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2018年11月06日

第207回 「海岸保全区域 沖縄県」

第207回 「海岸保全区域 沖縄県」

前回、佐良浜の「急傾斜地崩壊防止事業竣工記念碑」に続き、伊良部島で地形ネタです。今回は南区の伊良部側。場所は佐和田の浜の西端です。云うまでもなくこれは本来、石碑ではなくただの区域を示す標柱に過ぎません。けれど、なかなかに威風堂々とした作りで、石碑感がどことなく高いので、仲間に入れてみました。まあ、以前にも「琉球政府標柱」(第193回)と題して、琉球政府モノを総ざらえしたこともありますし、行政機関ですらない「バスのりば(棚根)」(第190回)というネタもあったくらいなので、「ん to ん」なら問題なんてなにもないですよね~!。
第207回 「海岸保全区域 沖縄県」
と、いうことで万難を排して「海岸保全区域」の標柱です(ちゃんと、一番下に両矢印⇔が刻まれている)。
裏面、というか海に面した碑面には、「昭和四八年十月二五日指定」と日付が書かれています。おそらく裏表の感覚でゆくと、この碑から汀線までが保全の対象となる区域ということになるのでしょうか?。とはいえ、ここは干満の差が大きな佐和田の浜ですから、どこまでが陸となるのかちょっと懐疑的です。
軽く調べてみると、海岸線は満潮時の水涯線を基準とするようなので、“ちいさめ”の評価といったとこでしょうか。ここでちょっとおさらい。汀線(ていせん)と水涯線(すいがいせん)について。
どちらも陸と海(水)の境目を描く線なので、ほぼ同義語といってさしつかえないと思うのですが、汀線は干潮汀線とか満潮汀線というちょっと技術的な呼びかた(それぞれ低い時と高い時の水際のラインを示す)があるのと、どちらかと云うと“波打ち際”の古風な文学的な表現というような感じ。一方、水涯線は満潮時の水位での境を示すと定義れさているのでので、厳密を期すならばこちらの表記が良いと思われます。
第207回 「海岸保全区域 沖縄県」
さてさて、情報が少ないので、件の日付からネタを探ってみたいと思います。
さっそくGoogleで検索してみると、沖縄県が昭和48年10月25日に「告示第343号」を出している事が判りました。昭和48年は1973年なので、復帰の翌年です。まさに日本の法律(ここでは海岸法)が、沖縄を呑み込んでゆく最中と云えるかもしれません。

沖縄県 告示第343号 昭和48年10月25日

この告示第343号は海岸法に基づいて海岸保全区域を指定するもので、保全する区域が地番単位で細かく指定されています。
この時に指定された区域は、伊良部村佐和田白鳥原925の1番地から、伊良部村字佐和田前方原1726の4番地まで。海岸線の総距離は3,708メートル(平均幅員は200メートル)となっています。
【離れ小島に上陸した時の様子】
第207回 「海岸保全区域 沖縄県」大字の佐和田はなんとなく判っても、小字となると途端に馴染みが薄いので、簡単に位置のイメージを説明しておくと、白鳥原は白鳥崎と佐和田漁港の中間あたりの沖合いに、小さな離れ小島のあるあたりの南方。前方原が海沿いに顔を出すのは、下地島へ渡るなかよね橋あたりで、その間の海沿いには西方原と前原と呼ばれる小字もあります。西方原は黒浜御獄、前原は佐和田の浜といえば、もう少しイメージできるでしょうか。
尚、伊良部の町制は1982(昭和57)年4月1日でしたので、当時はまだ伊良部村です。

ちなみに告示第343号では、一度に12か所が指定されており、佐和田の浜以外にも宮古諸島では、平良の狩俣、島尻、島尻南(真那津~大浦)、松原の4か所が指定を受けています。リストには他にも、石垣市(2か所)、竹富町(2か所)、今帰仁村、伊是名村、宜野座村、具志川村が指定されているのですが、具志川村(現在は合併して久米島町)の保全区域がひとつの指定なのに、基点1から基点32を結んだ区域として、基点の位置が事細かく書き込まれた告示内容となっており、資料を目にした際にちょっと目を引きました。
第207回 「海岸保全区域 沖縄県」
どんなに頑張ってみても、正直、今回はペラッペラな物件なので、これにてネタは終了してしまうのですが、それではあまりにも淋しいので、ちょっとだけ余談。

この碑のある佐和田の浜の西端は、小さな岩場が連なり、それが砂を絡め取って黒浜御獄へと続く弓形の浜を作っていますが、浜の内側(陸地側)は低い海岸砂丘があり、近年はその手前まで開発され、ホテルが建設されるなど、少しづつ様相が変わりつつあります。かつてはこの砂丘の内側あたりから、平成の森公園あたりにかけては遠浅の入江が広がっており、かなり古い時代から製塩を行っていました(連載200回突破記念の特番「海に消えた道(1) 佐和田矼道」を参照)。現在は埋め立てが進んでしまったので、その頃の様子は見る影もありませんが、それでも地形をよーく見ると、満潮でも沈まない陸地と、遠浅の入江の痕跡がこのあたりでは見ることができます。
第207回 「海岸保全区域 沖縄県」家々がちまちまっと並んでいるあたりは岬状に伸びてた陸地で、そこが沈まない場所であることが見てとれます。それを追いかけて観察すると、集落のかなり奥の方まで入江が複雑に入り込んでいたことが判ります。それこそ小さな発見ではありますが、町歩きをしながら、往時を偲ぶ痕跡探しをニヤニヤしながら楽しむことが出来るのです。
【当時の揚げ浜式塩田の様子】

また、前出の浜の西にある岩場の沖には、満潮でも沈まない細長い岩があります。この岩は広い浜に点在する岩々とは少し出自が異なり、岩場の延長部にあたるので、岩盤が露頭している場所になります。この岩のことを島のことばで「グンカンジー」と呼ぶそうです。ジーとは岩を表すので、漢字にすると「軍艦岩」ということになります。確かによくよく眺めてみるとそんな風にも見えてきます。
グンカンジー以外にももたくさんの岩がこの佐和田の浜にはありますが、ほとんどが津波岩(石)で、かつて繰り返し襲ってきた津波で運ばれたものだといわれています。これらの岩々にはすべて名前があるといわれていますが、見る角度によって形が結構変化するので、いくつか名前を聞きましたがどれがどれなのか、ハッキリしませんでした。さらにはこの浜の岩は、夜空の星座と同じだとのたまう人もいたりして、虚実が入り乱れてとっても怪しいのですが、見た目で勝手に名前をつけたくなる、楽しさのある奇岩群であることは間違いありません。
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【謎めいた廃施設はまるでプールのよう】

そんな軍艦岩のそばに、謎の廃施設があります。低いコンクリートの枠に囲まれ、おそらくフェンスの支柱と思われる無数の柱で取り囲まれたプールのような構造物です。
干潮時は中の水位が海面よりも高くなるので、ちょろちょろと閘門から海水がこぼれています。コンクリートの枠の高さを考えると、中の水深はおよそ1メートルくらいでしょうか、どうやらなにかの生け簀(栽培魚施設)だったらしいのですが、今となっては見る影もありません。しかしながら、サイズと云い深さといい、プール遊びするにはもってこいの廃墟ではないでしょうか!。
【グンカンジーへ続く岩の道】
第207回 「海岸保全区域 沖縄県」渡口の浜に比べ佐和田の浜は遠浅なので干満が大きく、干潮時に海を楽しむにはちょっと汀線が遠く、水深もかなり浅くなるので、ちゃぷちゃぶするには向いていません。一方、外洋に面しており見た目より波のうねりが強い渡口の浜では、時に足をすくわれるような波の勢いがあり、小さなお子さんなどには不向きだったりもします。
だから、この廃施設をリビルド(支柱を取っ払って、中の砂を全部じゃなくちょっと浚渫する)して、安心して海遊びの出来るプールにしたら、めっちゃ気軽に遊べる人気のスポットに生まれ変わる可能性を秘めているのではないかと、強く妄想してしました。この廃施設はどこが管理してる(してた)のかなぁ~。なんでもお金かけて新設しなくても、知恵を廻せば面白いことは色々出来そうですよね(保全区域であっても、すでに構築されているから、開発の許可とか区域の指定解除はされているのではないかな~)。誰か、作ってみて~!。




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