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2017年04月04日

第129回 「フィラリア防圧記念碑」

第129回 「フィラリア防圧記念碑」

この石碑の存在を知ってもなお、フィラリアは犬のかかる病気で、マラリアの間違いだろ!っと思っていました。すみません、ホント、無知って怖いですね。ということで、お勉強がてら石碑を紐解いてみたいと思います。
第129回 「フィラリア防圧記念碑」
こちらの石碑は宮古保健所。今は福祉保健所と云うそうですが、その敷地内にあります(道路沿いのフェンスそば)。
どういう石碑なのか、石碑裏面にある解説をまずがーと。
 昭和40年1月から宮古で始められたフィラリア防圧事業は、宮古群島全住民の献身的な活動によって理想的な形で進められ、それはやがて模範となって八重山群島及び沖縄群島でも展開されて、風土病フィラリアは昭和53年遂に沖縄から消滅しました。
 科学と行政を信頼し、健康社会を開拓する自らの責任に目覚めて立ち上がった、群島住民のアララガマ精神があったらればこそ、先祖代々苦しめられた、風土病フィラリアを根絶することができたのであり、その恩恵は莫大であります。
 また、その英知とエネルギーは必ずやまた次の健康づくり運動に生かされることでありましょう。
よって、フィラリア防圧10周年記念・第20回沖縄県公衆衛生大会を開催するに当たり、宮古群島住民および全沖縄県民の功績を讃え、ここに記念碑を建立します。
昭和63年11月25日:フィラリア防圧記念事業期成会
※記述は原文のママとし、読みやすくするために句点を挿入しました。
太平洋戦争当時から終戦、兵士の復員する頃まで、直接の戦闘で亡くなるよりも、マラリアで亡くなった方が多かったと聞きます。しかし、フィラリアについては特段に見聞きしたことがなく、これまでまったく知りませんでした。
そもそもマラリアもフィラリアも、簡単に言えば蚊を媒介にして感染する寄生虫が引き起こす病気で、寄生虫の種類によって発症する症状も異なっています。
「線形動物門双腺綱旋尾線虫亜綱旋尾線虫目糸状虫上科」に属する寄生虫の総称をフィラリアと呼び、犬の心臓などに寄生することが知られていますが、寄生虫の種類によっては人にも感染し、リンパ管を破壊して像皮病などの後遺症を引き起こします。

資料によりますと、1936年に沖縄県下で一斉に調査が行われ、県民の3分の1が保虫者であることが判明するも、防圧の予算が取れずそのまま放置され、戦後の1965(昭和40)年になって、ようやく日米両政府の協力の元、琉球政府時代の保健所によって、防圧がなしとげられました。
血液検査によって保虫者を発見し特効薬スパトニンを投薬する。薬剤を散布して媒体である蚊の駆除を行うという宮古島モデルを確立。県内各地にも導入され、フィラリア撲滅に向け大きく貢献します。防圧駆除の作戦は、返還を挟みながら続けられ、1978年には沖縄県内での保虫率が0となり、1988(昭和63)年に撲滅宣言が行われ、この石碑が建立されました。

ちなみに、マラリアも1961年に八重山で5名の再発患者を最後に県内の土着マラリアは撲滅され、1978年には撲滅宣言が出され、土着マラリアはなくなりましたが、感染したまま海外から帰国した人々が増えている傾向にあるそうです。

戦後、大きく動いた沖縄の衛生防除は米軍直属の地区衛生課(1945-51)の防除に始まります。米軍は南方戦線で厳重な対策を行ったにもかかわらず、相当数の患者を出した(主にマラリア。別名を戦争マラリアと呼ぶ)ことから、防除に躍起になっていたのかしれません。その後は琉球政府厚生局(保健所)による防除に移行(1952-72)。返還後は市町村の保健所によって継続され(1972-98)、衛生防除に大きな功績をあげたと云うことです。

次週はこの琉球政府厚生局が関連ていてる石碑を紹介してみたいと思います。お楽しみに。

第129回 「フィラリア防圧記念碑」【原文】 PhM takes blood smear of native girl.
【和訳】 地元の少女の血液塗布標本を採取する公衆衛生兵
撮影地:平良
撮影日:1945年
※沖縄県公文書館 米国陸軍通信隊

【資料】
沖縄の衛生動物防除史,1945-1988 (沖縄県衛生環境研究所報第33号) pdf
沖縄県 宮古保健所 ※所前の広場にある梯梧の落花によるハートの造形が素敵です(毎年の恒例)
琉球政府 厚生局(wikipedia)




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