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2015年02月10日

第17回 「伊良部丸遭難の地 慰霊碑」

伊良部大橋の開通を勝手に記念しての伊良部シリーズ第2弾は、前回の第16回 「伊良部大橋開通記念碑」の時にもふれた、伊良部丸についての碑-いしぶみ-です。
第17回 「伊良部丸遭難の地 慰霊碑」
「伊良部丸遭難事故」
当時は伊良部島と平良港を結ぶ渡船には、佐良浜航路の他に渡口航路があり、およそ1時間の航海を要していました。
1940年6月30日。
平良から渡口へ向かう伊良部丸は、入港を目前にしたカース海岸の沖合で、折からの強風が吹き荒れる荒海の中、エンジンの故障によって流され、転覆沈没するという海難事故が発生。73名の方が犠牲になりました。

こうした海難事故が原因となって架橋推進され、建設に至るケースはままありますが、前回の碑-いしぶみ-の“歩み”には、伊良部架橋はコンサルが発案であると記され、見た限りの新聞報道などでも1974年の要請が始まりとだけ書かれていて、伊良部丸についてはふれられていませんでした。
訪れたこの日、伊良部丸の遭難慰霊碑の前には献花が捧げられており、やはり島の人たちの心の奥底には、75年前のこの出来事が遠因として存在していたのだろうと強く感じさせられました。

<社説>伊良部大橋開通 島の未来切り開く礎に 琉球新報 2015年1月30日

第17回 「伊良部丸遭難の地 慰霊碑」第17回 「伊良部丸遭難の地 慰霊碑」第17回 「伊良部丸遭難の地 慰霊碑」
【左】カース海岸から望む渡口の浜(慰霊碑への入口には、“遥かなる星の彼方に”と書かれた、手製の小さな青い看板があります)。
【中】碑に刻まれていた献詩。「島人のあつき心に見守られ御霊よ眠れ安らかに」
【右】碑の海側にあった事故の説明板は、剥がれて割れて転がっていた一部を見つけ、石碑のところまで拾ってきました。


連載企画 「んなま to んきゃーん」
なにかを記念したり、祈念したり、顕彰したり、感謝したりしている記念碑(石碑)。宮古島の各地にはそうした碑が無数に建立されています。
それはかつて、その地でなにかがあったことを記憶し、未来へ語り継ぐために、先人の叡智とともに記録されたモノリス。
そんな物言わぬ碑を通して今と昔を結び、島の歴史を紐解くきっかけになればとの思いから生まれた、島の碑-いしぶみ-を巡る連載企画です。
※毎週火曜更新予定  [モリヤダイスケ]



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この記事へのコメント
カース、ではなくて、
カースー、です・・・。
Posted by UpoIrav at 2022年08月13日 11:42
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