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2016年11月25日

其の7 いろいろがあって、今ここに バンドーさんの、おじいとおばあの物語

其の7 いろいろがあって、今ここに バンドーさんの、おじいとおばあの物語

宮古島の北の離島、池間島は人口約700人、その半数近くが65歳以上だ。住民票を島に残したまま、平良の街中に住む若い世代も多いから、実感としての高齢化率はさらに高い。2年前のデータでは、高齢者数306人のうち112人が要介護認定を受け、90人が在宅介護を利用している。亡くなる人も年を追って増え、近年は年間20人に迫るという。
そんな高齢化社会の最先端をいく島に暮らし、おじい、おばあたちから親しまれ、頼りにされているナイチャーがいる。
坂東るみさん(以下、バンドーさん)は島のNPOが営む小規模多機能ホーム『きゅ~ぬふから舎』(*1)の管理者でケアマネージャーだ。そして島唯一の保健師、看護師として、忙しい日々を送る。
其の7 いろいろがあって、今ここに バンドーさんの、おじいとおばあの物語
誰かの具合が悪い、誰かが何かで怒っていて大変。
バンドーさんちょっと来て!ちょっと見て!
って、そんなんで1日があっというまに過ぎたりね。
もうね、ルーティンなんてない。毎日が行き当たりばったり(笑)


実際に、バンドーさんの仕事をひとことで表現するのは難しい。施設の管理者、ケアマネとして、利用者を訪ねたり、ケアプランを作成したり、行政と交渉したりという職域は、彼女の仕事の一部でしかない。
年に何度もある看護大の研修生の指導にもあたれば、高齢者宅の戸別訪問も頻繁におこなう。おじい、おばあたちとのおしゃべりも欠かせない。彼らの生活や精神、健康状態を把握する絶好の機会だからだ。バンドーさんは、池間島のどこに誰が住んでいて、どんな風に暮らしているか、誰と誰がどういうつながりか、仲がいいのか悪いのかと人間関係まで把握する。彼女の仕事の対象は、きゅ~ぬふから舎の利用者だけでなく、バンドーさんを知っている島の人たちすべてにおよぶ。『坂東るみ』という存在そのものが島で機能しているという感じなのだ。そして池間方言も上手だ。「いつもおばあたちなんかとしゃべってるからさー」と彼女は笑う。
 
20代前半の頃は、仕事はお金稼ぎの手段と思ってた。
遊ぶために働いてたんだよね。
月の前半は夜勤を続け、夜勤が終われば飲みにいく。
月の後半は休みをとって雪山に通う、みたいな。
まるでジプシーナースだよね(笑)


看護学校を出たバンドーさんは、東京の病院の脳外科で4年、看護師として働いた。「私の一日は48時間」と豪語し、日勤を一切しないという、なにかと型破りな看護師は、医学生らの離島研修チームに加わり、夏の一か月は種子島や与論島で医療プログラムにも携わる。しかし、バンドーさんが本格的に離島と関わるようになるのは、まだ先のことだ。

そんな暮らしを続けてたから、身体も壊す。
東京の病院はなんだか窮屈で、この先どうしようかと思ってた。
そんな時に、母校の看護学校に保健師コースができると聞いて
学生に戻るのも悪くないなと。


医療の現場を離れ、勉強漬けの1年を過ごす。学費や生活費を稼ぐために、夏休みの2か月は沖縄のホスピスで働いた。末期がんの患者さんを看る現場だった。

沖縄のバイト先では、私は相変わらず夜勤担当で
日勤ナースのおばちゃんと仲良くなった。
その人は、高齢者福祉の事業もやっていて
職場を見に行ったりもした。


保健師の資格をとった後、一時は東京で民間の健康産業に就職したバンドーさんを、そのおばちゃんが、沖縄に誘った。

あんた、沖縄好きよね!沖縄で1年、働かない?
と、元気いっぱいな電話をもらって(笑)
沖縄県立看護大で実習補助教員の産休補助という仕事。
東京で煮詰まっていたから、ちょうどよかった。


其の7 いろいろがあって、今ここに バンドーさんの、おじいとおばあの物語実習補助教員という仕事は、実習のない時期は比較的暇で、その時に「これ読んでおいて」と渡された本が『日本でいちばん幸せな医療』(泰川恵吾著 小学館)。それは宮古島出身の医師が、生まれ故郷に訪問診療と看護システム『Dr.ゴン』をつくり、人生の最期を地域で静かに看取ることが書かれたノンフィクションだった。
東京の病院では、脳の病気で、ある日突然ハンディキャップを負い、それでも生きなければならない患者たちを見つめ、沖縄のホスピスでは、末期がんの人々を看てきたバンドーさんにとって、島の訪問医療と看取りというテーマは、何か心に残るものがあったという。

1年の契約が切れる少し前、
南大東島に就職を決めていた学生が保健師の国家試験に落ちたと
島の役所の人があわてて大学に飛んできた。
このままでは島に保健師が不在になってしまう。さてどうしようと。
その相談の場に、たまたまコーヒーを運んだのが私だった(笑)


バンドーさんの人生はまるでドラマのように展開し、今度は南大東島へ県の保健師として赴任する。東京から沖縄まで車一台でやってきて、アパートの契約トラブルで宿なしのまま、例のおばちゃんの職場で1年近く寝泊まりしていたから、身軽でもあった。3月28日に話がまとまり、4月1日には南大東島で辞令を受け、バンドーさんはそのときから離島と真正面から向き合うことになる。

島へ行ったらいきなり消防団員として任命された。
看護師でもあるから、医療分野での仕事も期待された。
保健師や看護師という仕事が、こんなにも人から求められる。
こんなにも大事な資格なんだって、初めて知ったの。


次から次へと求められる仕事、地域の人々からの期待。そして初めて本格的に経験する小さな島の人間関係だった。一方、県には、離島の医療福祉の人材を育成したいという方針があり、バンドーさんは南大東の仕事と同時に、看護大の大学院で離島高齢者保健福祉を学ぶことになった。

遊び中心の生活から、仕事中心の生活に大転換。
やりがいあったけど、いやもう、完全なキャパオーバー!
期待に応えようとする自分と、力不足の自分がいて
人間関係にも疲れて、なんだか壊れそうだった。


其の7 いろいろがあって、今ここに バンドーさんの、おじいとおばあの物語南大東で2年のハードな勤務を終え、バンドーさんは沖縄で大学院の勉強に専念。そこでの研究は、改めて『離島』を問い直すきっかけとなり、思い出したのが、実習助手時代に読んだ泰川先生のDr.ゴンだった。彼女は早速宮古島へ飛び、Dr.ゴンの看護師になる。そして訪問診療で何度も池間に通ううち、NPOの理事長、前泊博美さんの誘いを受け、ついに池間のバンドーさんになった。

慣れ親しんだ自宅で、寝たきりの高齢者がひとりで暮らす。大抵の専門家は、そんなことは不可能、無謀だというだろう。その不可能を可能にするのが彼女たちの仕事だ。そのために、周囲の人々を巻き込み、生と死の喜怒哀楽を共有する。介護を通して、結束が強まる。それはたぶん、昔からこの島にあった生き方、死に方の形だ。

バンドーさんはおっちゃんの話をしてくれた。
おっちゃんは、若いときから自由気ままな偏屈もの。60代後半で大腸がんにかかり、5年後に脳梗塞をわずらったが、それでもひとり家で暮らすことを望んだ。訪問診療と生活維持のケアを続けるうち、病状は好転。すると今度は徘徊と破壊の問題行動が深刻になる。薬剤調整や隣近所、親戚の力を総動員し、24時間体制で見守りを続けた。

いろんな服装で道なき道を行き、かたっぱしから分解してまわる。
私のパソコンのコードも何度ブチっと切られたか(笑)
でも、そのうちおっちゃんの突飛な行動や発言が、
みんなの笑いや楽しみに変わった。
とくに子どもたちとは気があったみたい。


子どもたちや保護者の人気者になったおっちゃんだったが、やがて病状が悪化。ベッドから起きられなくなると、みなが毎日見舞いに訪れる。元気だったときの偏屈ぶりは面影もなく、笑顔を見せながら、穏やかに衰弱していった。そして台風の接近する夜、親戚や介護スタッフに囲まれて、おっちゃんは自宅で息を引き取った。

翌朝は橋が閉鎖になって、葬儀屋さんから届けられたドライアイスを
みんなで橋を歩いて取りに行った。
最期までお騒がせなおっちゃんだったけど、
その人らしい生き方死に方を尊重することの素晴らしさや可能性を
私たちに教えてくれたんだよね。


「おっちゃんの想い出は、みんなで語っては笑って泣く。人は亡くなったら終わりじゃない。そんな橋渡しをしていくのが、私の仕事なのかなぁ」バンドーさんは、今、そのおっちゃんの家で暮らしている。
*1 『小規模多機能型居宅介護』
利用者が可能な限り自立した日常生活を送ることができるよう、利用者の選択に応じて、施設への「通い」を中心として、短期間の「宿泊」や利用者の自宅への「訪問」を組合せ、家庭的な環境と地域住民との交流の下で日常生活上の支援や機能訓練を行う介護サービス。小規模多機能型ホーム『きゅ~ぬふから舎』は、たとえ動けなくなっても、寝たきりになっても、自宅に住まい、最期を迎えたいというおじいやおばあの願いに応えるために、2006年、島出身の主婦たちによって設立された。Dr.ゴンは、その想いを共有する協力医療機関である。
※     ※     ※     ※     ※

【あとがき】
「みんないろんな人生が背景にある。借金やら愛情やら憎しみやらを抱えて、周りにはさんざん迷惑かけてってストーリーの中で、病気になって動けなくなっても、それでも周りに支えてくれる人がいて、長生きまでしてほしいと思うなんて、すごくない?」「それはもうノンフィクションで、ノンフィクションやドラマは傍観するだけだけど、その中に入って自分も登場人物になり、ドラマをちょっとだけいい方にいじれるみたいなね。そういう中にいられることに感動しているのかも。自己満かもしれないね」そうバンドーさんはいいます。いやいや、自己満なんかじゃない。バンドーさんは、池間のおじいやおばあにとって、女神のような存在、といいたいのですが、実はそんなに優しくはありません。厳しく叱るし、口は悪いし(笑)。でも、笑うときは顔をくしゃくしゃにして、思い切り、心から笑います。バンドーさんに会うと、おじいもおばあもみんな嬉しそうに、顔をもっとくしゃくしゃにして、くしゃくしゃとくしゃくしゃの頬ずりが始まります。彼女は彼らにとって、娘か孫のような存在なのかもしれません。そこには、理念や理屈や理想を超えた、素のままの魂の触れ合いがあるような気がして、とてもとてもまぶしいのでした。
(きくちえつこ)



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