2016年10月07日
Vol.8 「サシバ」

澄み切った青空に澄んだ空気。10月の声が聞こえると宮古も少しずつ夏の気配が薄くなっていく。10月8日は寒露。この頃になると宮古にはサシバ(タカ科)が飛来する。
冬が近づくとサシバは内地から あがた(遠い)東南アジアを目指し南下をするが、宮古はその中継地点になっていて毎年羽を休めるために降り立つ。サシバは毎年秋の訪れを知らせてくれる身近な渡り鳥だ。

今、小中学校の運動会は9月に行われることが多いが、私達の頃(昭和40年代)は10月が多かった。運動場で練習をしていると、空高く舞うサシバの群れ(鷹柱)をよく見た。それを見つけると運動会の練習どころではなく、子どもたちは大騒ぎ。特に男子はソワソワ。サシバを捕獲するためにどこの山にでかけようとか、しかけをどうしようなど頭をめぐるのであった。
サシバは国際保護鳥で、現在、捕獲してはいけないことになっているが、復帰前までは、大人も子どももサシバに夢中になり、我が家の中には、祖父や父、兄たちが捕ってきたサシバが体を反対にしてたくさんぶら下げられていた。きんみー(黄色い目)、あかみー(赤目)、んたみー(褐色)と目の色が違うサシバがぶら下がり、目をぎょろぎょろさせていた。
サシバは、その頃の重要なたんぱく源。じゅーしゃ(雑炊)にしてよく食べた。身は少ないのだが、なんとも味わい深いものであった。男の子たちは、サシバの飛ばし比べをしたりして遊んだ。
昭和のはじめ頃までは何十万羽のサシバが飛来していたようだが、昭和40年代頃は数万羽くらいだったろうか。宮古野鳥の会では復帰後の1973年(昭和48年)から毎年サシバの飛来数をカウントしているそうだ。その数はだんだんと減少してきていて昨年(平成27年)は1万羽を切ったとのこと。現在、宮古の中では伊良部島への飛来が一番多く、他の地域ではあまり見られなくなっている。土地改良で止まり木となる松の木などが少なくなっていることも要因のひとつのようだ。

また、エフエムみやこのパーソナリティ與那覇淳さんは、サシバが勇壮に飛ぶ姿を絵にしている。
近年、うちのあたり(下地高千穂)ではサシバを見かけなくなったが、この時季になるとサシバは飛んでいないかなーと空を見上げる。サシバ舞う宮古は豊かな島の証。子どもの頃に見た鷹柱をまた見たいと思っている。
松谷 初美(まつたに はつみ)
1960年生 下地高千穂出身
2001年より、宮古島方言マガジン「くまから・かまから」主宰
30年住んでいた東京から昨年Uターン。現在下地に住んでいる。
毎日が新鮮。宮古の魅力を再発見中。
宮古島方言メールマガジン『くまから・かまから』
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