てぃーだブログ › ATALAS Blog › んなま to んきゃーん › 第61回 「人頭税廃止運動ゆかりの地 パチャガ崎」

2015年12月15日

第61回 「人頭税廃止運動ゆかりの地 パチャガ崎」

第61回 「人頭税廃止運動ゆかりの地 パチャガ崎」

「人頭税にまつわるエトセトラ」シリーズの3回目は、パチャガ崎の碑です。歴史に詳しくない方は初めて聞く地名が出て来たのではないでしょうか。実際、観光地のように有名な場所と云う訳でもないため、地元の人でもほとんど知らないのではないかと思われますが、ともかくは人頭税廃止ゆかりの地であることは間違いありません。
第61回 「人頭税廃止運動ゆかりの地 パチャガ崎」まず、このパチャガ崎の場所ですが、先週掲載した城間正安の住居跡からほど近い、入江湾のほとりになります。つまるところ、それは川満亀吉の家の近所でもあります。現在は県道235号保良上地線の「入江橋」が入江湾の湾口に架かっており、正確にここがパチャガ崎だと指し示すことは出来ませんが、「崎」と呼ぶくらいですので他の所よりは海に突き出していたと考えられます。
この入江湾は宮古島でもかなり特殊な地形で、島の南部に面して湾は開いていますが、湾口はとても狭く幅50メートル弱しかなく、細長い湾口部は500メートルほど川のように奥へと続き、内陸部に池のような大きな入江を形成しています。
パチャガ崎とおぼしき場所は、その川状の湾口が終わって、水面が広くなるあたり。つまりはちょうど入江橋の架かっているあたりだと云われています。
第61回 「人頭税廃止運動ゆかりの地 パチャガ崎」現在、橋の南側が浚渫され、棚根漁港(第一種漁港)となっていて、数隻の漁船が係留されています。ちょっと面白いのは、漁港(船着き場)があるのはスガ子集落側(湾の東側)なのに、漁港のは湾の西側の集落である棚根を名乗っています。
尚、石碑は橋の脇から棚根漁港に向かう途中にあり、半ば廃棄されたような古びたサバニもそばに転がっていて、どことなくフォトジェニックな漁港です。
【入江橋から入江湾を臨】
1892(明治25)年の末頃から、宮古農民の間に人頭税の廃止を要求する農民運動が展開された。この人頭税廃止運動は士族、役人らの厳しい弾圧を受けたが、運動の中心的役割を果たした当時嘉手苅村の総代川満亀吉を中心とする宮古30余村の総代たちは、ここ嘉手苅村(当時)パチャガミ崎のアダン山に集い、城間正安、中村十作の指導のもとに人道勢廃止請願直訴について幾度となく密議を重ね、運動性このために結束を図ったといわれている。
1893(明治26)年10月、人頭税廃止請願代表として、城間正安、中村十作、西里蒲、平良真牛の4名を上京させ、一行の政府、財界等関係要路への陳情、請願が後の人頭税廃止に大きな役割りを果たし、1903(明治36)年人頭税はついに廃止された。
人頭税廃止請願100周年にあたり、この栄光の歴史の中で宮古の先人達の輝かしい偉業をたたえ、この地「パチャガ崎」を人頭税廃止ゆかりの地として永遠に語り継ぐためにこの碑を建立するものである。

平成5年11月   
下地町教育委員会
【橋の東屋にある解説タイル】
第61回 「人頭税廃止運動ゆかりの地 パチャガ崎」当時はアダンが茂る林(アダン山のこと)で、嘉手苅を管轄する村番所は遠くの宮国だったことから、役人らの目につきにくい場所だったようです。歴史を遡ると、正安の住居跡のやや北方に、クバカ(久場川・久場嘉)城跡があります。現在は趣味のグランドゴルフ場として使われており、当時の痕跡を示すものは敷地を囲む野面積み石垣が残る程度しかありませんが、「雍正旧紀(1727年)」によると久場嘉按司の居城跡で、城主は怪力無双の人だったと伝えられているそうです。
パチャガ崎の名の由来は、この城跡(館跡)を通じて唐との間で密貿易が行われていた当時、茶葉を取り扱っていたことからパチャ(葉茶)ガ崎と名付けられたそうです。これだけ奥まった港だとなかなか見つけにくくて、密貿易の基地としては最適だっかもしれません。

【入江湾北部の流入河川】
第61回 「人頭税廃止運動ゆかりの地 パチャガ崎」この入江湾は地理的な目線で見てもなかなかに興味深く、与那覇湾を取り囲む“与那覇半島”の付け根の外側にあり、直線距離でも与那覇湾までは2キロちょっとしかありません。しかも、その間には山らしい山もありませんが、ここにもちゃんと分水嶺が存在してるのです。与那覇湾側からの咲田川の上流と入江湾奥の流入河川は、ざっくりいうと国道390あたりを境に勾配が分かれています。
それを裏付けるような逸話として、大昔に発生した津波が嘉手苅に迫る寸前、津波が集落の手前で曲がって集落は無事だったといいいます。その場所には津波から集落を守ってくりた神様がいると、龍宮御獄が祀られています。地形的に解釈してしまうと、集落へ傾斜(背後が低い山になっている)より、与那覇湾への分水嶺の方が低かったということのようなのです。

最後は川の少ない宮古島で、まるで川のように音を立てて流れる入江湾の不思議をひとつ(動画)。
実はこれ、干満の差が起こす現象で、海が干潮になると湾から外へと水が狭い湾口を流れることから起きる現象です。
第61回 「人頭税廃止運動ゆかりの地 パチャガ崎」【画像をクリックすると動画サイトへ飛びます。動画は8秒ほどです】

【関連記事~人頭税にまつわるエトセトラ】
第3回 「川満亀吉顕彰碑」
第59回 「人頭税石碑」
第60回 「人頭税廃止運動ゆかりの地 城間正安住居跡」




同じカテゴリー(んなま to んきゃーん)の記事

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。