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2018年09月09日

第9話 「台風、帰郷」

第9話 「台風、帰郷」

この夏は台風に振り回された夏でした。
仕事を含めて、飛行機で3往復、6回搭乗したけれど、そのうち予定通りだったのは、いちばん最初と真ん中のたった2回。
3旅程とも、台風に当たってしまったという顛末。
第9話 「台風、帰郷」
八丈島も100年以上前から東京都である。けれど、東京は内地であり、島から東京へ行くことは「上京する」と言う。
八丈島で暮らしていると「上京」とは、大人も子供も島民にとって特別の楽しみだということが、よく判る。

しかし、上京するには八丈は島なので、必ず船か飛行機に乗らなくてはならない。それも内地から船舶・機材が到着しなければならない。
なぜなら船も飛行機も島に常駐していないからだ。だから、内地から到着しなければ、島から“出る”手段はなにもないのである。

この夏は、羽田空港を出発した飛行機が、八丈の上空まで来て、羽田へ引き返したことがあった。
乗っていた人も、待っていた人も、たまらない気持ちだろう。
これは、当事者になってみなければ、言葉で説明し尽くせない感覚かもしれない。

気候の条件だけは、どうにもならないのだ。
それはわかっているのだ。

だからこそ、とても、無力感というか、それこそ、脱力して、抜け殻になってしまう。

8月8日に、台風が八丈島を直撃するという。
そんな天気予報をまったく知らずに、6日の月曜日、仕事場に出勤した私は、「ああ、8日は飛行機、飛ばないよ」という周りの声に、目の前が真っ暗になった。

休暇だった。
この夏の。待ちに待った。
自分が暮らしているところが、島だいう事を思い知る出来事だった。

羽田-八丈島間の便は、お盆を挟んで2週間くらい連日満席で、もう席が取れないのだ。
欠航になったら、じゃあ明日の便に振り替え、というのができない。
もしも次に席を取れるとしたら、予約状況を見る限り8月20日以降である。
それまで島から、出られない…?

意識が遠のきそうだった。
第9話 「台風、帰郷」
船もある。
船が満席になることは、ないと言っていいのだけれど、船は飛行機よりも弱く、飛行機が欠航なのに船が就航することなど、絶対にあり得ない

船は、この台風でいえば、1週間欠航したのだ。

目には見えないけれど、海上では「うねり」というものが出始めていた。波の高さが5メートルになると、だいたい船は欠航だ。
しかも、10時間以上かけて八丈島までやってきても、波が高いと接岸できずに引き返すということもあり得るのだ。
そして、途中の大島までで引き返すこともある。

私は、待ちに待った夏休みを、どうにか成立させるために、まず考えたのは翌7日の船。
朝9時30分に八丈を出発する船。
6日の時点では、天気も穏やかで、明朝の船はいけるんじゃないか、と思えた。

が、電話した旅行代理店のベテランのおばちゃんは、無情にも「明日の船はもうダメよ」、とひと言。
「もう遅いよー、みんな昨日一昨日から電話バンバン掛かってきて、今朝の船なら行けると言ってあげたから、船で行ったよ」
ということだった。
ダメだ。私は遅かったし、それでなくても、動けない。

第9話 「台風、帰郷」なぜなら、6日・7日は日直という仕事場の留守番役で、これは職員全員が輪番で担う、何よりも優先される絶対に動かせない仕事なのだ。

これを事前に個別交渉して、代わってもらうことはできるのだけれど、6日になって、6日の仕事は代わってもらえない。
同じように、誰ももう、島内にいる人が少ないのに、さらに急遽明日、いきなりこんな重荷を背負ってくれる人なんて、探せない。。。

と、思っていたら、いたんです。。。
代わってくれる優しい人々が。。。
午前午後と、それぞれ2名が、分担して代わってくれた。

なんとか上京できるといいですね、と。
声をかけてくれる。優しい。
みんな、思いを理解しているんだな。

そんな親切を無にしないように、6日は、仕事場に缶詰めになり、仕事をしながら、逐一航空会社のホームページを開き、7日満席の表示が、万が一、数字の表示にならないかと、見張りながら過ごしました。

すると、午後に一瞬、7日の最終便に、2名の空きが!!!!
すぐに自分と息子の名前を打ち込み、予約ボタンを押すと、成功!

しかし、代理店のおばちゃん予報だと、7日は朝の1便しか飛ばないだろうと。2便はギリギリか。
あぁ、だから3便に空席が出たんだな。。。

予約の取れた最終便の3便は、台風に追いつかれて飛ばない可能性が高い。
私は翌7日、朝一番で、空港の空席待ちの列に並びました。
1便か2便、なるべく早い時間の飛行機に、乗るための行動をせずにはいられない。
第9話 「台風、帰郷」
空席待ちの列は、朝6時台に着いて、すでに12~3人くらいいる。
それなのに、もらった番号は31、32番。そうか、代表者がね。
並んでいるのだね。

空港が開く頃には、100人くらいになっていた。
1日にたった3便しかない、166人乗りの飛行機の空席待ちに。

中には知り合いもいたし、旅行者もたくさんいた。
私は家があるからいいけれど、旅行の人は、このまま島に缶詰とか、たまったもんじゃないよなぁ。、

宿だって、ないかもしれない。
滞在費だってかかるし、食事も、お店が開いていればいいけれど、スーパーだって台風だからこのまま食材がどんどん無くなっていくだろうし。
コンビニがない島なのだ。
台風なら個人商店は、閉めるだろう。
大丈夫だろうか。。

と、私の後ろに並んでいた、小学生の女の子とお父さんというコンビを心配に思いながら、なんとなく言葉を交わしたりして、整理券をもらって別れるまで、妙な連帯感だった。

第9話 「台風、帰郷」ネットで空席待ちをチェックしていたら、正午に240人を超えて、さらに増えたのかどうか。。。

旅支度をすべて整え、1便の空席待ちのアナウンスを祈る気持ちで待ち、呼ばれずに締め切られ、飛行機は飛び立ち、気持ちの糸をつなぐために、空港のレストランで食事なんかしちゃって。

2便もまた、呼ばれるかもしれないので、空港でスタンバイ。

チケットを持つ人は、次々に手荷物を預けて乗り込んでいく。
知り合いの顔も多くある。
みんな上京の時期、そうか、航空券の予約日の1日の違い。
運だよなぁ。
私、ドンピシャだったなぁ。

2便が飛んだ。
風はかなりあるけれど行けた。
望みを繋ぐ。
どうか、3便、来ますように。
この台風に向かって、来たら、来さえすれば、引き返せるだろう。

気だるい午後、家のソファで、あんなに時間を持て余した1日はない。
腐りそうだった。

そして、以前、八丈よりももっと遠い、青ヶ島に暮らしていた人の話を思い出していた。

飛行場はない。
ヘリコプターか船。

八丈行きのヘリコプターに望みを託しても、目の前で引き返して行くんだって。
あの時は、家に帰って酒を浴びたね~と、語っていた。
今ならその気持ち、とってもよくわかる。

私も、家中の準備を整えて、植木もバスタブに水を張ってそこに浸けて、冷蔵庫もきれいにして。
これで、3便、飛ばなかったらどうなるんだろう、と思った。

第9話 「台風、帰郷」食料、ないじゃない。
野菜もない。果物も。
牛乳も納豆も豆腐も買ってない。
しばらくスーパーから消える、これらの食料。

もし、3便が来なかったら、お酒を浴びる日々になりそう。

3便の時間になり、その日3度目、いや、空席待ちの列に並んだのを入れたら4度目の空港への出陣。
搭乗案内をしている。
ということは、羽田を出たんだ。

しかし、搭乗口で待ちながら、乗客予定の人々は、飛行機の話題で持ちきりだ。
前に目の前で引き返して行ったことがあるぞ!と、大声で武勇伝を語るかのようなおじさん。
スマホや電話で迷走する近況を報告する人々。

3便、と呼ばれる最終便が、通常より遅れ、午後5時近くになって、ついに雲の中から姿を表した時、
「きたきたきたきた!!」
と、音を聞きつけた誰かが言って、みんな総立ちで、前のめりに窓ガラスの向こうを覗き込み、無事に着陸した小さな航空機が、滑るように目の前を通り過ぎたのを目にした時、すんごい歓声が上がりました。。

なんという一体感。
笑顔。。。みんなで喜び合いました。

空港内アナウンス。
「みなさま、ただいま、〇〇便が到着いたしました。」
のところで、あたたかい拍手が起き、アナウンスしていた若い女性は思わず、
「ありがとうございます。」
と言ってしまい、それが思わず、という感じだったので、乗客に笑いが起きたりして、空港の搭乗口はくつろいだ、ほっこりとした空気に包まれました。
第9話 「台風、帰郷」
しかし、3便の空席待ちで、待っていたけれども呼ばれず、帰っていった人々を思うと、胸が痛んだ。
今日一日が、それで終わった。それだけじゃない。
夏休みが、終わったかもしれない。
お酒を浴びた人が、たくさんいたかもしれない。

翌日8日は全便が欠航。
次に飛んだのは、いつだったんだろう。
とにかく、飛行機に空席が出ない場合、欠航に当たってしまった人は、空席が出るのをひたすら待つか、船しかない。
その船は、結局12日まで就航しなかったというのだからやるせないです。

飛んだ3便の予約を、運良く前日に取れたことが幸運だった。
台風が予想よりも遅い速度だったことも。

夏休みには、いろいろ楽しい予定があった。
内地には、とにかく運よくこちらに来れたら、なんとかなるんだから、と。
逐一連絡を入れて心配する私に、いつでもなんでもオーケーでスタンバイしていてくれる家族がいるってことで、あぁ、これは上京ではなく、帰郷だった、と。
会えた喜びが、身に沁みたのでございました。

扇授 沙綾(せんじゅ さあや)

1976年 東京生まれ。
2003年から2011年まで、宮古島・狩俣に住む。
伊良部島へフェリーでの1年間の通勤を経て、東京へ。
現在、東京在住→2018年、八丈島へ。
12歳の息子と二人暮らし。



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