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2017年09月22日

その12 「京子さんのクバものがたり」

その12 「京子さんのクバものがたり」

小川京子さんは植物で作品を編むアーティストだ。彼女の作品は、籠やインテリア家具、アクセサリーなどの工芸作品から、神や宇宙や生命のエネルギーを映し出す抽象的なアートまでと幅広い。それらは国内だけでなく世界的にも評価が高く、アジアやヨーロッパの国々のギャラリーを飾ってきた。
その12 「京子さんのクバものがたり」
下里にある工房『ゆい』。そこに京子さんはいる。工房の奥の衝立の向こうに、たいがいはいる。だから彼女を訪ねるものは、軽く声をかけて靴を脱ぎ、作品の間をすり抜けるように奥へと進むことになる。
作品の多くはクバで編まれ、複雑で堅牢で、それでいてふっくらと優しい。まるでひっそりと、安全に命を包む生き物たちの巣のようだ。その日も、そんなことを考えながら森のような空間を抜けると、楽しくて仕方がないという風情の森番が、いや、京子さんがいた。

あなた、ほんとにいいところにきたわよ。今朝、自分の意識を溶かす瞬間があったの。
ずうっと何かが足りないと思っていて、その答えが見つかったような気がする。
うわーっ!これだ!と思ったとたんに、あなたからメールがきたのよ。


「人生は大げさに生きる」がモットーという京子さんの話は、いつもパッションに満ちて、そして突然に始まる。

『緑色の太陽』という言葉が気になってね。なぜだかすごく反応している自分がいたの。
普段、滅多に調べたりしないんだけど、検索してみたら高村幸太郎の文章が出てきた。


ちなみに、『緑色の太陽』という言葉が、どこでどう、いつ彼女の意識にすべりこんだのか、自覚はないという。なぜだかわからないが頭にこびりついて離れなかったのだと。京子さんの判じ物のような言葉はいつだって、どこか不思議で示唆に富む。そして、その意味を読み解くうちに、聞くものは奇妙な興奮の渦に巻き込まれ、最後はストンと腑に落ちる。
その12 「京子さんのクバものがたり」
京子さんは工芸家であると同時にアーティストだ。「わたしは、その狭間にいる」と彼女はいう。工芸家として譲れないのは、人が暮らしの中で生み出した手わざを間違えることなく、次世代に継承するということ。「東南アジアのお土産屋さんとかで、粗悪な間違った工芸品が売られているのを見ると吐きそうになる」ほど、その想いは強い。一方、クバアーティストとしての京子さんを動かすものはインスピレーション。自他ともに認めるクバの伝道師として、絶えずクバに問い、クバの意志は「パンパン動いて、考える暇もないほど」彼女に降りそそぐ。

植物は生きている間が一番美しい。自然のものを自然のままに見せるのは神技。アーティストが見せるのは人技で、いわば神と人のコラボレーション。でも、これだけ綺麗なものを加工し、捻り回してものを造るということはどういうことなのか。わたしの中に囚われがあって、作品の素材はすべて自然のものでなければならないと思ってきた。それがタガだったと気づいたのよ。

『人は案外下らぬところで行き悩む。人が“緑色の太陽”を画いても、僕はそれを否定しない。拘りを捨て表現者として自由になれ』という内容の高村幸太郎の言葉は、“何か”を探し求める今の京子さんのど真ん中に刺さった。タガを外し解放を確信した京子さんは、どうやら芸術家として次のステージの扉を開けたらしい。そしてこれは、彼女にとって第3のウェーブなのだという。

最初のウェーブは、クバとの出会いだ。今から20年ほど前、京子さんは沖縄南城市の玉城にアトリエを構え、藤作家として忙しい毎日を送っていた。「沖縄の材料を使ってみたかったけれど、南国の植物は個性が強すぎて難しかった」と京子さんはいう。時代は、作品に均一性を求めていたからだ。
ある日、彼女のもとにひとりの建築家が訪ねてきた。建築予定の料亭に置く衝立と、屋根を葺くクバが欲しいという。クバについて知識がなかった京子さんは、急ぎ調べ、クバの何たるかをひととおり学び、クバを集めて納品した。

その時、手元に数本だけ残しておいたのだけれど、十日後くらいかな、突然、わーっという衝動に突き動かされて、いきなりクバを編み出した。自分でもびっくり。何が起きているのか意味が分からない。

それからは仕事もせずに、クバ一色の暮らしになった。寝ても覚めてもクバ。浮かされたようにクバを求めてさまよう日々が続く。さまよう先は東南アジアにも及び、インドネシアには何度も足を運んだ。クバに魅入られ、クバに追われ、極限の状態になっている京子さんに、クバの精霊との交信のような不思議な出来事が次々と起きる。それは2年ほど続き、その時間を京子さんは「クバとの蜜月時代」と呼ぶ。
その12 「京子さんのクバものがたり」
幹を真っすぐに伸ばし、ひときわ天に近い場所で、大きな掌のような葉を広げるクバは、神の依り代として特別な力を宿すという。同時に、人の暮らしに欠かせない身近な道具の素材ともなった。クバの神が、一途な工芸作家であり、天性のアーティストでもある京子さんを選んだのは必然だったのかもしれない。彼女を通して何かを伝えるために。
そしてそれは、10年あまりを経て、宮古島でひとつのカタチとなった。それを京子さんは第2のウェーブだったと振り返る。

父親の死をきっかけに、京子さんは生まれ故郷の宮古島へ帰ってきた。ちなみに父親は、宮古を代表する画家、下地明増氏だ。島に戻ってしばらくし、博物館から京子さんに展示会をしないかというオファーがあった。

クバの神性、神話、民話、民具からアートまで、トータルにクバを表現する展示会なら引き受けると言った。宮古島のクバを調査したいからキュレーターもつけて欲しいと。

その望みは受け入れられた。京子さんはキュレーターとともに精力的に宮古島のクバを、植生の現状から民話や神話、神事での役割など多岐にわたって調べ上げ、それは博物館の第28回企画展『クバものがたり』に集約された。その過程を通し、「歯車がカチンとはまったような感覚があった」と京子さんはいう。パンフレットの中で、彼女が述べる言葉がある。「この地で古きを知りて、新しきを創る」

それからずっと、滞りなく健やかに暮らしていて、今また新しい波が来てる。こんなことをずっと繰り返していくんだね。

次のステージで、京子さんがどこに行く着くのか、わたしは知らない。たぶん、彼女自身にも、まだ明確な答えはないのかもしれない。ただわかるのは、 “すでぃる”(脱皮する、生まれ変わる)を繰り返しながら、彼女はクバの言葉を伝え続けるのだろうということだ。
その時、どこからか差し込む光の中で、京子さんは生まれたてのようにきらきらと笑っていた。

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【あとがき】
クバの神様に魅入られ、歩かされた2年間、神人の巫病にも似たその間に、具体的に彼女が何を見て、何があったのか、京子さんはあまり語ってはくれません。それでも、とてつもない不思議な出来事が次から次へとあったのだろうということは想像がつきます。
しかし京子さんは「それは特別なことだと思わないし大げさにはしない。神秘体験の依存者ではないから。ただ、認めるだけ」といいます。彼女の大げさは、ひたすら、彼女自身の心の動きに焦点が当てられているというのです。
大げさに生きること、それは日々を意識しながら生きるということだと。クバと出会ったことにより確立された、彼女の確固たる人生観、信念、存在に引き寄せられるように、多くの人々が彼女のもとを訪れます。そしてそのたびに「わたしはさ、おせっかいおばさんだから」と大奮闘。結果、京子さんは工房の奥に座ったままで、さまざまな出来事や事件が勝手に起きるのです。「縁ある人とは必ず出会う。ウロウロしても無駄」けだし名言。いやしかし、やっぱりウロウロオロオロしてしまうんだよな~凡人は。より良き縁を求めてさぁ、、
きくちえつこ 



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