てぃーだブログ › ATALAS Blog › 宮古島四季折々

2019年06月26日

Vol.35 「キビの葉が青々と」



すとぅむてぃ しゃーか(朝早く)から、ナビガース(クマゼミ)の大合唱が響く、梅雨の終わり・・・。
サトウキビの葉が青々と背丈を伸ばし風に揺れている。
今年は、雨も過不足なく降り、農作物、植物たちは、元気だ。

サトウキビは、収穫までに約1年半かかる。
今、背丈が1メートルくらいのキビは、この春に収穫が終わり株から芽が出たもの。
2メートルあまりのキビは、昨年の株出しか、昨夏に植えられたものだ。

キビ畑を気にかけて見るのは、ばらん(穂)が一面に揃う冬の頃か、収穫が始まった頃、植える頃だったが、今年は、この時季のキビの美しさに心惹かれている。
まだ、台風が襲来していないので、倒れることもなく、また、まだ若いので背丈もそう大きくなく、密集して揃い、何とも美しい。

実家の南側にあるキビ畑も今まさにそんな感じだ。
今朝、キビ畑を見ていたらキビの甘い匂いと葉の匂いが混ざったような何とも懐かしい匂いがして一気に50年ほど前の風景が蘇った。

当時からこの畑はあり、その横はあぜ道だった。そこにゴザを敷きままごとをしたり、セミ取りなどをして遊んだ。あの頃の匂いだ。
あの頃はキビ畑への関心など、少しもなかった。でも、匂いは記憶の中にしっかりと収められていたようだ。

20代から50代初めまで、宮古を離れ東京に住んでいた。
30代の頃から宮古のことが気になり始め、宮古への郷愁は募るばかり。
里帰りするたびにすべてが懐かしく、愛おしい思いがこみ上げてきた。東京に戻る時の寂しさといったら。

それから20年余り経ち、宮古に帰ってきた。5年余りが経つ。
少しずつその懐かしさは薄れているが、時々こうやって匂いや風景でよび醒まされるものがある。周りの自然が自分に与えたものがいかに大きいか知る瞬間だ。

これから台風の季節に入る。まっすぐ伸びていたキビも倒れたり、折れたりするだろう。
それでも、また太陽や雨の恵みを受け、成長していく。その時々のサトウキビの姿、美しさを堪能しようと思う。  続きを読む


Posted by atalas at 12:00Comments(0)宮古島四季折々

2019年05月24日

Vol.34 「鳥たちの楽園」



梅雨入りした宮古だが、青空が広がり、若夏真っ盛りだ。一週間前には、ナビガース(クマゼミ)の鳴き声を今季初めて聞いた。
私の住んでいる所は、松林、サトウキビ畑、野菜畑などに囲まれた長閑な田舎にある。
朝から鳥のさえずりが聞こえ、留鳥や渡り鳥など、いろいろな種類の鳥たちを見かける。
スズメ、イソヒヨドリ、ンーバトゥ(鳩)、カラス、セッカ、メジロ、ウグイス、シロハラクイナ、ツバメ、サシバ、シラサギなどなど、他に名前も知らない鳥たちもたくさん見かける。松林の中からはリュウキュウコノハズクとおぼしき鳴き声も聞こえ、このあたりは、住人よりも鳥の数が多いと思われる。

【イソヒヨドリ(メス)】

今、鳥たちは恋の季節のようだ。
昨日は、イソヒヨドリのオスが尾羽を高く上げ、メスを覗き込むように一生懸命アピールをしていた。微笑ましい光景だ。

シロハラクイナは、クワックワックワッと大きな声で鳴き求愛活動真っ只中。
3、4年前、鳩の求愛場面に遭遇した事がある(鳩は、年に何度か求愛活動をするらしい)。
ある日、実家の裏の倉庫の前に2羽の鳩がいた。どうしたんだろうと見ていると、1羽の鳩が胸を大きく膨らませ、もう1羽の鳩をゆっくり追いかけている。それも首を縦に振りながら。まるで、お願いします、お願いしますと頭を下げているよう。おー、告白中かぁ。頑張ってーと見ているとメスはツーンとすまして相手にしてない様子。メスは強い(笑)。
それでもオスは一所懸命追いかける。どこの世界でも恋の成就は簡単にはいかないらしい。

【左 シロハラクイナ】 【右 求愛中のハト】

子どもの頃も鳥は周りにたくさんいたはずだが、気にかけることはなかった。今見渡せばいろいろな景色に出合う。
トラクターが畑を耕しているとどこからともなくアマサギがやってきて、掘り起こされた土の中にいる虫たちを狙って付いてまわる。
田舎では、見慣れた風景だ。トラクターの主も慣れたもので追い払うことはしない。

【セッカ】
宮古には、渡り鳥もたくさんやってくる。
宮古は渡り鳥にとって貴重なエイドステーションだと野鳥の会の人が話していた。
日本には550種類の鳥がいるそうだか、宮古で300種類確認されているとの事。サシバを始め、毎年沢山の鳥たちが羽を休めに舞い降りる。

そんな鳥たちを見るにつけ、宮古が鳥たちにとって楽園である事を嬉しく思う。ただ、土地改良や開発による野山などの減少。海への土の流出は鳥たちに影響がないだろうかとシワ(心配)だ。毎年秋に飛来するサシバの数も減少している。

人の営みも鳥の営みも自然があってこそ。あたらす(大切な)ばんたがみやーく(私たちの宮古)。考えていかなくてはと思う。  続きを読む


Posted by atalas at 12:00Comments(0)宮古島四季折々

2019年03月22日

Vol.33 「春~」



このところ肌寒い日が続いていた宮古。この冬は暖冬で厚着をすることもなくこのまま春?と思っていたのだが、やはり簡単には春は来ないらしい。三寒四温ということか。季節は春に向けての調整をしているようだ。

【フクギ】

三寒四温を受けて、植物たちは春の装いを初めている。冬に葉を落としたモモタマナの木は新芽を出し、フクギの新芽は、新緑が目立っている。また、鳥たちも元気だ。先日、初めて鶯の鳴き声を聞いた。それから、洗濯物を干していると上空でチンチンとガイチン(セッカ)の鳴き声も。春だなー、のどかだなーと思う。

【トベラ】

近所を散歩するとどこからともなく、かばすかざ(良い香り)がしてくる。
トベラの花だ。いつの間にか満開を迎えている。蝶もその匂いに誘われて花から花へ。その隣ではティカツ(リュウキュウシャリンバイ)の白い花も咲き始めた。やらびぱだ(子どもの頃)には、このティカツの実もよく食べた。少しの甘味とえぐみが一緒になったような味で、そんなに美味しいわけでもなかったが、木の実を見ると手が伸びていた(笑)。

【ティカツ(リュウキュウシャリンバイ)】

一週間ほど前、東京から知り合いがうちに来ていた。近所の散歩から帰ってきて、「真っ白な花が畑一面に咲いて、蝶々がたくさんいたわよ。素敵ねー!」と言う。あれ、うちの近所にそんな花畑があったけ?と思っていたら、ムツウサ(タチアワユキセンダングサ)のことだった。

【ムツウサ(タチアワユキセンダングサ)】

ムツウサは、今ではお茶になったり化粧品になったりしているが、農家にとって雑草だ。休耕地や道端など、どこにでも生えている。宮古に帰ってきたばかりの頃は、私もその白い花の可憐さに写真もよく撮っていたが、今や雑草としか目に映っていなかったらしい。確かに今、どこでも満開だ。

【タイワンミャーツキ】

近くの空き地には、タンポポやタイワンミャーツキなどがいっぱい。蝶々も嬉しそうに飛んでいる。

宮古には四季がないとよく言われる。内地のように四季がはっきりと分かりやすいわけではないが、宮古なりの春があり、今まさに春。小さい春、探してみよう。
  続きを読む


Posted by atalas at 12:00Comments(0)宮古島四季折々

2019年02月22日

『宮古島四季折々』 総集編2



今週の『宮古島四季折々』は総集編2です。
2016年からスタートした「宮古島四季折々」は、亜熱帯の島に散らばる小さな四季のうつろいを、美しい宮古口を織り交ぜて、なにげない暮らしの風景から、松谷初美さんが優しく紡ぎあげる素敵なものがたりです。
なのですが。
日頃から多忙な松谷さんのスケジュールに、旧十六日祭(2019年は2月20日)が重なってしまい、ATALASとしてはそちらを優先していただきました。
なので、新作は来月のお楽しみとして、“振り返り一挙放送”的な総集編。『宮古島四季折々』をまとめて読むことの出来る推奨月間です!。

尚、本コラムを執筆してくれているライターの松谷さんは、「みゃーくふつメールマガジン くまからかまから」を主宰されています。島のことばを大切にしながら、さまざまに楽しい話題を届けてくれています。こちらも宮古好きならぜひともオススメしたい“よみもの”です。
 Vol.1~Vol.23はコチラ 『宮古島四季折々』総集編(2018年02月23)

※     ※     ※     ※     ※

Vol.24 「ウギャスギーとフギャン
島の春は心地のよい季節なのは、人も虫も同じ。ウギャスギー(モクタチバナの木)に出没する、刺されるとひどく痛くて腫れるフギャン(イラガの幼虫)のぴるますな話(不思議な話)。

Vol.25 「島バナナ」
島ではとってもポピュラーな小さくてバナナ、「島バナナ」のほっこりこぼれ話。黄色く熟れた小さいな実には、島の人たちのさまざまな思い出もいっぱい詰まっています。

Vol.26 「だきょう(らっきょう)」
島はいっぱい美味しいものを隠している(実際、隠しているのではなく日常食なので宣伝する程ではないという感覚のようです)。小ぶりでシャキっと瑞々しいだきょう(島らっきょう)は実に美味い!。

Vol.27 「んきゃふ(海ぶどう)」
宮古の海と云えば青と名のつく色のすべてあるくらい、まばゆく煌くミヤコブルーの海を思い浮かべるけど、んきゃふ(海ぶどう)は違う。海水と淡水が混じった泥の海に生息する海藻。天然ものは今はもうほとんど採れなくなった。

Vol.28 「すとぅがつ(旧盆)」
あの世とこの世のボーダーラインがあいまいな沖縄に根強く残る旧暦の行事。その中でもお盆は、旧暦の7月13、14、15日と3日間きっちりやる。どことなく旧暦の方が人の暮らしのペースに合っているような気がした。

Vol.29 「十五夜には」
残暑厳しい島の秋はまつりの秋。にぎやかな島の十五夜の日のお話。野原の「マストリャー」、砂川や上区(下里添)の「獅子舞」など、昼夜にさまざまな祭りがあちこちの集落で催される。

Vol.30 「トックリキワタの花に」
島の澄んだ青空に映える鮮やかなピンクの花を咲かせるトックリキワタ。印象的なその花は一度見たら忘れない。花が終わったあとは、大きな実をつける。そしてはじけた実から名前の通りに真っ白な綿がもう一度”咲く”。

Vol.31 「ノビル」
近づく島の冬を前に、いろいろな実りの季節がやって来る。そのひとつがノビル。内地では春の野草のイメージだけど、島ではこの時期に見かけることが多い。ノビルの味と香りが漂ってきた気がする。

Vol.32 「葉タバコの苗植え始まる」
島の基幹産業は農業です。冬、葉タバコの苗植えが始まります。春には独特な文様の大きな葉をつけ、ピンク色の可憐な花を咲かせます。けど、花は葉を育てるために摘まれてしまいます。葉を収穫したら乾燥させて袋詰めにして保管し、8~9月頃に売買されます。



松谷 初美(まつたに はつみ)
1960年生 下地高千穂出身
2001年より、宮古島方言マガジン「くまから・かまから」主宰
30年住んでいた東京から昨年Uターン。現在下地に住んでいる。
毎日が新鮮。宮古の魅力を再発見中。

宮古島方言メールマガジン『くまから・かまから』
http://km22.web.fc2.com/

  続きを読む


Posted by atalas at 12:00Comments(0)宮古島四季折々

2019年01月25日

Vol.32 「葉タバコの苗植え始まる」



年末からすっきりしない天気が続いていたが、ここ数日太陽が顔を出すようになった。
日差しが降り注ぐことのうれしさと言ったら。サトウキビの穂も輝き美しい。

この時季、畑では、葉タバコの苗植えをしているのが見える。実家は葉タバコ農家で、これから忙しいシーズンを迎える。
葉タバコは1月から2月にかけて苗を植え、4月には収穫が始まり6月頃まで続く。
今でこそ、機械で、植えることから収穫までするが、以前は、すべて手作業だった。その苦労たるや・・・。

農作物は、その年の天候によって随分と収入が違ってくる。サトウキビは、台風には意外と強いが、干ばつには弱い。でも今は、スプリンクラーが設置されている畑が多く、干ばつによる被害は昔ほどではなくなった。
葉タバコは台風に弱い。
数年前には、5月に台風が上陸。半分以上の収穫を残し、全滅となった。
これまでの苦労が水の泡だ。

【畝を跨ぐように作られた、変わった形の専用の農機具で、苗植えや、花摘み、葉の収穫などをします】

農家は、その年の出来不出来によって大きく収入が変わる。
父は、「100万あれば100万の生活。10万円なら10万の生活をするさ」と言った。
「ういど 農業(それが農業)」だと。

農業の厳しさを幼い頃から見ていた兄弟は、誰も農業を継ごうとは言わなかった。
それがどういうわけか、一番継ぎそうになかった三番目の兄が父の後を継ぎ、葉タバコを続けている(人生、分からないものだ)。

【大きく育った煙草の葉】

今植えている苗は、3月には人の肩くらいまで伸び、ピンク色の花を咲かせ、4月には収穫が始まる。その間には、又芽摘みもあり、休む間もない。収穫した葉は乾燥させ、袋詰めにして保管。8月から9月頃に売買となる。
その一連の作業が今年も始まった。すべてが順調で、うまくいきますようにと願う。

宮古民謡に「豊年の唄」というのがあるが、作物が育ち、それらが揃い、豊作になりますように、実り豊かな世の中になりますようにと願う歌だ。年を取れば取るほど、この唄の意味が、思いが心に響くようになった。

【小さく可憐で美しい煙草の花】

今年も、いろいろな作物が豊作でありますように。

 くとぅすから ぱずみゃーしーよー サァサァ
 みるくゆーぬ なうらば ゆーや なうれ~
 ヨーイティーバ ヨーイダーキーヨー サァサァ
 するいど かぎさぬ ゆーや なうれ
  続きを読む


Posted by atalas at 12:00Comments(0)宮古島四季折々

2018年11月23日

Vol.31 「ノビル」



ここのところ、暖かな日が続いている。
そんな中、サトウキビは、ばらん(穂)を咲かせ始めた。冬は確実に近くまできているようだ。

先月、小さな かふつ(家の敷地内の畑)に、ミニトマトや春菊、ネギの苗を少しばかり植えた。
暖かいせいか成長が早く、ミニトマトには実が生り始めた。
そのそばでは、ノビルがツンツンと細い葉を伸ばしている。ノビルは春のイメージだが、宮古では11月~12月ごろ出始める。

4年半前、東京から宮古に帰ってきた。
実家の近くに住み、周りをよくウォーキングした。ある日、キビ畑でノビルを見つけた。長いこと見たことも食したこともないノビル。あまりの懐かしさに近くの牛小屋にいたお兄さんにもらっていいか聞き、畑に入り採った。

帰る道すがら50年以上前の幼稚園の頃が蘇ってきた。
幼稚園は、家から1キロくらい離れた公民館。幼馴染みのT子と一緒に歩いて通った(当時、親の送り迎えはなかった。遠くても子どもだけで通ったのだよ)。幼稚園までの道のりは、季節ごとにいろいろな楽しみがあった。
特に帰りは、♪いーとーまきまき、いーとーまきまき と二人で歌い、野イチゴ、バンチキロー、桑の実、サトウキビ(運搬しているトラックから落ちたのを見つけた時の喜びと言ったら。笑)など採って食べながら、のんびり帰った。

そして、この時季はノビルだ。当時もキビ畑の中や傍に多く見られた。見つけるとかけより、たくさん採って帰るのだった(今思うと、なんとも渋い幼稚園児二人)。母も喜び、油みそにしたり、卵焼きに入れたり、みそ汁に入れたりした。香りがなんともいい。

子どもの頃は、いろいろな木や木の実、野草などがとても身近にあった。今また同じものに合うと、とてもうれしくなる。
幼い頃の自然とのふれあいは、大人になっても心を満たしてくれるものだとつくづく感じる。

これからしばらく、ノビルの味と香りを楽しむとしよう。  続きを読む


Posted by atalas at 12:00Comments(0)宮古島四季折々

2018年10月26日

Vol.30 「トックリキワタの花に」



10月も中旬を過ぎると朝晩、ひんやりとするようになった。
寝るのにタオルケットでは心もとなく、毛布を出してきた。
ついこの間までクーラーなしではいられなかったのに、夏の色は小さくなっていく。

11月上旬くらいになると、ひときわ目立つピンクの花が咲く。トックリキワタの花だ。
私が子どもの頃は、宮古で見かけることはなかったが、最近市内のあちこちで見るようになった。
青空に映え、まるで秋の桜のよう。

トックリキワタの原産地は、中南米などでウィキペディアによると日本では1964年に沖縄県に導入されたとのこと。
宮古に渡ってきたのは、それから20~30年後くらいだろうか。
トックリキワタという名前は聞いたことはあったが、どんな花か知らなかった。
10数年前、下地の元役場近くの民家で満開のピンクの花を初めて見た。青空に映え何とも美しい。
後でこの花だったことが分かり感動したのを覚えている。
名前の由来は、幹がとっくりのようにふっくらとしていて、キワタは木綿。花が咲いた後、実がなり、そこに綿ができるため付いた名前らしい。実が割れて、中の白い綿がふっくら現れるのもまた目を奪われる。

トックリキワタの花を見ると、思い出す人がいる。
母の妹(叔母)だ。
小さい頃からいろいろお世話になり、大人になってからは叔母の言葉に救われ、励まされた。温かくて、優しい人だった。叔母は9年前の11月に亡くなった。
その頃、東京に住んでいた私はすぐ宮古に飛んだ。斎場に向かう車中、ずっと外を眺めていたら、山林の中にひと際目立つピンクの花がある。トックリキワタの花だ。車窓はすぐに変わったが、花は目の奥に残り、心が慰められるようだった。あれから、トックリキワタの花を見ると叔母の顔が浮かぶ。

今ではトックリキワタの花はあちこちで見られる。下地線の馬場団地のあたり、カママミネ公園、レストラン「ばっしらいん」前、袖山付近、空港駐車場等々。綿ができるのは4月~5月頃だ。

そろそろトックリキワタの花が咲く。今年も道行く人を楽しませてくれることだろう。  続きを読む


Posted by atalas at 12:00Comments(0)宮古島四季折々

2018年09月28日

Vol.29 「十五夜には」



9月も終盤、夏のしっぽが続いている宮古だが、時折秋の風に交じりツバメが低空飛行をしている。
去る9月24日は、中秋の名月、十五夜。台風24号の影響で雲が多く、お月さまは顔を出したり、隠したり。すっきりしない天気だった。

宮古島の十五夜は、島のあちこちが賑やかになる。

上野野原地区では、五穀豊穣を願う「マストリャー」が公民館で行われた。
男性たちは勇ましい棒踊りを、女性たちはクバの扇や四つ竹を持ち優雅に踊り、ゆー(豊穣)を願った。
「マストリャーとは、昔は穀物などで税を納めていたことから、納税の際に穀物を「升取屋」と呼ばれる升元で納めていたところに由来する」そう。

【野原のマストリャー】

城辺の上区(下里添)と砂川(うるか)では、獅子舞とクイチャーが奉納されたそうだ。
狩俣では、豊年祭が行われ、東西に分かれて綱引きが行われた。
この豊年祭も古くから行われていて三本勝負で、勝負が決まるごとに、十五夜の歌が歌われるとのことだ。

また、平良あたりでは、子どもたちが、段ボールなどで獅子の顔を作り、家々を回りシーシャガウガウ(獅子の口を手でパクパクと開けること)をし、お菓子などをもらう。
昔は、あちらこちらで見られる光景だったが今は、あまり見かけなくなった。

【砂川の獅子舞】

昔といえば、私が子どもの頃の地域の十五夜は、子どもたち自身がプロデュースする、一大イベントであった。
買い出しから、舞台で何を踊るかまで、上級生のねぇねぇ達が中心になり決める。
踊りは夏休みから練習。十五夜当日は、そうみんぶってぃら(ソーメンチャンプルー)を作り(なぜだか、この料理は定番だった)、みんなで食べ、板で組まれた舞台の上では、懐メロなどに合わせて踊るのだった。
男の子たちは、獅子を作り、爆竹を派手に鳴らして大騒ぎ。この日は、いくら遅く帰っても怒られることはなかった。

昔から変わりなく行われている十五夜の行事、なくなっていく行事とそれぞれだが、まんみ(真上)の月は変わらず、穏やかに島を照らしている。  続きを読む


Posted by atalas at 12:00Comments(0)宮古島四季折々

2018年08月24日

Vol.28 「すとぅがつ(旧盆)」



立秋を過ぎると、真夏とは違う風を感じるようになる。
季節は順調に進んではいるようだ。タマスダレがこのところの大雨で満開。可憐な花がかわいいがま。
台風の後によく咲くところから、“たいふうばな”と呼ぶ人もいる。

今日(新暦8月24日)は、すとぅがつ(旧盆)の中日。昨日は無事にご先祖様を迎えた。
親戚も集まり、ご先祖様も帰ってきているから賑やかだ。

宮古では、旧暦の7月13、14、15日にお盆をする。旧暦なので、8月だったり、9月だったりする。
旧盆が近くなるとスーパーは、お盆用の品々があふれる。かびじん(紙銭)も高く積まれている。知り合いは「今流行りの火葬通貨」と話していた(笑)。

旧暦の7月7日(七夕)には、お墓の掃除をしてご先祖様が無事に家までたどりつくように準備をする。
13日は、仏壇にお供えをし(杖を模したサトウキビ、スイカ、バナナ、りんごなどの果物に、バンチキロウ≒グアバは必須、夕食≒炊き込みご飯や吸い物、刺身、天ぷら)など)、香を焚き、家の外から仏壇まで案内する。

「ともぅしーいき すとぅがっつぅ すきもーき すぅーっちゃ とぅもしらい ふぃーさまち」
(お供してお盆のお供えを差し上げますのでお供されて来てくださいね)

現在、実家の先祖の案内は兄の役目だ。父に教えてもらっていた迎えの言葉を必死に覚え迎えた。

2日間は、あさむぬ(朝食)から、10時のおやつ、お昼ご飯、3時のおやつ、夕飯とお供えをする。本当に家にいるかのようなおもてなしだ。中日は、親戚周りをする人が多い。我が家もこれからお中元をお届けし、仏壇に手を合わせてくる予定だ。

そして、明日は、送り日。重箱にごちそうを入れ供え、あの世でお金に困らないようにとかびじん(紙銭)を焼く。親戚のおばさんたちもこれも焼いてねと紙銭を持ってくるので、煙もうもうだ。でもこれでお金に不自由しないのであれば仕方ない(笑)。

私が子どもの頃は、15日の夜中12時を過ぎなければ、送ることはしなかった。送った後は、お供えものの争奪戦。この頃のことは兄弟、いとこたちの間で語り草になっている。
お供えした物を少しずつ切り分け、ご先祖様へのお土産にと持たせる。それを持ち外まで香を灯し、また来年、んみゃいふぃーさまち(お越しください)と送る。

お盆が終わると、夏から秋へと季節が一歩進む。  続きを読む


Posted by atalas at 12:00Comments(0)宮古島四季折々

2018年07月27日

Vol.27 「んきゃふ(海ぶどう)」



内地では、気温が40度越えも出るという異常気象の夏。宮古は暑いとはいえ、平均気温は32~3度。ここ数年「宮古に避暑に行かなくては」と内地に住んでいる友人たちは言う。
過ごしやすくなるのを願うばかりだ。

子どもの頃(昭和30年代から40年代)、この時季、我が家には、んきゃふ(海ぶどう、和名:クビレズタ)がたくさんあった。父がまいぬいん(前の海:川満の海のことをそう呼んだ。与那覇湾の一部)から採ってきたものだ。ふぁっふぁい(肥料)袋の数袋に入れられ水タンクの横に並んでいた。

んきゃふは、海水と淡水が混ざるところで育つらしい。まいぬいんはまさにそうで、海に淡水が流れている場所がたくさんある。そこには、んきゃふだけでなく、ワタリガニやアイゴもたくさんとれた。んきゃふは粒が大きく、ひとつの茎にズラーっと並んでいた。地元では川満と入江(編注:入江湾)の海で採れ、夏になると父はせっせと通った。
んきゃふは、冷蔵庫に入れたり、洗ったりするとしなってしまうので、袋の中から食べる分だけを取り、傷んだ部分などをきれいにする(つぶつぶの部分だけでなく、茎も食べるので茎付き)。まいぬいんは泥海のため何回も洗わなければいけないが、時々小さなカニが付いていて驚くこともあった。

んきゃふの我が家の食べ方は、大皿にどっさりと乗せ、鯖缶に水、砂糖、酢、醤油を入れたタレで食べるのが定番だった。が、実は子どもの頃は、美味しいと思ったことはなかった。味はしないし、ヌルっとしているし、大人は何が美味しくてこんなにワシワシ食べるのだろうと思っていた。大人になって判る味というのがあるが(私の場合、ごうら≒苦瓜も)、んきゃふもそうだった。

それにしても、んきゃふが「海ぶどう」という名前で呼ばれるようになり、観光客や内地でも食べられるようになるとは思いもしなかった。テレビで「ちゅらさん」が放送されたからだろうか。内地の沖縄料理の店のメニューで見るようになった。注文してみると、小さいサラに盛られ600円…。びっくりしたのを覚えている。今や、養殖が盛んで、いつでも食べられるようになった。

んきゃふの味が判るようになり、帰省した時は、天然のんきゃふが食べたいと父にお願いをしていたが、数年前から天然のんきゃふは採れなくなったと言う。10年くらい前まで父は張り切って取りに行っていたが、その量はだんだんと減ってきていたようだ。

時々考える。
んきゃふやカニが豊富にとれた頃は、それは当たり前で特に海に感謝して食べるということもしなかった(私の場合ね)。それが豊かなことだったと知ったのは無くなってからだ。何も感じず豊かな海の恩恵が受けられた時が幸せだったのか。気づいた今が幸せなのか。

無くなってしまった原因は判らないが(気象の変化、自然汚染、島に木々が少なくなっているせい?)、「まいぬいん」を見ながら、いつかまた昔のような豊かな海になってほしいと願っている。  続きを読む


Posted by atalas at 12:00Comments(0)宮古島四季折々