が、御嶽の神様代表のような存在になるんじゃないのかねと美代さんはいう。だから、神様はさまざまな時代のさまざまな立場の恰好をしているのだと。

去年、お母さんのダビわーとむいをした。
わたしのところにお母さんが出てきて訴えるから。毎日、玄関に立ってるんだもの。
同居してた長男夫婦の夢に出て訴えたけれど、聞いてくれないといって。
本来わたしがやる立場じゃないけど、しょうがない。
それが済んだら、ぴたりと出てこなくなったよ。


カンダカイ人はカンダカイ人を呼ぶ。美代さんのところには、そんな体質の人たちがよくやってくるし、家族にもまたカンダカイ人が多い。お互いに見えるものを共有し、共感しあえる反面、同時にそれは、とてもしんどいことらしい。訪れた人がついた霊を落としていくこともあり、とたんに美代さんの身体はきつくなる。「信じる、信じないは人それぞれだけど、自分には見えるし聞こえるし。同じものを見て聞いている人たちが、他にもいる。だから、そういうものなんだと受け入れるだけだよね」と美代さんはいう。

そして神様はいつも佐良浜にいるとは限らない。

東京で神謡を歌った時ね、後ろで誰かが髪の毛をさかんに引っ張る。
なにかねと思って振り向くんだけれど、誰もいないし何もない。
舞台から降りると、娘婿が「おばあ、あんたの後ろに神様いたけど気づいてたか?」って。
えっと思って頭触ったらズーパがないわけ。


ズーパ、かんざしは、ツカサのお守りだ。ツカサの務めが終わってからも、肌身離さず身につけていなければならないという習わしだが、その日、美代さんは、髪を結った後、うっかりズーパをつけるのを忘れて舞台に立った。だから神様は美代さんの髪をひっぱり注意をした。美代さんいわく、「霊感のものすごく強い」娘婿が、その様子を一部始終、客席から「見て」いたというわけだ。
その11 「美代さんの神世界」
【オハルズ前 島の最高神、オハルズでニガイをするツカサたち】

このところ、佐良浜ではツカサ不在が続いている。元島である池間も、伊良部地区も、宮古島全体が同じ状況で、神事が昔のように行われないようになってきた。昨年の今頃、美代さんは牧山のピャーズ御嶽の近くで馬を見たという。「向こうの神様は馬に乗ってるからね。あっちのニガイも途絶えてるから、何か訴えてたはずよ」と、美代さんはいった。

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【あとがき】
世の中は誰にでも見える世界ともうひとつの世界が重なりあっている、と美代さんの話を聞くと改めて思います。見えないから無いわけじゃない。わたしにはそっちの勘は全くないのですが、宮古島の、何かわからない濃厚な気配というものを感じないわけではありません。そして、見えない何かの存在を教えてくれる人も少なくないので、たぶん、そうなんでしょうね。そこに恐怖はないので、おばあたちの真似をして、心の中で感謝しています。それにしても、美代さんの精神世界は豊かです。「神様たちにもいろんな事情があるんだよ」と、サラリと言ってのけます。それはまさに古事記や日本書紀の神話の世界!神世界のリアリティを共有できる美代さんが、ちょっとうらやましかったりします。
ちなみに数年前、『スケッチオブミャーク』という映画が世に出ました。宮古島の神謡をとりたいと願っていた音楽家の久保田真琴氏と美代さんとの出会いが、映画製作のきっかけになったそうです。そして、それを期に美代さんと元ツカサのメンバーは『ハーニーズ佐良浜』を結成。神謡や古謡を唄うユニットとして活躍しています。
きくちえつこ


※映画 『Sketches of Myahk』



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